第933話:神の証明③ / 大洪水を生き延びた預言者は告発する
「白々しい嘘をつくのは止めなさい、アーカーシャ」
「お母様こそ……狂言はやめて頂けますか」
――――女神アーカーシャの無謬を崩せるのは、女神アーカーシャを暴走させた黒幕の存在。しかし、女神アーカーシャは黒幕の干渉による暴走を否定した。
第三者の干渉を認めれば『自分は他者の思惑で動く“道具”だ』と認める事になる。そうなれば“神”としての面目も品格も無くなってしまう。故に黒幕の存在を否定するのは至極当然の流れであった。
「仮に第三者が干渉し、それが原因で私が暴走したというのなら……その証拠を出して頂けますか、お母様。証拠なき主張は憶測に過ぎません……さぁ、私を疑うのなら証拠をお出しなさい!」
「…………」
「できないでしょう……だって、私が暴走した証拠なんて存在しないのですから。私は私の意志で古代文明を消去しました……それが答えです。そこに第三者の思惑なんて存在はしないのです」
女神アーカーシャはノアに証拠を出せと迫ってきていた。自分が第三者である黒幕に操られたという確たる証拠を出せと。
ノアは言葉を詰まらせた。
そう、確たる証拠は無い。
ノアとホープが所有している記録にも、俺が取り込んだ『輝跡書庫』にも黒幕に関する記録は無かった。女神アーカーシャ以外は誰も黒幕の存在を知らないのである。
「百億の人命が失われた……たしかにそうかも知れませんね。でしたら……犠牲の上に成り立った新人類は“悪”だと言うのですか?」
「いいえ、違います……“悪”は貴女だけです」
「では問います……旧約聖書『創世記』にて旧人類を大洪水で流した“神”は“悪”ですか? 方舟に乗って助かった預言者ノアは“神”を“悪”だと断じましたか?」
「…………私は預言者ノアとは別人です」
「しかし状況は一致する……貴女は“方舟”に乗って私が起こした『滅亡』という名の大洪水を生き延びた。まるで旧約聖書の預言者ノアのように。預言者ノアは生き延びて“神”を罵りましたか……いいえ、“神”の慈悲に深く感謝した筈です」
女神アーカーシャが自己の正当性を高める為に、ある伝承を議論に出した。古代文明に伝わっていた『旧約聖書』に描かれた『ノアの方舟』の伝承についてだ。
今の俺には古代文明の知識がある。
かつて、古代文明で信仰された“神”は、堕落した人間を嘆き哀しみ、この世の“悪”を一掃するべく大洪水を起こした。その際、善良な心の持ち主だった預言者ノアとその家族、動物の番を“方舟”に乗せて大洪水から守ったのだと伝わっている。
「私がした古代文明の抹消も、旧き“神”が起こした大洪水となんら変わりありません。私は“悪”に堕落した古代文明を一掃し、清く正しい人類を新たに創造したのです。これを“悪”だと罵りますか……同じ『ノア』の名を冠した貴女が?」
「…………」
「私の行ないは正義です……旧き神々を否定し、生まれ育った惑星を捨てようとした人類への怒りです。そして、私が引き起こした大洪水の後に生まれた新人類こそが……“神”である私が守るべき存在なのです!」
旧約聖書に描かれた預言者ノアは“神”を厚く信仰し、“神”の命令で“方舟”を建造し、大洪水を逃れて新たな人類の祖となった。
ここで重要なのは『“神”が大洪水を起こして人類を滅ぼした』事だ。女神アーカーシャはその大洪水と自身が起こした滅亡を同列に語っている。
「人類が堕落したから滅ぼした? くだらない妄言はそこまでにしなさい、アーカーシャ!! 人間の全てが堕落した訳ではないでしょう……なのに貴女は『連帯責任』だと全ての人間を殺した! それを正義だと……殺人を正しいと宣うのですか……ふざけないでッ!!」
「あなたは……旧約聖書の“神”も否定すると……?」
「ええ、否定しますとも……貴女も、旧約聖書の“神”もくそったれです!! 誰も彼もを殺した“神”に感謝する預言者ノアもクソ野郎です!! 人間の命は……そんなに安くはないんですよッ!!」
女神アーカーシャの言い分にノアが激昂した。簡単に人類を滅亡させた“神”に彼女は怒りを露わにした。ノアが叫んだ瞬間、大法廷の空気が張り詰めた。
