第1013話:VS.【真我】アートマン⑤/全てが“我”に解け落ちる場所にて
「アートマンに凄い量の魔力が集束している……!」
「気を付けてください、我が騎士よ」
――――全力を出す、そう宣言したアートマンは空中に浮かぶと全身に凄まじい量の魔力を纏い始めていた。
水面が激しくうねり、空間そのものが激しく揺れ、襲いかかるプレッシャーに全身が身震いする。それでいてどこか神々しくも儚げな雰囲気をアートマンは纏っている。
「わたしに敗北は許されない……一度でも屈すれば、わたしという存在は『完璧』ではなくなってしまうから。これは我が存在意義を賭けた戦いです」
「なら、完膚なきまでに叩きのめしてやる……!」
「そうなれば……果たしてわたしは何者になるのでしょうね? ラムダ=エンシェントさん、さぁわたしに見せてください……あなたが思うわたしの“可能性”を!」
「拘束機関解放――――【オーバードライヴ】!」
「我はこの世全ての善を救う者、この世全ての悪を祓う者! 人類よ、我を求めよ! 世界よ、我に解け落ちよ! 今ここに、梵我一如は果たされん! 一切衆生、三千世界に救済を……神威解放――――【寂滅為楽】!!」
俺が荒々しい【オーバードライヴ】を発動させると同時にアートマンも全力を出し、その瞬間に周囲一帯から全ての“雑音”が消え去った。
足下で水が跳ねる音も、空気が吹き荒ぶ音も、自分の心臓の鼓動さえ聞こえない『無』の空間。色彩も全て消えて世界は白黒になり、奮起しようとしていた精神までもが穏やかになっていき、ただアートマンだけが神々しい光を放っている。
「これぞ我が究極奥義、“梵我一如”……生きとし生ける者全てを我に統合する領域展開。どうですか……あらゆる雑念が消え去ったでしょう?」
「…………っ!」
「恐れる必要はありません、怯える必要はありません……全ての哀しみはわたしが消し去りましょう。あらゆる苦痛から解放される時です……ただ、静かに受け入れてください」
どうやら、この結界魔法は取り込まれたもの全てを『アートマンに同期させる』ものらしい。さっきまで在った筈の闘争心も克己心も削ぎ落とされていく。
俺の背後ではノアと教皇ヴェーダも同様の術中に陥っていた。ただ呆然と立ち尽くし、アートマンと戦おうとする気力を失っているのだろう。
「それでもまだ、抗おうとするのですか? 苦痛も絶望も感じない方が良い……全てが平等になれば世界から争いは消え去る。醜き邪心は消え去り……真に美しい世界が到来するのです」
「……っ! …………っ!!」
「それでも……あなたは抗うのですね。ならば我が究極奥義、見事打ち破り……わたしに『間違っている』と認めさせてください。あなたならできる筈です……ラムダ=エンシェントさん」
徐々に感情が薄れていく、何も感じず、世界の何もかもが些末な出来事に思えてくる。これがアートマンの感じている『世界』なのだろう。
アートマンは俺にそれを打ち破れと言っている。俺を試しているのだろう、自分自身の掲げる理想をラムダ=エンシェントが超えられるかを。
「…………ッ!!」
「あなたは言いましたね……苦痛や絶望の先に“希望”を求めると。その覚悟はわたしの理想を上回るのかを」
「…………ッ!!」
「わたしは何もしません、ただあなた達が“我”に解け落ちるのを観測するだけです。わたしという存在が勝つか、あなた達の“我”が勝つか……それをわたしに示してください」
「…………ッ!!」
静寂とした“色”も“音”も無い空間で、アートマンの囁きだけが木霊する。自分が何を言っているのかも聞こえない、次第に意識も薄れていく。
