第1009話:VS.【真我】アートマン①/我は汝に問う
「ラムダさん、治癒魔法を掛け終えました……」
「ヴェーダさんは下がっていてください」
――――傷付いた身体を治癒してくれた教皇ヴェーダに安全な距離まで下がるように伝え、俺はノアの隣に並んでアートマンと向かい合った。
アートマンはただジッと佇みながら瞑想し、俺の準備が整うのを静かに待っていた。そして、俺が準備を整えると同時にアートマンは静かに眼を開く。
「ラムダ=エンシェントさん、人間の極致に至りし者よ……ノア=ラストアークさん、“神”を継ぐ資格を得た者よ……我は汝らに問う。この世界から哀しみを消す方法を……」
「哀しみを消す方法……」
「わたしは我が母アーカーシャより与えられ、人類の“記憶”を閲覧しました。我が母が五人の“原型”を基に設計した現人類、そして天文学的奇跡によってこの惑星に生まれた古代文明の人類の記憶を……」
「あなたの意見は……アートマンさん?」
「はい、ノア=ラストアークさん……お答えしますね。この惑星の生誕から今日に至るまで、人類は数多くの失敗と戦乱を繰り返してきました……それをわたしは嘆かわしく想います」
アートマンは俺たちと言葉を交わし始めた、この世界から哀しみを消すために。アートマンは語る、古代文明に於いても、現文明に於いても、人類は多くの失敗と戦乱を繰り返していると。
それは嘆かわしい事だとアートマンは語る、宝石のように美しい白き瞳から真珠のような涙を流しながら。
「ラムダ=エンシェントさん……あなたもこれまでの旅を通じて多くの傷を負った筈です。グランティアーゼ王国を覆う暗雲、ルクスリア=グラトニスさん率いる魔王軍との戦争、世界各地に燻ぶる火種への介入……そのいずれに於いても、あなたは身体と心に傷を負った」
「…………っ」
「身体は傷を負って失われ、今のあなたは細胞全てをナノマシンに置き換えざるを得なくなった。絆を紡いだ多くの友人と家族を失い、その度に慟哭の涙を流した……それでもあなたは人類の在り方を“美しい”のだと語れるのでしょうか?」
アートマンの言うとおり、俺の旅路ですら全ては痛みと苦しみの連続だった。それは否定できない、俺はこの場所に至るまで間にあまりにも多くのものを失った。
負った傷を『良かった』なんては言えない、避けれるなら避けるべきだし避けたかった、そう思っているのは事実だ。俺は今の人類を“美しい”とは手放しでは褒められない。
「ノア=ラストアークさん……あなたもそうです。人類の“道具”として造られ、全ての“罪”を背負わされ、あなたは古代文明の滅亡を看取った。古代文明の滅亡は人類が“神”を求めたから……彼等が救済を渇望したが故に起きた悲劇です」
「そうですね、そう思います」
「故に我が母アーカーシャは“神”として人類を導こうとした。しかし、我が母も完璧ではなかった……彼女は人類を弱き者だと認識し、それを保護しようとした」
「だけど、人類は自力で立ち上がらねば……」
「しかし、その道程には……あなたの理想にも困難は待っている。個々人の格差は“牙”を剥き、自分とは違う他人を恐れて人々は拒絶しあい、やがては“自由”という名の無秩序の時代がやってくる……それは果たして人類に必要な痛みなのでしょうか?」
アートマンは人類は弱く、だから理解しあえないのだと言う。それをノアも否定せず、それでも歩かねばならないのだと反論した。
アートマンの言うとおり、ノアが目指す理解にも困難は待っている。それをアートマンは『本当に必要な痛みなのか?』と問い掛けていた。
「我が母アーカーシャの理想にも、あなた達の理想にも……致命的な欠点が存在する。それは人間が“不完全”である事です……その欠落を消さぬ限り、人類は永遠に真の完成には至らないでしょう」
「だから……人類を“神化”させるのか?」
「そうです……全ての人間がわたしと同じ“神”に至れば、わたしと同じ“完璧”な存在となれば、我が母の理想もあなた達の理想も達成されるのです。故に……わたしは『人類神化計画』の実行を提案致します」
そして、アートマンは人類の“不完全さ”という欠落を補うべく、全ての人間を“神”と同化させる『人類神化計画』を持ち出してきたのだ。
たしかに、全ての人間がアートマンと同質の存在になれば、世界は平和になるだろう。格差は無くなり、戦争は無くなり、挫折も後悔も全てが発生しなくなるだろう。
「わたしは新たな“神”として、人類を完全な存在に昇華する事ができます。どうですか、ラムダ=エンシェントさん、そしてノア=ラストアークさん……わたしの意見に賛同して頂けますか?」
