第924話:たとえ、我が神が間違いだらけでも
「ラムダ=エンシェントさん……さぁ、語りなさい。なぜ貴方は戦うのですか……貴方は何を信仰するのですか? わたくしに語りなさい……貴方の“神”を」
――――教皇ヴェーダは俺に“神”を問うた。ラムダ=エンシェントという人物は如何にして女神アーカーシャの信仰から離れ、ノア=ラストアークを信仰するようになっていったのかを。
それはこれまでの人生の軌跡の証明。
それは俺が歩んだ“旅”の全てを語る事。
脳裏にこれまでの人生が走馬灯のように蘇る。両親との記憶を兄弟たちとの記憶、仲間たちとの記憶、強敵たちとの記憶、そして愛する人との記憶。その出逢いと別れから得た感情を、臆さずに俺は言葉にして語り始める。
「俺は……この『世界』に何の疑問も抱かずに生きてきた。父さんから受けた厳しい教育も、母さんの“死”も……全ては女神アーカーシャ様が課した試練だと思って生きていた。全ては立派な“騎士”になる為の試練なのだと……」
「それは違うと言うのですか……?」
「あの日……15歳になった証として受けた『神授の儀』で、俺は『君は世界には不要だ』と言われた。強く焦がれた“騎士”にはなれず、与えられた【ゴミ漁り】だなんて運命に深く絶望した」
「それが貴方の運命だった筈では?」
「心の底から『なりたい』と思う“願望”を否定するのが“神”の慈悲なのでしょうか? たとえ才能が無くとも……“願望”を持つ事は許されるべきではないのでしょうか?」
俺は『神授の儀』で女神アーカーシャによって人生を否定された。両親と約束した筈の“騎士”への道は閉ざされ、与えられたのは【ゴミ漁り】という職業だった。
その日から、俺の中で“信仰”は揺らいだ。
俺が信じていた“神”は俺を否定したからだ。
俺は自分が信じられなくなった。そして、無我夢中で『これは何かの間違いだ』と焦燥感に駆られ、王立騎士になるという立身栄達に支配されて道を踏み間違えた。
「無才ゆえの末路を貴方は知っている筈では?」
「…………たしかに、俺には“騎士”としての才能は無かったのかも知れません。自分の想いに正直で、組織の倫理にすら時に歯向かう……俺は貴女のような“装置”にはなれなかった。そして、王立ダモクレス騎士団の消滅を引き起こして挫折した……」
「そうです……女神アーカーシャ様の裁定は正しい」
「けど、たとえ間違っていたとしても……“騎士”を目指して戦った日々は無駄ではなかった。手に入れた名声も、失った絆も……全ては今の自分に続いている。冒険者として、王立騎士として駆け抜けた日々は……今も俺の“魂”に刻まれている」
「それが……貴方の“信仰”にどう関係あると?」
俺は女神アーカーシャに『貴方には騎士の才能は無い』と直々に宣言された。そして、その無慈悲な宣言通り、俺は王立騎士としての破滅を辿った。
けれど、その破滅も今の俺を形作っている。
その過ちを無かった事にはできない。
間違ったまま進んで、多くの生命を奪った。多くの人々と敵対した。多くの“願望”を打ち砕いた。俺には“罪”がある、その現実から目は逸らす事はできない。
「俺はたくさん道に迷いました……けれど、そんな俺を常に支えてくれた女性が居ました。どんなに間違えても、どんなに挫折しても、ずっと俺を支えてくれていた“相棒”が居ました……」
「…………ノア=ラストアーク」
「ノアは……いつも俺に道を示してくれた。女神アーカーシャから見放された俺を……必要としてくれた。彼女は……俺をずっと“騎士”だと言ってくれた」
ノアは言った、人間には“信仰”が必要だと。“神”とは“信仰”を手っ取り早く形にした存在にすぎないのだと。信仰の対象が空席になれば、人間は空席に『別の何か』を座らせて神格化させるるのだと。
ならば、女神アーカーシャが消えた俺の“信仰”の空席に座ったのは、間違いなくノア=ラストアークその人だろう。何故なら、俺はずっと“ノアの騎士”として戦い続けていたのだから。
