第1010話:VS.【真我】アートマン②/汝は其れなり -tat tvam asi-
「見せてください……“神”を超える力を」
――――アートマンはただ静かに、俺が攻撃を仕掛けてくるのを待っていた。アートマンからは殺意も敵意も感じられない、ただあるのは大口を叩いた俺への“興味”だけだった。
言葉と拳で“神”を超える、それが俺たち人間に課された試練だ。ノアが背後で見守る中、俺は一歩ずつアートマンへと歩み寄っていく。
「先日、デア・ウテルス大聖堂で手合わせした際にわたしが有する【加護】は堪能して頂いた筈。わたしは我が母より意図して完璧な存在として設計されている」
「…………」
「如何にアーティファクトを操るあなたでも、わたしを倒すことは叶わなかった。それを理解していて尚、わたしを超えようとする意志は認めましょう。しかし、勝つのはわたしです」
アートマンはすでに勝った気でいるのか余裕の笑みを浮かべていた。たしかに、俺は大聖堂でアートマンと手合わせして、傷一つ付けることも叶わずに敗北を喫した。
アートマンは女神アーカーシャの手で【加護】と呼ばれる“神の権能”を大量に搭載されている。こちらの攻撃は命中せず、通用せず、逆に弾き返される……ノアはアートマンを『チートキャラ』だと揶揄していた。
「もう勝った気でいるのか、アートマン? ずいぶんと傲慢だな……自分が負ける可能性なんて微塵にも思っていないようだな」
「客観的に、総合的に見た事実です」
「なら……あんたの観る“事実”ってのも大したことはないな。なにせ……あんたは今から俺たちに敗北して、その揺るぎない事実とやらが嘘だって暴かれるんだからな!」
アートマンの目の前で俺も不敵な笑みを見せてみた。お互いの距離は一メートルにも満たない、魔剣どころか腕すら命中する距離だ。
それにも関わらずアートマンは貫手を構えたまま、いまだに静観を貫いている。俺に『お先にどうぞ』と促しているかのようだ。
「…………」
「…………」
魔剣を左手で逆手に握り、刀身に魔力を注いでいく。その剣圧で足下の水面に波紋が広がり、全身に漲らせた魔力の影響で青空に浮かぶ雲が渦巻いていく。
背後では教皇ヴェーダが不安そうな表情で俺たちを見つめ、そしてノアは小声で何かを呟きながら戦いが始まるのを待っていた。その期待に応えるように、俺は左腕に意識を集中させる。
そして、最高潮に高まった魔力が張り詰め、一際大きな波紋が水面に広がった瞬間――――
「行くぞ、アートマンッッ!!」
「さぁ、遠慮なくどうぞ」
――――俺は魔剣を勢いよく振り上げてアートマンへと攻撃を仕掛けた。
“神殺しの魔剣”ラグナロクが黒い魔力を纏い、獣の咆哮をあげながらアートマンの胴体を目掛けて喰らい掛かる。
その光景をアートマンは微笑みながら見つめている。避けようとする気は微塵にもない。唸りを上げる魔剣に対し、アートマンはただ棒立ちを選択していた。
「【回避の加護】……」
そして、アートマンは瞼を閉じ、静かに言葉を紡いで【加護】を発動させた。次の瞬間、至近距離で胴体目掛けて振り上げられた筈の魔剣がアートマンの目の前の空を虚しく斬り裂いて完全に振り上がった。
いつの間にか俺とアートマンの距離が魔剣が命中しないギリギリの距離まで広がっていた。そう、今しがたアートマンが発動させた【回避の加護】がアートマンを守ったのだ。
「加護を認識……解析を開始……術式を構築……」
魔剣が空を虚しく薙ぎ、アートマンが【加護】を発動させた瞬間、ノアが背後で小さく言葉を呟いた。アートマンは気にも留めていない、俺だけがノアの動きを知っている。
そして、俺たちの“真意”を悟らせないように、俺はアートマンへの追撃を試みた。振り上がった魔剣に集束させた魔力を放出し、刀身に獣の頭部を模した魔力を纏わせる。
「攻撃はまだ終わってねぇぞ! オラァァッ!!」
左腕の義手に仕込まれたモーターを駆動させて、俺は魔剣を無理やり振り下ろした。エフェクトを纏って攻撃範囲を二倍に増やした魔剣がアートマンへと襲いかかる。
「ふっ、無駄です……【堅牢の加護】」
しかし、アートマンはまったく動じる事なく微笑み、【加護】を発動させて自身の目の前に魔力の盾を出現させた。
俺が振り下ろした魔剣はその盾に命中し、“ガキィン!!”と鈍い金属音を響かせて完全に受け止められてしまった。左腕の腕力をもってしてもアートマンの盾はビクともしなかった。
「次はわたしから仕掛ける番ですね……ふッ!!」
そして、魔剣による攻撃を防ぐと同時に、アートマンは一歩大きく踏み込んで俺の懐に潜り込んで来た。
右手を強く握りこみ、その拳に魔力と【加護】を乗せて、アートマンは俺の腹部目掛けて鉄拳を撃ち放とうとしていた。
「ぐぅ……ッ!? おぉぉ……ッ!?」