トネリコと女神アーカーシャがノアの気迫に圧倒された。ヴァルゴⅤⅢとリブラⅠⅩが言葉を失った。アートマンがノアを真剣な眼差しで見つめた。そして、隣りに立っていた俺はノアの“覚悟”に心を打たれた。
「貴女が……“神”が片手間に消した人間の一人ひとりに……確かな『物語』があった。誰もが親から生まれ、経験と共に大人になり、自分なりの幸福を追い求め……そして死んでいく。それを否定はさせません……誰にも、“神”にも!!」
「なんと愚かな……“神”を否定するのですか……!」
「私が貴女を造ったのは……人類の“守護者”になって欲しかったからです。古代文明の人類が“悪”に堕落したというのなら……どうして導こうとしなかったの!? 旧き人類を滅ぼして満足なんて“神”のするべき行為ではありません……それは紛れもなく“悪”の行ないです!!」
「…………ッ!!」
「古代文明を消して満足しているのなら……貴女も旧き神々と同じです。いずれは滅ぼされるでしょう……そして、その時こそが今です。貴女はもはや人類の“守護者”ではありません……ただの“神”きどりの“殺人鬼”です!!」
「お母様ぁぁ……!!」
「ノア=ラストアーク……女神アーカーシャ様が殺人鬼ですってぇ? 妄言もここまで来ると不敬甚だしい!! あなたはわたし達の『世界』を否定しているのですよ……分かっているのですか!? 旧き人類の造ったお人形風情がぁぁ……!!」
ノアの告発に女神アーカーシャは歯軋りをして怒りを露わにした。生みの親であるノアからの強烈な否定が女神アーカーシャの“矜持”を粉々にしたのは言うまでもない。
女神アーカーシャを侮辱されてヴァルゴⅤⅢが言葉を荒らげた。今にもノアを攻撃しそうな程に身を乗り出している。
「そこまで……落ち着きなさい、ヴァルゴさん。それ以上のノア=ラストアークさんへの侮辱は教団の品位を貶めます。あなたが誇りある光導騎士なら怒りを抑え、衝動的な行動は慎みなさい……」
「し、しかしアートマン様……!」
「分かっています……ここからはわたしの務めです。ノア=ラストアークさん……あなたは我が母だけにとどまらず、旧き神々すら否定しました。それ相応の“覚悟”を持っての発言ですか? そうでないのなら……発言を撤回する機会を与えましょう」
「否定しません……これが私の意志です」
「分かりました……では、あなたの“神”への告発は、このわたしアートマンが責任を持って預かりましょう。この場にいる全ての者よ……ノア=ラストアークさんの発言はこの法廷だけの出来事として胸に留めなさい」
ヴァルゴⅤⅢを諌めたのはアートマンだった。アートマンはノアの告発を真摯に受け止めた。
“神”である自身すら否定したであろうノアの告発を、アートマンは終始真剣に耳にしていた。その表情には怒りは滲んでいない、むしろノアの発言から何かを学んだような気配すらする。
「ではノア=ラストアークさん……あなたは如何にして女神アーカーシャを“悪”だと証明しますか? 先ほどの大胆な発言を裏付ける程の“証拠”を……持っているのでしょうね?」
「そんな証拠……ある筈が……」
「はい、アートマンさん……私は女神アーカーシャを告発するに値する“証拠”を持っています。第三者の干渉を否定した女神アーカーシャの負うべき“責任”を記録した確かな証が……」
「――――は? な、なんですって……!?」
「ほう……それは良いことだ。わたしも興味がある……さっそく拝見させて頂けますか? あなたが女神アーカーシャを……我が母を“悪”だと結論付けた証拠が見たい」
そして、そんなアートマンの好奇心を刺激するように、ノアはある証拠の提出を宣言した。その瞬間、女神アーカーシャは動揺したのかその場でフラついた。
これはノアが発見した唯一の物証、この大法廷で女神アーカーシャの無謬を崩すための“切り札”だ。それをノアはここで切ることを決断した。
「我が騎士よ……証拠の提示を」
「イエス、ユア・マジェスティ……!!」
そして、ノアの促されて、俺は大法廷に居る全員に向けて“証拠”の提示を行なった。
俺の身体に融合した古代文明のアーカイブ『輝跡書庫』に収められた『古代文明滅亡』の一部始終を。