「貴方と同じです……俺はノアが必要としてくれたから、彼女の“願望”を支えたいと思うようになった。あの日……魔狼に傷を負わされた俺を救った瞬間から、ノアこそが俺の“神”になっていた」
「だから女神アーカーシャ様に逆らうと……」
「ノアの“願望”の前に敵が立ち塞がるのなら……俺はその尽くを斬る。それが“ノアの騎士”として……ノアを生涯の“王”と見定めた我が使命……!」
「その殺戮は……貴方が非難する教団と同じでは?」
「ええ、その通りでしょう……俺はノアの為なら、この手を血で染める事を厭わない。けれど、その殺戮を俺は決して『正義』だとは思わない……我が王もそのようには思わないでしょう」
「では……間違ったまま進むと言うのですか?」
「必要なら手を染めます……けれど、どうしても受け入れられないのなら、俺は我が王にも異を唱えます。ノアは絶対の『正義』なんかじゃない……何度も失敗や間違いを犯す人間なのだから」
「そんな不完全な存在……“神”だとは言えませんね」
「たしかに……ノアは不完全でしょう。リアクションは大袈裟で何もかも演技臭いし、隙あらばふざけて場を白けさせる……とてもじゃないですが、清楚な淑女とは言い難い」
「ならば、なぜ彼女を信仰するのですか……」
「けれど、そんなポンコツなノアが……どうしてか堪らなく、愛おしいと思ったから。もっとノアを知りたい、もっとノアを支えたい、もっとノアの欠点を補いたい……そう思ったら、いつの間にか俺はノアを信仰していた」
ノアは欠点まみれな“不完全な存在”だ。何でもかんでも大げさにリアクションをとって、隙をみてはふざけて、時には大胆にトンチキな事をして俺を振り回す。
失言は多いし、身体能力はへなちょこの一言、そのくせに優勢になればすぐにイキり散らかす。絵に描いた『ヒロイン』とはほど遠い、あまりにも破天荒な少女……だから俺は彼女を愛してしまった。
「俺の人生は間違いだらけで、きっと“騎士”には向いていない……だけど、その迷いに迷った道の果てで俺はノアに出逢った。俺はノアに剣を捧げる為に生まれてきた……“ノアの騎士”になる事が俺の“信仰”だと、今なら自信を持って言える」
「…………ッ」
「ノアは完璧じゃない……この先も幾度も間違いも失敗も犯すでしょう。だから、俺は彼女の手を握って共に失敗を乗り越えて……ノアが背負う“罪”を一緒に背負うんです。それが俺が旅の中で得た“信仰”です……俺は女神アーカーシャよりも、ノア=ラストアークを信じています」
教皇ヴェーダが手にした杖を僅かに強く握り締めた。自分の“信仰”に真っ正面から敵対した俺に敵意を抱いたのだろうか。
教皇ヴェーダは女神アーカーシャに必要とされて“信仰”を得て、俺はノアに必要とされて“信仰”を得た。きっと、俺と教皇ヴェーダは根底で似通った存在なのだろう。違うのは、信じた“神”が無謬であるかどうかの違いだけだ。
「俺は……我が王の為に、女神アーカーシャの“無謬”を暴く。それが“大罪”だと言うのなら、ノアと共に永遠の贖罪に就きます。それでも勝ちます……俺は俺自身の“信仰”を守る為に」
「なんて……愚かなのでしょうか……!」
「愚かだと笑うのなら幾らでも笑え……自分でもそう思うからな! けれど覚悟しろ……我が王は女神アーカーシャを崩すぞ。そして、貴女の眼は俺が覚まさせる……ヴェーダ=シャーンティ!」
女神アーカーシャはきっとノアが打ち破ってくれる。だから、“ノアの騎士”である俺が成すべき使命はきっと、教皇ヴェーダを打ち破る事なのだろう。
俺は教皇ヴェーダに宣戦布告した。
女神アーカーシャを盲信する彼女の眼を覚まさせる事こそが俺の戦いなのだと、俺は彼女との対話を通じて悟った。そう、俺が倒すべき“敵”とは、きっと教皇ヴェーダ=シャーンティの事なのだろう。