第1015話:VS.【真我】アートマン⑦/喧嘩の後は……
「「…………ッ!! …………ッ」」
――――その殴り合いは驚天動地の様相を呈していた。俺が撃ち抜いた拳はアートマンの頬を通じて反対側に黒い稲妻を迸らせ、アートマンが撃ち抜いた拳は俺の頬を通じて反対側に純白の閃光を発した。
青空は真っ二つに割れ、水面は渦を巻いてうねり、アートマンが召喚した大階段は崩れ去り、空間そのものが一瞬激しく振動した。
「「…………」」
俺もアートマンも微動だにしない、お互いに頬に相手の鉄拳をめり込ませながら、それでも相手を鋭く睨み付けて、それでも動けずにいた。
アートマンは分からないが、俺はあまりの激痛に意識が一瞬飛んだ。我に返った後も全身の骨と臓器をぐちゃぐちゃに潰されたような、悶絶すらできない程の激痛が全身を駆け巡っていた。
「…………っ」
それでも倒れまいと歯を食い縛ろうとしたが、それすらも億劫になるほどに意識が朦朧としていた。
アートマンを殴った左腕から力が抜け落ち、次に水面を踏みしだいていた両脚から力が抜け落ち、最後は視界が歪み始めた。どうやらノアから術式を付与されすぎて意識も限界だったらしい。
「…………うっ、うぅ…………」
先に姿勢を崩したのは俺の方だった。脳にずきりと痛みが走った瞬間に、俺は両膝を折ってその場に崩れ落ち始めた。
ここで先に倒れればアートマンの勝利になってしまう。そう思ってもう一度気力を振り絞ろうとしたが、それすらもできずに俺はゆっくりと崩れ落ちっていった。
そんな俺を待っていたのは――――
「よく頑張りました……我が騎士よ」
――――ノアの労いの言葉だった。
気が付くと、ノアが脇を肩に掛けて俺を支えてくれていた。倒れていない、支えられて俺はまだ両脚でしっかりと立っていた。
決着を見届けたノアが急いで駆け寄ってくれたのだろう。ノアの顔を見て緊張の糸が切れたのか、俺は全身から力が抜けてノアに身体を預けてしまった。
「ああ、なるほど……あなたには支えてくれる人が居るのですね。わたしには居ない……この差は大きい。少なとも……この場では……」
俺がノアに支えられたのを見て、アートマンは納得したような声を微かに漏らした。
アートマンはまだ立っている。しかし、その両脚は震えていた。俺と同じで限界を超えて立ち続けていたのだろう。そして、俺がノアに支えられたのを見て、アートマンは勝敗を察した。
満足そうに微笑み、そして――――
「この戦い……わたしの負けです……」
――――アートマンはゆっくりと倒れた。
全身から力が抜けたのか、糸の切れた人形のようにアートマンは崩れ落ち、水を巻き上げながら大の字になって仰向けに倒れ込んだ。
そのままアートマンはピクリとも動かなくなった。俺が先に倒れると予測して、その予測をノアが打ち破ったのが決め手になったのだろうか。
「一対一なら……わたしの勝ちでした。ですが……ノア=ラストアークさんが手を繋いでくれたからあなたは立ち続けられた。そして、支えの居ないわたしはそのまま倒れてしまった……」
「アートマン……」
「あなたの宣言通り……あなたとノア=ラストアークさんのタッグは“神”を超えたのです。いやぁ、悔しいですね。しかし、何故でしょう……どこか晴れやかな気分になっているわたしがいます」
勝敗は僅差、支えてくれる誰かの存在が決め手になった。正直に言えば、ノアの助力が無ければ俺はアートマンに手も足も出ずに敗北していたであろう。
アートマンの言うとおり、ノアと二人で掴んだ勝利だった。いいや、ノアだけじゃない、もっと多くの人たちに支えられた勝利だった。
「正直に言えば……全然勝った気がしない。あなたが最初から手段を選ばず、真っ先にノアを潰しに掛かっていたら勝負はあっという間についていた」
「そんな卑劣な真似はできません……」
「それに……ノアだけじゃない。みんなに支えられて俺は立っていられた。そして、あなたと殺し合いをすれば負けるのは俺の方だ……そう警告してくれた奴が居たから、あなたとの対話に臨めた」
「…………スペルビアさん……ですね」
「ああ……あいつはあなたとの対話を拒否して戦って、そして敗北して全てを失った。その記憶を継承して、事前にあなたのことを知っていたから俺は慎重に動けた。これでスペルビアの野郎の“死”にも……少しは意味を持たせられただろうよ」
スペルビア、並行世界から来たもう一人のラムダ=エンシェント。彼がアートマンに敗北して全てを失ったという事実が無ければ、俺は同じ過ちを繰り返していただろう。
つまり、俺たちの勝利はスペルビアの無念を晴らした事になる。彼の“死”もこの勝利に繋がっているのだ。そう考えれば、ますます俺は自分だけの勝利ではないことを痛感できた。
「しかし……負けたというのに、何とも晴れやかな気持ちだ。これでわたしは“神”ではなくなった……我が母には申し訳ないですが、これで良かったのでしょう」
「そうであって欲しいな……」
「アートマンさん……あなたはあなたなりに人類の未来を考えた。その事実だけは変わりません、だから私たちはあなたに敬意を評します。そして、勝ったからには必ず責任を果たします」
