第923話:教皇ヴェーダ=シャーンティ
「わたくしと対話……なにを言っているのですか?」
「そのままの意味だ……俺は貴女を知りたい」
――――デア・ウテルス大聖堂、司教座にて。俺はアーカーシャ教団の現教皇であるヴェーダ=シャーンティと対峙していた。
目的は教皇ヴェーダとの対話で、彼女自身の“信仰”を識る事だ。司教座に座る教皇ヴェーダは突然の対話の申し出に怪訝そうな声を漏らしている。
「ありえませんね、わたくしと対話などと…………」
「残念……女神アーカーシャは降臨しないですよ、教皇ヴェーダ。貴女が信仰する“神”は……今まさに私が信仰する“王”と対話していますので。面倒事を女神に丸投げするのは許しませんよ……教皇ヴェーダ」
「――――ッ!? なにを不敬な事を……!!」
教皇ヴェーダは俺との対話を拒否したいのか、瞑想して心身を女神アーカーシャに委ねようとしていた。しかし、女神アーカーシャは顕れない。
女神アーカーシャは今頃、別の聖女の肉体に乗り移っている。故に教皇ヴェーダの呼び掛けに応じる事はない。それに気が付いた教皇ヴェーダは声を震わせていた。
「私は貴女を知りたい……ヴェーダ=シャーンティさん。貴女が何を信じて、何の為に生きているのかを知りたい……どうか答えて頂けますか?」
「…………ッ!!」
「アーカーシャ教団の教皇、女神アーカーシャに全てを捧げた大聖女……何故、貴女は女神アーカーシャを信仰する? 何が貴女を駆り立てる、何が貴女を支える……私はそれを知りたい」
教皇ヴェーダ、女神アーカーシャの“器”として、全てを捧げた聖女。誰も彼もが彼女を見ていない、彼女の背後に存在する女神アーカーシャを観ている。
だけど、俺はそんな忘れ去られた存在である教皇ヴェーダを知ろうと思った。今の自分には必要だからと考えたからだ。
「わたくしは……偉大なる女神アーカーシャ様の“器”。わたくしに“意志”はありません……貴女にお答えする事など何も……」
「貴女の“親友”であるカプリコーンさんは……貴女は誰よりの志の高い聖女だと仰っていましたよ。思い出してください……貴女にもまだ残っている筈です。駆け出しの聖女だった頃の“記憶”が」
「…………! …………」
「カプリコーン……口の軽さは昔から変わりませんね。はぁ……女神アーカーシャ様もお呼びできないとは……相当に計画を練っていますね、ラムダ=エンシェントさん」
「ようやく観念して頂きましたか……?」
「ここまでわたくし個人を求められたのは何百年ぶりでしょうか……? 良いでしょう、そこまで『わたくし』が知りたいならお答えしましょうか……意味があるとは思えませんが……」
女神アーカーシャに意識を委ねる手段は使えない。教皇ヴェーダは観念したのか、俺との対話に応じる気になってくれた。
揺らぎの波長を持つ美声を響かせて、顔を隠してもなお“絶世の美女”だと断言できる程の美しき聖女が態度を改める。それと同時に、司教座の空気が僅かに張り詰めた。
「教皇ヴェーダ……貴女はどうして女神アーカーシャを信仰するのです? どうして、女神アーカーシャに自分の全てを捧げたんですか?」
「ふふっ、そんなの簡単です……女神アーカーシャ様の御慈悲に従えば、この『世界』は永遠に存続する。この『世界』の存続は我が責務です……ならば、この身の全てを捧げる事も惜しくはありません」
「それが貴女の“信仰”ですか……?」
「そうです……女神アーカーシャ様に全身全霊でお仕えするのが、わたくしの“信仰”。女神アーカーシャ様の御意志こそ絶対……そこに『ヴェーダ=シャーンティ』の意志が介在する必要はありません……」
「だから……自分の心も身体も捧げたんですか……」
「わたくしはただ、女神アーカーシャの御意志を人々に伝える為の“装置”であれば良いのです。故にわたくしは心も身体も女神アーカーシャ様に捧げた……いいえ、歴代の教皇全員がそうしてきたのです」
教皇ヴェーダは語った、自分は女神アーカーシャの意志を人々に伝える為の『装置』であると。女神アーカーシャに従えば『世界』は永遠に護られるのであると。
その目的には『ヴェーダ=シャーンティ』としての感情は必要にはならない。だから女神アーカーシャに自己を捧げたのだと教皇ヴェーダは当然のように語った。
「ヴェーダ=シャーンティ個人を大切に想う人はどうなるんです! カプリコーンさんは貴女の事を“親友”だと言っていましたよ……ご家族だって」
「それがどうしたのですか? カプリコーンとて、わたくしが“装置”である事を良しとしています。それに……わたくしには“家族”なんてものは最初から存在しません。まぁ……恵まれたお貴族である貴方には分からないでしょうね」
(――――ッ!! 今のが本音……)
「わたくしを必要としてくれたのは女神アーカーシャ様だけ……卑しい“ゴミ漁り”だったわたくしを拾ってくださったのは我が主だけ。だから、わたくしは女神アーカーシャ様に従う……それがわたくしの全てだから」
「その盲信の果てに……誰かを犠牲にしても?」
「誰かを犠牲にする事で『世界』の秩序が護られるなら、それが女神アーカーシャ様の御意志ならば……わたくしは従うのみ。女神アーカーシャ様の決定は絶対の“正義”です……疑う余地などありません」
教皇ヴェーダは女神アーカーシャを盲目的に信奉している。女神アーカーシャが下した如何なる命令をも疑わなお、これ以上ない“狂信者”だと言える存在だろう。
そして、それを語る中で、教皇ヴェーダは愛する者の不在を語った。彼女は女神以外の誰にも必要とされなかった、だから女神アーカーシャへの絶対の信仰を抱いているのだと。
「では……貴方はどうなのですか、ラムダ=エンシェントさん? 貴方だって……ノア=ラストアークを“主”だと信仰しているではありませんか。それと何が違うのです……」
「我が王は……ノアは絶対の“正義”ではない」
「そのような歪な存在……絶対の無謬ではない者なんて、信じるには値しません。だから貴方は世界の“敵”なのです、ラムダ=エンシェントさん」
「いいや……私はそうは思わない……!!」
「ならば……語ってみなさい、わたくしに。貴方の“信仰”を……ノア=ラストアークを。貴方が抱いた“信仰”が如何に間違っているか……この教皇ヴェーダが証明してみせましょう」
そして、教皇ヴェーダは俺に『ラムダ=エンシェント』を語れと言ってきたのだった。今度は俺が自分を暴く番であると。