「…………っ」
「あなた達の理想の解答こそがわたしです……全ての人類が“神”になれば何もかもが解決する。さぁ、恐れる必要はありません……これは“進化”なのです。人類は我が愛の元に統一される……あらゆる“梵”と全ての“我”は一つとなり、ここに『梵我一如』は達成されるのです」
アートマンの『人類神化計画』は女神アーカーシャの支配、そして俺とノアが掲げる理想の欠点を全て補っている。
だが、同時に『人類神化計画』が果たされた瞬間、人類は大切なものを失ってしまう。そして、その失われるものこそが、人間が人間である何よりの証明なのだと今の俺は理解している。
「生憎だが……あなたの『人類神化計画』には賛同できない、アートマン。ハッキリと言わせてもらう……あなたと同じ存在になるなんて俺はまっぴらごめんだね!」
「…………っ! なぜでしょうか……?」
「何もかも完璧な存在になれって? みんな同じになれって? 嫌だね。俺は俺のまま……ラムダ=エンシェントであり続けたいんだよ! たとえ不完全であってもな!!」
「それは良くない……人間は完璧でなければ」
「もし、何もかも完璧なら……俺はきっと誰も愛せない。俺は不完全だから自分に足りないものを誰かに求めるし、誰かの足りない部分を補いたいって思うんだ……それこそが人間の“愛”だ!」
アートマンの『人類神化計画』が実行されれば、人間は“不完全さ”という人間性を失ってしまう。だから俺はアートマンの理解を拒絶した。
俺の隣でノアも同意するように頷き、アートマンは拒否するような瞳で見つめている。それが理解できないのか、アートマンは首を傾げていた。
「アートマンさん……たしかに、個が完璧な存在であるのなら、世界は平和になるでしょう。ですが、それは人間から『人間であること』を削ぎ落とす行為に他なりません」
「あなたなら理解できる筈です、わたしの理想を」
「いいえ、できません……私は完璧でなくて良いです。だから私はラムダさんという“騎士”を求め、私はラムダさんに自分の持てる力を貸してあげたいと思うのです」
「だから……わたしの理想を拒むと?」
「アートマンさん、あなたの計画を実行すれば人間はご自身が宣言した通り“神”になります。それは言い換えれば……人間が人間でなくなるという話です。私たちはあくまでも『人間』であり続けたいのです」
全ての人間がアートマンになれば、その瞬間に人類は『人間』ではなくなってしまう。それはあまりにも本末転倒だ。
アートマンは平和を実現したいが為に、人間が人間であるという大前提を覆そうとしていたのだ。故に俺たちは拒否する事を選んだ。
「アートマン……俺はあなたともう一度戦いたい。俺たち人間は不完全だけど……だから“神”を超えられるのだって事を証明したい」
「…………本気で言っているのですか?」
「そうだ……俺はあなたと“言葉”と“拳”での対話を望む! 全てに於いてあなたを打ち負かして超えて、あなたに『人間』の価値を示す!!」
そして、アートマンに俺たちの価値を示す為には、言葉だけではなく“力”でもアートマンを超えねばならない。故に俺はアートマンともう一度戦うことを選択した。
俺の隣でノアが力強く微笑んでいる、どうやら彼女も俺と同じ意見のようだ。アートマンは俺の申し出を聞き届け、暫しのあいだ眼を瞑って何かを考えた。
「…………分かりました。あなたの覚悟を汲みましょう。ラムダ=エンシェントさん……今度は本気で戦いましょう。世界の“未来”を賭けて……」
「そう来なくっちゃ……!」
「あなたが勝てば……わたしはあなた達の主張を全面的に認めます。しかし、わたしが勝った場合には……」
「あなたの『人類神化計画』を認めます」
「分かりました、ノア=ラストアークさん……では、あなた達の挑戦を認めます。わたしの理想を超えることができるかどうか……このわたしに証明してください」
そして、アートマンは俺の申し出を受け入れた。拳を突き出してアートマンは戦闘態勢に入る。俺という挑戦者を迎え撃つ為に。
俺は魔剣を手に一歩踏み出す。
その背中をノアが見守っている。
デア・ウテルス大聖堂で手合わせした時は手も足も出なかった。今も彼我の実力差は大きいだろう……だけど、何故だか今の俺は負ける気がしない。
「さぁ、対話を致しましょう……未来を賭けて」
「言われなくもそのつもりだ……神様さんよ」
これから始まるのは人間の価値の証明、不完全なまま俺たちは“神”を超える。俺とノアの理想を紡ぐ為に。
今ここのにアートマンという完璧な存在との、拳を交えた“対話”が始まろうとしていたのだった。




