第1004話:VS.【大聖女】ヴェーダ=シャーンティ③/雨にも負けず、風にも負けず
「くっ……結構痛いじゃないか……っ!」
――――教皇ヴェーダが繰り出した槍の刺突を喰らった俺は吹き飛ばされて建物に激突、壁に大きなヒビを入れながらその場に片膝をついてしまった。
腹部には装甲を貫通して槍が刺さった傷ができ、傷口からは激痛が走っていた。即座に自己修復を試みるが、鈍い痛みは治まりそうになかった。
(タウロスとの戦闘ダメージはルチアがいくぶんか回復してくれたけど……その後のアーカーシャとの戦闘での疲労が残ってるな。動きが思っている以上に鈍い……)
教皇ヴェーダが向こう側から歩いてくる。俺を警戒しているのか、周囲に複数の魔方陣を展開して大量の“遺物”を召喚しているのが見える。
(ヴェーダはたしか……アーカーシャに憑依されている最中にノアと戦っていたはず。向こうも疲労やダメージが蓄積しているはずだけど……相手の不調に期待するのも野暮か)
荒い息を整え、歯を食いしばって痛みを誤魔化し、教皇ヴェーダに勝つ方法を考えながら俺は立ち上がる準備を整える。
「…………っ! これは……白い花?」
そして、立ち上がろうと膝に手をついて地面に一瞬だけ視線を向けた瞬間、俺は地面に白い花が咲いているのを発見した。
降り注ぐ雨にも負けず、薄暗く退廃とした雰囲気にも飲まれずに強く美しく咲く一輪の花。教皇ヴェーダが『醜い世界』だと罵った場所には似つかわしくない代物だ。
「戦闘中によそ見ですか……慢心も甚だしいですね」
その白い花に一瞬だけ意識を向けた。次の瞬間、教皇ヴェーダは俺がよそ見をした事を不服に思ったのか展開した“遺物”を一斉に撃ち出してきた。
複数の両刃剣が俺めがけて勢いよく飛んでくる。俺は攻撃に気が付くとすぐさまに立ち上がり、その白い花を護るように魔剣と可変銃を駆使して迫りくる攻撃を捌き始めた。
「くっ……このォォッ!!」
「なんですか……その粗雑な動きは?」
その白い花には意味がある、そう考えた俺は咄嗟に花を護るように行動してしまった。教皇ヴェーダはその場から一歩も動かない俺を見て不機嫌そうな声を出した。
背後に建っていた建物は一瞬で瓦礫の山に変えられた。降ってくる瓦礫も弾きながら、俺は教皇ヴェーダの猛攻に耐え続けた。
「どうやら……アーカーシャ様との戦いで相当に力を使い果たしたようですね? 動きが止まって見えますよ……」
「疲れてんのはお互い様だろ?」
「ふっ……ノア=ラストアークとの戦闘のダメージなど取るに足りません。それに……わたくしが力を使い切る前にあなたを倒してしまえば何の問題もないのですから!」
今が攻め時とばかりに、教皇ヴェーダは撃ち出す“遺物”をさらに増やしてきた。頭上一面を覆うように展開された魔方陣からは過去の英雄たちの残した様々な“遺物”が攻撃を仕掛けてくる。
魔剣を全力で振り抜き、空を薙いだ刀剣から衝撃波を放って弾幕のような攻撃を防いでいく。目の前で眩い閃光を伴う爆発が発生し、周囲一帯に嵐のような暴風が吹き荒れる。
「くっ……耐えろよ……」
降り注ぐ雨にも負けず、吹き荒れる風にも負けず、白い花は力強く咲き誇り続けていた。散る気配も萎れる気配もない。
教皇ヴェーダが見限ったような劣悪な環境の中、俺たちの戦闘にも決して屈さず、白い花は凛として花を咲かせ続けていた。
「いったい何を守って……それは……白い花?」
そして、俺の様子がおかしい事に気が付いた教皇ヴェーダも視線を俺の足下に向けて、とうとう白い花を発見した。
教皇ヴェーダは首を傾げた。
彼女から見れば俺が護っているのは、何の変哲もないただの花なのだから。だけど、その白い花は俺にはとても重要なものに見えていた。
「あんたが『醜い世界』だって切り捨てたこの街にも……こうやって美しく花が咲いているんだ! 雨にも負けず、風にも負けずに……それがあんたには分からないのか!」
「そんな花ごとき……なんだと言うのですか?」
「あんただって同じだろう、ヴェーダ=シャーンティ……あんただって、この『醜い世界』からのし上がって教皇まで上り詰めた“美しい花”だろう? あんたは自分まで否定するつもりか!」
「…………ッ! そ、それは……」
「たしかに……あんたの故郷はどうしようもなく醜いのかも知れない、今の世界もまだまだ醜いのかも知れない。けどな……そんな世界でも諦めずに立ち上がり、美しくあろうとする人たちが居るんだ! どうしてその気持ちを忘れたんだ、あんたはッ!!」
