第922話:最後の一日
「貴様、ラムダ=エンシェントだな……止まれ!」
「この先の司教座に用がある。通して貰おうか」
――――デア・ウテルス大聖堂、司教座前通路。来たる審判の日を翌日に控えた早朝、俺はある人物に会うために司教座を訪れようとしていた。
しかし、俺は守衛を務める聖堂騎士に行く手を阻まれてしまった。手にした槍を交差させて簡易の結界魔法を発動させ、二人の聖堂騎士は俺を睨んでいる。
「通してくれないか……?」
「部外者の司教座への立ち入りは禁止されている。それに……女神アーカーシャ様の敵である貴様を立ち入れるなど、平時であっても憚れるわ、“傲慢の魔王”め。さっさとお引き取り願おうか……!」
「いいや、それはできない」
デア・ウテルス大聖堂が誇る司教座は現在、立ち入りが禁止されているらしい。司教座へと続く扉を守る聖堂騎士たちは俺に立ち去るように、語気を強めて俺を威圧している。
「ギヒヒ……神聖な司教座にテメェのような魔王を入れる訳ねーだろ、ラムダ=エンシェント。身のほど弁えねぇと今すぐに潰すぞ、アァ?」
「アクエリアスⅠ……」
「おれは血に飢えてんだぁ……テメェがわざわざおれに血ぃ献上してくれるってんなら、ひと思いに潰してやるんだがなぁ! ギヒヒ……ギヒヒヒヒヒ!!」
そして、俺の行く手を阻むように、司教座の警備を担当していた光導騎士までもが姿を現した。巨大な斧を担いだ白騎士の少女、アクエリアスⅠである。
大量の血痕がこびりついた戦斧を俺に向けながら、アクエリアスⅠはギザギザに尖った歯を俺に見せながら笑っている。戦いたくてウズウズしているようだ。
「神の使徒とは思えないな……まるで“吸血鬼”だ。そんなに血に飢えているなら……戦争屋でもやっていたらどうだ、アクエリアスⅠ?」
「ア? おれを煽ってんのか、アアン?」
「俺はただ人と喋りたいだけだ……通してくれないか? 今が駄目なら時間を改めるが……お前と喧嘩する気はないぞ、アクエリアスⅠ」
聖堂騎士と俺の間に割って入ったアクエリアスⅠは『帰れ』と圧力を加えている。しかし、司教座に居る人物に用事がある以上、俺も引き下がるつもりはなかった。
もう時間は残されていない、今は少しでも時間を有意義に使いたかったからだ。
「…………司教座にラムダ=エンシェント卿を入れてあげなさい、アクエリアスさん。そうやって暴力を垣間見せて脅しても彼には逆効果ですよ」
「! アートマンさん……」
「おはようございます、ラムダ=エンシェント卿……今日も良い天気ですね。昨夜はよく眠れましたか?」
そんな折だった、司教座に続く扉が開き、奥からアートマンが姿を現した。どうやら先客だったらしい。
アートマンは相変わらず柔らかな微笑みを俺に向けている。そして、アートマンが現れたと同時に、アクエリアスⅠと二人の聖堂騎士は即座にアートマンの前に片膝をついて跪いていた。
「これはアートマン様……お目汚しして申し訳ございません。もう御用事はお済みでしょうか? こうして御身を護る大役を仰せつかったにも関わらず、お騒がせしてしまい面目次第もございません」
(アクエリアスが急に敬語になった……!?)
「構いませよ、アクエリアスさん……あなたは守護の役目を立派に果たしています。誇るべき事です。わたしはもう用を済ませました……次はラムダ=エンシェント卿を案内して差し上げなさい」
「し、しかし……“傲慢の魔王”を招くのは……」
「ラムダ=エンシェント卿の安全性はわたしが保証しましょう。それに……彼女もラムダ=エンシェント卿との謁見を承知しています。それなら構いませんね、アクエリアスさん?」
跪いて堅苦しい態度になったアクエリアスⅠに対して、アートマンは終始穏やかな笑みを見せながら、俺を司教座に入れるように促していた。
まさかの申し出にアクエリアスⅠは困惑した態度を見せていたが、流石にアートマン相手では断るに断れないらしく言葉を詰まらせていた。
「し、承知しました、アートマン様……ラムダ=エンシェントを司教座に通します。責任は全て、このわたしアクエリアスⅠが負います……アートマン様はどうか気負うことなくお過ごしください」
「ふふっ……アクエリアスさんは真面目ですね」
「寛大な御言葉を頂き、誠にありがとうございます、アートマン様。……という訳だぁ、特別に司教座に通してやるよ、ラムダ=エンシェント。アートマン様の御慈悲に感謝してぇ……感謝のダブルピースをして礼を良いなぁ」
「なんでダブルピース? する訳ないじゃん……」
「アクエリアスさんをどうか許してあげてください、ラムダ=エンシェント卿。彼女は教皇ヴェーダの命令を忠実に守っていただけの模範的な光導騎士なのです。口の悪さも弱みを見せまいという心理の働き故……どうかご理解をお願いします」
そして、アートマンに促されたアクエリアスⅠは仕方ないという態度で俺に道を譲り、槍で結界を作っていた聖堂騎士たちもアクエリアスⅠに続いて警戒を解除するのだった。
そのまま、俺はアートマンに一礼をして、仮面越しに思いっきり睨みつけているアクエリアスⅠたちを素通りして司教座へと足を踏み入れて行くのだった。
「…………」
そこはデア・ウテルス大聖堂の司教座。部屋の奥には大聖堂の象徴である、吹き抜けに建つ超巨大な女神アーカーシャ像が見える。そして、そんな女神像を背後にした、司教座が部屋には置かれていた。
「司教座にようこそ、ラムダ=エンシェント。まさかあなたが訪ねてくるとは……いったいどのような風の吹き回しでしょうか?」
その司教座には、白い法衣を纏う女性が一人座っていた。顔を球体状の仮面で覆い隠した、アーカーシャ教団で最も強い権力を持つ“大聖女”。
教皇ヴェーダ=シャーンティ、女神アーカーシャの“器”となった女性だ。俺は彼女に会いに司教座を訪ねた。
「俺はあなたに会いに来た……教皇ヴェーダ。女神アーカーシャではなく……その“器”となったヴェーダ=シャーンティにだ」
「わたくしに……ですか?」
「この場に女神アーカーシャは不要……俺は貴女と語り合いたい。お時間を頂けるでしょうか、教皇ヴェーダよ……貴女の声を聞かせてください」
女神アーカーシャを信仰する教皇ヴェーダと語り合い、明日に控えた審判の日に向けて、俺自身の思想をハッキリとさせる為に。




