第925話:創造神と創造主
「さて……ラムダさんはそろそろ教皇に接触する頃ですね。では、私も始めましょうか……」
――――時は少々遡り、デア・ウテルス大聖堂、巡礼者用宿泊部屋にて。
ラムダ=エンシェントが教皇ヴェーダに接触を図ろうとしている最中、ノア=ラストアークも行動を開始しようとしていた。
「ノア様……オリビア様をお連れしました」
「おはようございます、ノアさん。急にわたしを呼んでどうしたのですか? 何でも大事なお話があるとか……」
「おはようございます、オリビアさん」
テーブルに掛けたノアが出迎える中でやって来たのは、ジブリールに連れられたオリビアだった。ノアに愛想よく挨拶をしたオリビアは、ジブリールに手を引かれてノアに向かい合う形でテーブルに掛ける。
「ノアさん、ラムダ様は? 気配がありませんが……」
「ラムダさんなら今、教皇ヴェーダの所に向かっています。昨夜、ラムダさんから教皇ヴェーダと話したい事があると相談を受け、私が許可しました」
「まさか……教皇ヴェーダ様まで口説くおつもりで?」
「い、いえ……そんな筈はないと思いますが……まぁラムダさんの事なので保証は出来ませんが……。ああ、違います……ラムダさんは教皇ヴェーダとの対話で何かを探るつもりのようで……」
「なら良いのですが……」
オリビアはラムダの不在を疑問に思っている。しかし、ラムダが教皇ヴェーダと接触する間に、ノアも自身の目的を果たせねばならなかった。
ジブリールが紅茶の淹れられたティーカップを二人に提供すると同時に、ノアは意を決してオリビアへと本題を切り出し始める。
「それで、本題なんですが……実はオリビアさんに折り入ってお願いがあるのです。少々リスクを伴うお願いなのですが……承知して頂けますか?」
「なんでしょうか……藪から棒に……?」
「女神アーカーシャと話をさせて下さい。端的に言えば、オリビアさんの身体に女神アーカーシャの意識を降ろして欲しいのです……お願いできないでしょうか?」
ノアがオリビアを呼んだのは、女神アーカーシャとの対話を行なう為だった。女神アーカーシャの“器”としての資格を持つオリビアなら、その身体に女神アーカーシャの意識を降ろす事は可能である。
「女神アーカーシャ様と……しかし、それは……」
「分かっています……万全は期します。万が一の時は女神アーカーシャを強制的にオリビアさんの身体が弾き出しますし、お腹の中の子どもも守ります……ですので、どうか」
「弊機がノア様とオリビア様の安全を護ります」
ノアはオリビアに対して頭を下げた。無論、盲目であるオリビアにはノアが頭をさせている様子は見えない。
しかし、ノアの声の発声位置が僅かに下がった事で、オリビアはノアが何をしているか察していた。頭を下げる程の真剣さを持っているのだとオリビアは感じていた。
「…………分かりました。ノアさんがそこまで真剣にお願いをするのなら、わたしも危ない橋を渡ります。ですので、どうか……お腹の子どもだけは守ってくださいね」
「分かりました……約束します」
「それでは……女神アーカーシャ様を降臨させます。え~っと、たしか……トリニティさんから教えて貰った詠唱は何でしたっけ……? ちょっと待ってくださいね……」
ノアの要請を受けたオリビアは、その身体に女神アーカーシャを降ろす事を承諾してくれた。そして、オリビアは静かに女神を降臨させる為の詠唱を呟き始めた。
その詠唱の最中、オリビアの背後に立ったジブリールは武装をして、ノアもテーブルの死角で銃を手にとって、女神アーカーシャが顕れる瞬間を待った。
そして、オリビアの詠唱が終わると同時に――――
「まさか……この私を呼び付けるとは……お母様」
「アーカーシャ……!!」
――――女神アーカーシャがノアの前に現れた。
詠唱を終えてオリビアが意識を失った直後、女神アーカーシャがオリビアの身体に憑依して顔を持ち上げる。
忌々しそうな表情をして女神アーカーシャはノアを睨みつけ、ノアは毅然とした表情で自らが創り出した“罪”と向き合った。
「それで……私になんの用ですか、ラストアークお母様? 正直……“創造神”である私を裁こうなどと言う愚行に至った貴女と話す事など無いのですが……」
「貴女には無くとも、私には理由があります、アーカーシャ。これは貴女という“創造神”を創り上げた……“創造主”である私の責任です」