「ノア=ラストアークさん……」
「私たちは人類に“明日”をもたらします。多くの困難が待っているでしょう……だから私は新たな“神”として人類の征く道を照らしたいと思います。どうか……そんな私たちに協力しては頂けませんか?」
俺たちはアートマンの『人類神化計画』という“救済”の芽を摘み取った。その責任を負い、アートマンの理想を上回る成果をもたらす必要がある。
一人でできる事には限界があるだろう。
ノアだけでは人類に“希望”は灯せない、俺だけではノアは支えられない。だからもっと助けが必要だ。支えてくれる人が多ければ多いほど、俺たち人間はより強く歩いていけるのだから。
「アートマン……俺たちは歩き続ける。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても……立ち上がってみせる。だけど、いつか膝をついて諦めかけてしまうかも知れない……」
「…………」
「その時は……あなたの手を借りたい。俺たちに檄を飛ばして、諦めない意志を思い出させて欲しい。どうか一緒に……より良い未来を築いて欲しい」
「また『人類神化計画』を考えるかも知れませんよ?」
「その時は俺とノアが……それか俺たちの意志を継ぐ人間が立ち上がるさ。人類が“希望”を持ち続ける限り、きっと……! だから安心して野望でも何でも企みやがれ」
だから、俺はアートマンにも手を貸して欲しいと思った。アートマンは自分なりに人類を想って決起した。きっと、人類を良き方向に導いてくれる手助けをしてくれるだろう。
それに、アートマンが『人類神化計画』を再び企んでも俺たちが居る限り、俺たちが居なくなっても意志を継ぐ人間が居る限り大丈夫だろう。そう俺は力強くアートマンに答えた。
「ふふっ、大した自信ですね……ふふふっ、あっははははは!! そこまで言うなら信じてみましょう……あなたたち人間の不完全ゆえの可能性を」
「…………っ!!」
「ラムダ=エンシェントさん……あなたに感謝を。おかげで新しい目標ができました……あなた達の未来を見届けるという目標が。どれだけ素晴しい世界が出来上がるのか、今から楽しみです……同じ『人間』としてね」
そして、アートマンはひとしきり高笑いをした後、俺たちの事を認めてくれた。
これからは手を取り合って、アートマンも人類の行く末を見守ってくれるだろう。同じ世界に生きる『人間』として。
「なら……ほら、俺の手を掴んで」
「……? 手を伸ばしてどうしたのですか?」
アートマンが笑みを浮かべながら答えたのを見て、俺は仰向けに倒れていたアートマンに向かって右手を差し出した。
差し出された右手を見つめて、アートマンはきょとんとした表情をしている。どうやらまだそれについては理解していないらしい。
「全身ズタボロで自力で立つのはしんどいだろ? けど、誰かの手を借りれば楽に起き上がれる……足りないものを補い合うってのはそう言う事さ」
「ああ……なるほど……」
「それに……喧嘩が終われば仲直りをするものさ。俺とあなたは分かり合えた……だからもう“友だち”さ。これからよろしくな、アートマン……次に戦う時は自力で勝ってみせるから覚悟しときなよ」
「これは……“友情”というやつですね……」
「あなたなら一人でも立ち上がれる。けど……誰かの手を借りればもっと簡単に立ち上がれる。友情も愛情も……そうやって支え合う“絆”のことを言うのさ」
喧嘩が終われば仲直り、そして友情を育む番だ。俺はアートマンをもっと知りたい、アートマンが人間を知りたがっていたように、俺も同じ気持ちに駆られていた。
アートマンは差し伸べられた手が“友情”を示すものだと理解して、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。そして、何かに期待しながら手を伸ばした。
「これからは友として……よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく……アートマン」
そして、アートマンは俺の右手をしっかりと掴み取り、ラムダ=エンシェントという人間の力を借りてゆっくりと立ち上がったのだった。
その瞬間、アートマンという“神”は死んで、新たにアートマンという“人間”が誕生し、それと同時に俺に新しい“友だち”ができたのだった。
「それで……どうやって地上に戻るンすか?」
「さぁ、わたくしは存じ上げませんが……」
「ノアちゃんも戻る方法を知りたいのですが……」
「おや……皆さんもしかして無計画で此処に居るのですか? 奇遇ですね、わたしもどうやって帰ろうか考えていたところなんですよ」
「えぇ……嘘だろ……どうすんだ、この状況?」
その後、俺たちはアートマンの加護を最大限駆使して、なんとか宇宙空間から地上の戦艦ラストアークの甲板まで帰還する事に(なんとか)成功したのだった。
こうして、デア・ウテルス大聖堂を舞台にした“神”と“人”と“世界”を巡る一連の戦いは終結し、ノアという新たな“神”の降臨と同時に、女神アーカーシャの時代は混乱の中で終わりを告げたのだった。




