第1020話:それはあたしが希望を取り戻す為の物語
「ではこれより……ルチア=ヘキサグラムさんの罪、ライル=マリーチア子爵及びその使用人たちの殺害についての審議を始めます。本裁判はグランティアーゼ王国の法に基づき判決を下しますので、その旨をご留意ください」
――――壇上に座るリブラⅠⅩはルチアから渡されたであろう事件の資料を眺めている。おそらくは王立騎士団が管理していた捜査資料をルチアが抜き取っていたのだろう。
法律はグランティアーゼ王国の法に基づくと彼女は言っている。グランティアーゼ王国で私怨での殺人は重罪だ。悪質なら極刑もあり得る。そして、今回の裁判に於いて、ルチアの王国騎士団での活躍は考慮されない。
「まずはライル=マリーチア子爵の殺害に関してですが……こちらについては情状酌量の余地があります。ルチア=ヘキサグラムさんは奴隷としてマリーチア子爵に支配され、長期間に渡り性的虐待を受けていました……そうですね?」
「それは……そうです」
「首輪を着けられ監禁され、何度も辱めを受けた……事件当時のルチア=ヘキサグラムさんの精神状態は極めて衰弱、正常な判断が難しい状態にあったと推察できます。ルチアさんから弁明はありますか?」
ルチアは殺害されたマリーチア子爵に奴隷として飼われ、長期間に渡り性的虐待を受けていた。ルチアは以前その事を心底不快そうに語っていたので、彼女にとってその日々が如何に屈辱的なものだったかは想像に難くない。
王立騎士団での資料にはマリーチア子爵は寝室で殺害、頭部には灰皿で殴られた跡と果物ナイフで何度も刺された傷跡があったそうだ。
「あ、あたし……犯されている時に首を絞められて……それで死ぬかもって思って……夢中になって灰皿で殴って……そしたらあいつ、あたしを殺すような目付きで睨んできて……」
「思い出すのも辛いですね。勇気を出してください」
「だからあたし……怖くなって……近くに置いてあった果物ナイフで……刺し殺しました。そうじゃないとあたしが殺されると思ったから……」
ルチアの証言は捜査資料の状況と完全に一致していた。ルチアはマリーチア子爵に暴行を受け、命の危険を感じて咄嗟に彼を殺害してしまっていたのだった。
それの事実を聞いた俺たちの誰一人、ルチアを責めるものはいなかった。リブラⅠⅩの言うとおり、その状況での殺害ならルチアは『心神耗弱』であったと判断できるからだ。
「お話いただきありがとうございます。捜査資料との照会、そしてルチアさんの証言を加味すれば……マリーチア子爵の殺害には十分に情状酌量の余地が考えられます。ルチアさんが嘘をついていないのは、私の“天秤”が証明してくれていますしね」
「…………」
「しかし、今回の裁判の本質はマリーチア子爵の殺害ではありません……その後に犯した使用人たちの殺害についてです。私はこちらの方が重要かつ悪質だと考えていますので、次はこちらの件についての審議を始めます」
しかし、裁判はまだ終わらない。リブラⅠⅩは次にマリーチア子爵の使用人たちが殺害された件についてルチアに言及し始めた。
捜査資料には、マリーチア子爵の使用人たち二十人が屋敷内で殺害されていると記載されていた。目的は目撃者の抹殺だと考えられている。
「ルチアさん、こちらについて証言を」
「マリーチア子爵を殺害した後、あたしは首輪を外して逃げようと思いました。けど、あの屋敷で働いていた使用人たちはあたしが奴隷なのを知っている……だから、逃げても捕まると思いました」
「だから殺害を?」
「あいつら……あたしが『助けて』って言っても助けてくれなかった。汚いものを見るような目であたしを見下して……だから、逃げてもあいつらは味方してくれないって思って」
「殺害した時の使用人たちの様子は?」
「あいつら……あたしを見て『なんで奴隷が檻から逃げてるんだ』って……あたしはペットじゃないのに! あいつらはあたしを見て、すぐに捕獲の準備をしていたわ……そうするようにマリーチア子爵に言いつけられていたのね」
「それで殺害に至ったのですね」
「はい……マリーチア子爵を殺して、あたしの立場を知っている使用人たちを消せば、あたしは奴隷から解放されると思ったから。そうしないと……あたしは自由になれなかったから」
「分かりました。ありがとうございます」
ルチアが使用人たちを殺したのは、奴隷からの解放を願ってのものだった。使用人たちはルチアが奴隷なのを知っていた。
助けなかったのは雇用されている身分である彼等の立場上やむを得なかったのかも知れないが、その態度がルチアに精神的苦痛を与えていたのも事実だ。