思わず両膝をついてしまった、立ち上がろうとする気力すら削がれていく。気合や根性ではどうにもならなそうな程に、抵抗心が薄らいでいるのが感じられた。
「――――ッ! ――――ッ!!」
必死に声を絞ろうとするが何も聞こえない、必死に立ち上がろうとするが脚に力が《ちから》が入らない。アートマンが見つめる中で、俺は生まれたての子鹿のように震えていた。
ほんの一瞬でも諦めてしまえば、その瞬間にアートマンに同化しそうな予感がする。俺は自分の舌を噛んで精一杯の抵抗を続け、なんとか『ラムダ=エンシェント』を保つ以外に選択肢は無かった。
「わざわざ苦しむ必要は無い……苦痛なき平穏こそが最善の道なのです。そう、わたしは結論付けてしまった……」
「〜〜〜〜ッ!!」
「なのに……あなたは尚も抵抗を続けている。何があなたをそこまで駆り立てるのですか? 何があなたを修羅の道へと突き動かすのですか? あなたはなんの為に戦おうとするのですか?」
アートマンは俺に『なぜ戦うのか?』と問うている。それを聞いた瞬間、俺はふと自分以外の誰かの事を、みんなの事を考えた。
忠誠を誓ったノア、愛を誓ったオリビア、信頼を置いた仲間たち、想いを受け継いだ亡き人たち、敵対しながらも思うところのあった強敵たち、その全てを。その瞬間、全身に僅かに熱が籠もった。
「…………ッ! …………れは! 俺は……自分が護りたいと思った……全ての人たちに“希望”を与えたい! だから戦うんだ……たとえその道が俺にとって、どんなに苦しくても!!」
「っ!? 我が“梵我一如”に抵抗を……!」
「そうだ……俺は俺の為に戦うんじゃない! 俺が愛する、俺を愛する人の為に戦うんだ!! だから俺には平穏は要らない。俺が征くのは……みんなを護る為の修羅の道だァ!!」
考えれば簡単な事だった。俺はきっと誰かの為に戦っていて、だから自分が傷つくのも厭わないのだと。そう思い出した瞬間、静寂だった世界が色づいた。
アートマンの世界には“他者”が居ない。
どこまで行っても自分だけの世界だ。
だから俺はそれが嫌なのだろう。俺は常に他者と、心を通わせた誰かと繋がっていたい。だから、その繋がりの為に傷つくのも、絶望を味わう事も乗り越えられるのだと。
「俺が剣を振るうのは……我が王の為! 俺が立ち上がるのは……我が愛しき人の為! 俺が諦めないのは……想いを託してくれた人たちに応える為!!」
「そうか、あなたは他者の為に……戦うのですね」
「俺は……俺が護りたいと思う人の為に戦う! そして……俺はあなたも救いたい! アートマン、あんたにも教えてやるよ……あんたの理想をも上回る、俺の覚悟をォォ!!」
大切な人たちを思いながら立ち上がり、すぐそばに居る大切な主を思って、精一杯に吼えた瞬間、アートマンが展開した“梵我一如”は砕け散った。
その瞬間、アートマンは驚愕の表情を受けべて、そしてその後僅かに微笑んだ。アートマンの理想を超える何かを俺が示した事に満足したのだろう。
「素晴しい、あなたはわたしの理想を遥かに超える……完璧なる“神”を超える、まったく以って不完全な“人”の業を示した! ラムダ=エンシェントさん……わたしはあなたに人間の可能性を今、垣間観た!」
「なら……次は身体で味わいな!!」
「さぁ、もっと観せてください……あなたの振るう“自我”を! そしてわたしを超えるのです、わたしという『完璧』を……超えてその先に征くのです!!」
アートマンが歓喜の声を上げる中で、俺は自我を取り戻し、再び心に燃え滾るような闘志を漲らせた。
アートマンの理想は砕かれた、あとはアートマン自身を打ちのめすだけ。俺は両脚に力を込め、アートマンに向かって全力で跳躍して突撃するのだった。