俺の言葉で、雨が降りしきる街で美しく咲く花と、かつてその街から這い上がった自分とを重ね合わせた結果、教皇ヴェーダは言葉を詰まらせて僅かに動揺した。
そう、たとえ『醜い世界』であっても、その全てが醜い訳では決してない。どんなに苦しくても、どんなに絶望的でも、決して諦めずに、美しくあろうと足掻こうとする者は必ず居る。教皇ヴェーダ自身もその一人だ。
「わ、わたくしが教皇に上り詰めたのは……アーカーシャ様に必要とされたからです! わたくしに意志などありません……わたくしは“希望”なんて抱いては……」
「嘘だな……なら、なんであんたはゴミを漁ってでも生きようとしたんだ? 負けたくないからだろ、惨めなまま終わりたくなかったからだろ、醜いままの自分でいたくなかったからだろ? あんたは『舞台装置』なんかじゃない……必死に生きようとしている人間だ!!」
「黙りなさい……そんな妄言なんて……!」
「俺は負けたままなんて、惨めなままなんてまっぴらごめんだ! だから決して諦めない……雨が止まないなら晴れるまで待つ! 風が吹くなら踏ん張って耐える! たとえ泥水を啜っても、ゴミを漁ってでも生き抜いて“勝利”を掴み取ってやらァ!!」
「うるさい……黙りなさい、黙って!!」
「ここはあんたの心象風景なら……この白い花こそがあんたの本心だ、ヴェーダ=シャーンティ!! “希望”から目を逸らすな、“理想”を諦めるな、俺たち人間には無限の“可能性”が眠っているんだ!!」
この雨の降りしきる街が教皇ヴェーダの心象風景なら、その世界に美しく咲く白い花は『ヴェーダ=シャーンティの心』で間違いない。彼女はきっと救いを求めている、誰かが手を差し伸べる瞬間を待っている。
それを認めたくないのか、教皇ヴェーダは声を荒げて俺を否定してきた。一度折れて屈した心を再び立ち上がらせるのが怖いのだろう。ほんの一瞬だけ、彼女の心を反映するかのように周囲の風景がノイズが走ったように乱れた。
「戯言を……あなたは子どもだからそんな妄想が語れるのです!! この世界は醜く残酷です……立ち上がる事に意味なんてありません!!」
「なら……俺を倒して証明してみせろ!」
「良いでしょう……なら、あなたも、その花も、もろとも踏み躙って差し上げます! この世界に“美しさ”を見出すこと自体、不毛だと言うことを教えて差し上げましょう!!」
俺の挑発に乗った教皇ヴェーダは魔杖を強く握ると足下に転移陣を展開して転移、俺の目の前に現れて魔杖を振り下ろしながら襲い掛かってきた。
その直情的な攻撃を見切った俺は魔剣で教皇ヴェーダの魔杖を受け止めて、同時に白い花を踏み潰そうとした彼女の足を自分の膝で受け止めた。
「この……ッ!!」
「現実に打ちのめされそうになる気持ちは理解できるよ……俺だって、自分のせいで王立騎士団が瓦解して、王都が消滅した時には諦めそうになった。けど、諦めたら駄目なんだ……」
「わたくしを惑わさないで……」
「辛くて泣いても良い、悲しくて躓いても良い……けど、最後には必ず立ち上がるんだ!! どんなに傷付いても、どんなに打ちのめされても……立ち上がり続ける限り、俺たちはまだ負けてなんかいないんだ!!」
「…………ッ!!」
かつて、アインス兄さんにそう励まされた。いま俺はかつて兄に言われたことを教皇ヴェーダに語り掛けていた。
俺の言葉を聞いた教皇ヴェーダの表情が苦しそうになって、魔杖を握る手に迷いが生じた。いつの間にか忘れてしまった感情を今、彼女は思い出そうとしているのだろう。
「俺は諦めない……あなただって救ってみせる! ヴェーダさん、俺はあなたの友人であるカプリコーンさんの為にも……あなたをアーカーシャから解放する!!」
「…………ッ! わたくしを……!」
「だから俺の手を掴んでくれ……一緒に帰りましょう!! もうアーカーシャの言いなりになんてならなくて良いんだ!! あなたはもう……自由になって良いんだ!!」
必死に呼び掛けて、教皇ヴェーダに救いの手を差し伸ばした。女神アーカーシャの操り人形と化した『ヴェーダ=シャーンティ』を救うべく。
教皇ヴェーダの表情には迷いが見える。もっと呼び掛けないと彼女の凝り固まった心は解せないのだろう。
だから、俺は渾身の力で右手を伸ばし――――
「目を覚ますんだ……ヴェーダさん!!」
「わたくしは、まだ……うあッ!?」
――――渾身の力で教皇ヴェーダの頬を殴りつけたのだった。