アートマンの拳が腹部に命中し、装甲を貫通して俺の肉体にダメージを与えてきた。身が捩れるような激痛が走り、思わず苦悶の表情を浮かべてしまう。
そして、鉄拳の衝撃で俺はそのまま吹き飛ばされ、左手から魔剣がこぼれ落ち、何度も水面に身体を弾ませてながら数メートル後方まで転がされていった。
「くっ……ただのパンチなのになんて威力だ……」
「これが“神”の力です。あなたの攻撃は一切通じず、わたしの拳は容易くあなたの命を奪うことができる。それでもまだ諦めないと言いはりますか?」
「ぺっ、当然だろ……俺は死ぬまで諦めない」
口内に溜まった血を吐き出して俺は立ち上がる。アートマンに受けたダメージは重く、いまだに鈍い痛みが全身に走っている。
それでも俺が余裕の笑みを見せれば、アートマンは『理解できない』と言わんばかりの微笑を浮かべていた。
「なら……致し方ありません、今度は殺めるつもりで攻撃します。くれぐれも命を落とさないように気を付けてください、ラムダ=エンシェントさん……ここで終わるのはもったいないですよ」
「へっ、俺よりも自分の心配をしな!!」
息を整えて俺はアートマンに向かって走り出した。魔剣は手からこぼれ落ちた、だから俺は左手を握り拳にしてアートマンに殴りかかろうとした。
そんな俺を見てアートマンは憐れな者を見るかのような表情をしながら、右手を貫手にして迎撃の姿勢を取った。再度、俺の攻撃を【加護】で無力化して反撃を加えるつもりだろう。
「固有スキル【付与】……発動。ラムダ=エンシェントに術式付与……【必中の加護】」
俺の背後でノアが瞳を朱く輝かせながら、反撃の準備を整えた。その瞬間、俺の左手が熱を帯び始める。
その拳に強く握り締めながら、俺はアートマンの懐まで距離を詰めて、アートマンの右頬に向かって思いっ切り拳を振り抜いた。
「ふっ、無駄ですよ……【回避の加護】」
アートマンは微笑みを浮かべて、攻撃を回避する【加護】を発動させた。俺の渾身の鉄拳を回避して、反撃を叩き込むつもりなのだろう。
だが、アートマンの思惑は外れた――――
「わたしに攻撃は当た……らッ!!?」
「これでも喰らぇぇーーーーッ!!」
――――右頬に鉄拳を喰らって吹っ飛びながら。
俺が振り抜いた鉄拳はアートマンの頬に直撃し、アートマンは綺麗に整った顔を歪めながら数メートル吹っ飛んでいった。
そして、背中を水面に擦りながらアートマンは水面に仰向けになって倒れ込んだ。殴られたダメージで頬は赤く腫れ、口からは赤い血が流れている。
「なんだ……“神”でも血は赤いのか?」
「……? ……?? …………??? いったい何が? わたしが……殴られた? わたしの加護が……発動しなかった? いや、そんな筈は……たしかに【回避の加護】は発動した筈……??」
アートマンはよろよろと立ち上がったが、その表情は困惑に満ちていた。本来なら絶対に命中しない筈の俺の鉄拳が命中したのだから。
状況が理解できないのか、アートマンはその場に立ち尽くして考えごとをしている。何が起こったのか理解したいのだろう。
「単純な話ですよ、アートマンさん……私が固有術式でラムダさんに、あなたの【加護】を打ち消す術式を付与したのです」
「……ッ!? ノア=ラストアークさんが……」
「先に手の内を明かしたのは失策でしたね、アートマンさん。おかげで……裁判が始まる前には対抗策は完成していましたよ」
そんなアートマンの疑問にノアが答えた。そう、俺はノアの固有術式【付与】でアートマンの【加護】を打ち消す術式を一時的に付与してもらっていたのだ。
そのおかげで俺はアートマンの【加護】を無視して、アートマンを殴り飛ばすことができた。そして、この戦術こそがアートマンという“神”を超える為の秘策だった。
「まさか……あなた達は……!」
「そうだ、俺だけではあんたは超えられない。だけど、ノアとなら“神”を超えられる! これが俺たちがあんたに示す『人間』の在り方だ!!」
「二人で手を組んで……わたしを超えようと……」
「私たちは足りないものだからけの不完全な存在です。だから手を取り合う……そして、その結束の力は“神”すらも凌駕する!」
「人間の感情が生み出す……不安定な揺らぎ」
俺一人ではアートマンは倒せない。だから俺はノアと共闘する道を選んだ。ノアと手を取り合えば、きっとアートマンをも超えられるだろう。
アートマンは俺とノアが協力し合うことを想定していなかったのか、驚いたような表情をしていた。
「さぁ、ここからが本番だぜ、アートマン! ノアがあんたの加護を無力化し、そして俺がぶん殴ってあんたの“完璧”を打ち負かす!! 俺たちを……不完全な人間を舐めんじゃねぇぞ!!」
ここからが真の対話だ。アートマンの無謬は砕け、アートマンは無敵の存在ではなくなった。
あとは俺たちの力でアートマンを超えるだけだ。