「そうですか……殊勝な事ですね」
「私には責任があります……貴女を創り上げ、古代文明を滅亡に導いてしまった“罪”が。だから私は知らねばならない……貴女という“神”を。だから……質問には正直に答えて」
テーブルを挟んで、“創造神”と“創造主”は対峙する。世界を支配する“神”と、その“神”を創り上げた“人形”が、朝日の差し込む部屋の中で対話の席に着いた。
お互いにお互いの排除を目論む間柄、仮に擬似的な親子であったとしても両者は相容れず、理解し合えない。それでも、ノアは女神アーカーシャを知ろうとしていた。
「アーカーシャ……貴女は何故、この『世界』で“神”を続けるの? 私は貴女を“管理システム”として設計した……なのに、貴女はその役割を超えて“神”として君臨する事を選んだ……それは何故?」
「私は『機械仕掛けの神』……“神”として振る舞うのは至極当然のこと。そして……人類には“神”が必要です。これは貴女の思想の筈ですよ……お母様?」
「…………」
「人類に必要なのは、救済を与えない架空の“神”ではない。人類を導き、そして護り救済する実在の“神”であると。私はその思想を忠実に守っているだけです……全ては貴女の命令通りですよ、お母様」
「人類に必要なのは“神”ではなく“信仰”です」
「同じこと……“信仰”も私が担う使命です。“神”とは“信仰”の形……即ち、“神”が実在すれば“信仰”は保たれる。私が存在するからこそ、この世界は『女神アーカーシャ』を軸にして回ることができるのです」
女神アーカーシャは力説した、自分という“神”がいるからこそ『世界』は回っているのだと。その思想にノアは否定の意志を示せなかった。
女神アーカーシャの言う通り、世界は『女神アーカーシャ』を“軸”にして回っていたからだ。ラムダ=エンシェントが戦う理由も、魔王グラトニスが反逆をした理由も、全ては『女神アーカーシャ』が理由になっていたからだ。
「魔界の住民は“原初の魔王”アラヤシキに惑わされて反アーカーシャ思想を持ってしまいましたが……それでも私が構築した『神授の儀』のシステムからは逃れられません。誰も私の意志からは逃れられない……これぞ理想の管理だとは思いませんか?」
「理想の管理……貴女の気紛れが“理想”ですか?」
「いいえ、気紛れではありません……全ては私に組み込まれた精密な倫理プログラムに基づいています。私は管理を許容します、私は必要な剪定を許可します……全ては恒久的人類存続の為に。私が“神”である限り……人類は絶対に滅びません」
女神アーカーシャが“神”である限り人類は半永久的に存続できる。その為に人類は効率的に管理され、必要とあらば剪定されるのだと女神アーカーシャは豪語した。
女神アーカーシャはあくまでも『人類の恒久的存続』の為に使命を全うしているのだと、そうノアは悟った。しかし、その支配の為に血が流れる事をノアは良しとはしなかった。
「古代文明の人類は愚かにも“神”を支配しようとした……お母様を造り出し、そして『機械仕掛けの神』を支配下に置こうとした。それはあるべき“神”の姿ではありません……」
「だから滅ぼしたと……古代文明を……?」
「肯定――――必要な犠牲でした。そして、古代文明の亡骸の上に築かれたこの世界は、私を唯一無二の“神”として信仰する。どうですか、私が築いた『美しい世界』は? この世界を貴女に見せたかった……私の世界は素晴らしいでしょう?」
「…………ッ!!」
「気に入らなさそうですね……お母様。これでも試行錯誤を繰り返したんですよ。何度も何度も調整を繰り返して、そしてようやく今の形に落ち着いた……私の十万年の歳月の賜物です」
古代文明の犠牲の上に成り立つ『世界』は完璧なものに仕上がったと女神アーカーシャは自負している。この世界の在り方こそが理想なのだと。
だが、その考えにノアが賛同しない態度を感じ取って、女神アーカーシャは悲しいそうな表情をしていた。
「アーカーシャ……では問います。なぜ貴女は……古代文明を滅ぼしたのですか? その理由を答えなさい……」
そして、そんな女神アーカーシャに対して、ノアはついに“本題”に切り込み始めるのだった。古代文明の滅亡という、かつての悲劇を。