「マリーチア子爵殺害の後、心神耗弱のままにルチアさんは使用人たちを殺害した。正常な判断ができない状態だった可能性は大いにあります。しかし、使用人たちの殺害は脱走後を考えての保身だった事は明白……これは心神耗弱では済まされない問題です」
「はい……承知しています」
「マリーチア子爵に関しては暴行中の正当防衛である事を、使用人たちの殺害は目撃者の抹消を図った行為だと私は判断します。ではこれより……ルチア=ヘキサグラムさんに判決を下します」
しかし、ルチアが『奴隷からの解放』を目的に使用人たちを殺した事実は変わらない。そこには明確に悪意があったとリブラⅠⅩは判断し、ルチアもその葉に異議は申し立てなかった。
リブラⅠⅩは自分の目の前に“天秤”を於いて、ルチアに判決を下すと宣言した。その場に居た全員が息を呑んで、ルチアに判決が下される瞬間を待った。
「ルチア=ヘキサグラム……ライル=マリーチア子爵、及び使用人二十名の殺害について判決を下します。まずはマリーチア子爵の殺害について……こちらは心神耗弱かつ正当防衛、さらにマリーチア子爵があなたに継続的に危害を加えていた事を考慮して『無罪』を言い渡します」
「はい……」
「しかし、使用人たちの殺害は自己保身ゆえの犯罪であったと判断します。よって、使用人たちの殺害に関して、私はルチア=ヘキサグラムさんに『有罪』を言い渡します」
下された判決は『無罪にして有罪』だった。ルチアを虐待していたマリーチア子爵の殺害に関しては、正当防衛が認められて無罪に。しかし、その後の使用人たちの殺害に関しては有罪になった。
その判決をルチアは俯きながら静かに受け入れていた。それが自分が犯した“罪”なのだと自覚し、その責任を負う覚悟を決めて。
「私リブラⅠⅩはグランティアーゼ王国の法に則り、あなたに判決を下します。ルチア=ヘキサグラム……あなたをグランティアーゼ王国法に基づき懲役三十年、執行猶予七年を言い渡します」
「…………えっ? なんで……」
「先にお伝えした通り……使用人の殺害は悪意ある行動ですが、ルチアさんが心神耗弱状態であった事、そしてマリーチア子爵の殺害を含めた全てを今も後悔している事を鑑みての判決です」
「それは……」
「奴隷として味わった苦痛、長期に渡る性的虐待、そして今日に至るまで患っている心的外傷後ストレス障害……すでにルチアさんは必要以上の“苦痛”を味わっています。それを差し引いての判決です」
下された判決は懲役三十年、執行猶予七年という内容だった。その判決が意外だったのかルチアは驚いたような表情をしていた。執行猶予がつくとは思っていなかったのだろう。
しかし、リブラⅠⅩの言うとおり、ルチアは奴隷として扱われ性的虐待を受けて女性としての尊厳を踏みにじられ、その後も心的外傷後ストレス障害を患っていた。すでに十分な社会的罰を受けていたのだ。
「あなたは罪を償う意志を、悔い改める意志を抱いている……十分に更生は可能です。贖罪とは罰を受ける事ではありません……罪を償って生き直す事です」
「…………」
「ルチアさん……あなたの苦しみはこれで終わりです。慈しみの心を持った聖女ティオ=ヘキサグラムさんのように、たった一人愛情に生きたリヒター=ヘキサグラムさんのように……素晴しい女性になれると私は信じています」
リブラⅠⅩに『あなたなら更生できる』と諭されて、ルチアは下された判決を素直に受け入れた。殺した人間は帰って来ない、だからルチアにできるのは『どう罪を償って、どう改心するか』だけだ。
リブラⅠⅩはルチアに対して『苦しみはこれで終わり』だと告げて、裁判は静かに閉幕した。ルチアは証言台で棒立ちしたままだった。
「ルチア……俺も手伝うよ。ルチアがちゃんと立ち直れるように……一緒に。大丈夫、ルチアならきっと大丈夫さ……だって、この俺が信用してるんだから」
「ラムダ卿……」
「俺でよければ……いつでも手を貸すよ。だからルチア……罪を償って、そして取り戻すんだ。君の幸せを……俺は君の味方であり続けるよ」
「……ありがとう」
俺が声を掛ければ、ルチアは涙を流しながら俺に抱きついてきた。それをその場に居た全員が微笑みながら見守っていた。
こうして、ルチアは過去の因縁の全てに決着を着けた。“嫉妬の魔女”ディアナ=インヴィーズの暴走から始まり、聖女ティオ=ヘキサグラムの悲劇を経て、それでもルチア=ヘキサグラムは手に入れたのだ……明日に向かって歩いて行くための“希望”を。




