第921話:信仰
「トネリコの奴が裁判で……参ったな」
「ええ、そうですね……厄介な事になりそうです」
――――デア・ウテルス大聖堂第一階層、巡礼者用宿泊部屋。二日目の滞在を終えた俺はその日の収穫を、寝室でノアと報告しあっていた。
俺が得た収穫はルチアの出自がカプリコーンⅩⅡに知られたという事。あとは大聖堂の信者たちを遠巻きに眺めていただけだ。ノアから受けたのは、トネリコが来たる裁判で検察として立ち塞がる事だった。
「女神アーカーシャの“無謬性”は崩せそうか?」
「どうでしょう……一応、トネリコの言葉からヒントは得ましたが、まだ私自身の想いを言語化できていません。正直、まだ自信があるとは言えませんね」
「そっか……なら明日も頑張らないとな」
ベッドの上に寝転んで天井を眺めながら、もう一つのベッドに寝転んだノアの言葉を聴く。ノアはトネリコとの接触で、何かしらの“ヒント”は得たらしい。
しかし、ノアはまだ自分自身の考えを言語化できていないらしい。相当に迷っているのだろう。
「ラムダさんは……アーカーシャは間違っていると思いますか?」
布団を被って、俺に背中を向けながら、ノアは質問をしてきた。女神アーカーシャは正しいと、俺自身が思っているのかと。
思えば、女神アーカーシャが“正義”か“悪”かを問おうとしているのに、俺は自分の考えを持っていなかった。ただノアに従って、彼女の為に女神アーカーシャの“無謬性”を崩そうとしていた。
「正直に言えば……俺は女神アーカーシャにも“正義”はあると思っている。生まれてからずっと当たり前だと受け入れてきた“神”を今さら疑うのは……やっぱり難しいよ」
「ラムダさん……そう、そうですよね……」
「女神アーカーシャを信じていれば救われる、女神アーカーシャは俺たちをずっと見てくれている……そんな精神的な支えを俺は捨てようとしている。その先はきっと不安で孤独なんだと思う」
「…………」
「でも……ノアが女神アーカーシャを打倒すると言うなら、俺はノアを最後まで信じるよ。女神アーカーシャの代わりに、ノアが俺の“神”になってくれれば……俺は戦えるから」
“神”はいつも俺たちを見てくれている、“神”を信じていればきっと救われる。そんな教えを支えに今まで生きて、どんなに辛い出来事も乗り越えてきた。
自分は一人じゃない、常に“神”と共に在る。
それが“神”を信じる事なのだと思う。
きっと、俺は女神アーカーシャの代わりにノアという“神”への信仰を得たから、女神アーカーシャへの信仰を手放す準備ができたのだろう。その想いを伝えた時、ノアは黙って何かを考えていた。
「古代文明の人々は……いつの間にか“神”への信仰を忘れてしまいました。技術の発達と共に人類は文明の舞台を“宇宙”へと上げて……“神”を地上に置き去りにしてしまいました」
「前に言ってた『神託戦争』って戦争か……」
「度重なる『終末装置』の襲撃を前に地球はボロボロになり、人類全体が極度のストレスを抱えてしまいました。そして、地上に生きる一部の人々は“神”に祈りを捧げました……どうか人類を守って欲しいと」
「けど、信仰を忘れた人々は……」
「はい……“神”を忘れた人々は怒りました。祈る時間があるのなら、両手を動かして復興に尽くせと。その両者の対立こそが戦争の引き金でした。私は宇宙移民側の科学者でした」
俺は“神”は『当たり前の存在』だと言った。けど、ノアが生きた古代文明は違う。古代文明の一部の人々は“神”への信仰をいつの間にか失ったらしい。
結果、人類は『信仰』を巡って戦争をする事になってしまった。それが古代文明最後の宗教戦争であると、ノアは少しだけ悲しそうに言った。
「けれど……ラムダさんの言った通り、“神”とは多くの人々の精神的支柱なのです。だから、スペースノイドたちは既存の“神”を抹消した代わりに、自分たちの手で“神”を創ろうとした……人類を導く絶対の存在を獲得しようとしたのです
「それがノアが創り上げた……」
「『機械仕掛けの神』……女神アーカーシャなのです。スペースノイドたちは傲慢にも“神”を支配しようとしたのか……或いは、彼等も結局は“神”を欲していたのかも知れません」
「“神”を欲したか……」
「古代文明の『日本』という国は無宗教が多かったのですが……彼等は“神”以外の存在に信仰を見出していたそうですよ。時の天皇や将軍であったり、自身の所属する組織やその長であったり、或いはカリスマ性を持つタレントであったり……“神”を信じていないと言いながら、彼等も支えとなる“信仰”だけは手放さなかった」
「…………」
「そして私は……きっとラムダさんを信仰している。私たちは……何かを信仰しないと生きてはいけない。“神”とはきっと……万人に与えられた信仰の形なのだと思います」
人間には“神”は不要なのかも知れない、けれど“信仰”だけは不可欠なのだとノアは言う。それは正しいのだろう……何故なら、俺は女神アーカーシャの“無謬性”を崩しても、ノアへの信仰があればそれで良いと思っているからだ。
“神”とは、人類に与えられた“信仰”の形である。
自分の信じるものが見つからないのなら、その時にこそ“神”はあなたに微笑むのだとノアは言う。女神アーカーシャとは、俺たち新時代の人類に無条件で与えられた“信仰”の具現化なのだ。
「そんな女神アーカーシャの“無謬性”を崩せば……この世界の人々は精神的支柱を失う事になる。それはきっと断じるべき行為でしょう……」
「なら……俺たちは間違っているのか……?」
「いいえ、それでも女神アーカーシャは打倒しないと。古代文明を一夜にして滅ぼしたアーティファクトを野放しにはできません……これは彼女の設計者である私の贖う“罪”です」
「だったら……その先はどうするんだ……?」
「女神アーカーシャを倒したのなら……この世界には新たな“神”が必要になります。それはきっと……いいえ、今はまだ言うべき事ではありませんね。まだ理論の構築途中です……」
人類の支えになっている女神アーカーシャを打倒する、それは世界から“神”という名の信仰を奪う行為に他ならない。少し躊躇いがあるのはそのせいだろう。
だけど、ノアはそれでも女神アーカーシャは打倒するべきだと言った。そして、女神アーカーシャが居なくなった後には、新たな“神”が必要になってくると。
「ラムダさんと喋ったおかげで……少しだけ考えが纏まりました。明日中にはなんとか考えを纏めれそうです」
「そうか……それなら良かった」
「まだ時間はあります……今日はもう寝ましょう。大丈夫です……私たちならきっと乗り越えれますよ。ラムダさんは私の自慢の騎士で、私はラムダさんの自慢の“王”なんですから」
「ああ、そうだな……期待しているよ、ノア」
新たな“神”とは何なのか、ノアはついぞ語る事はなかった。けれど、まずは女神アーカーシャの“無謬性”を崩さねば俺たちに“未来”は無い。
今日、体験した出来事を、ノアとの会話で得たヒントを元に、俺は明日もデア・ウテルス大聖堂をくまなく歩く事になるだろう。
「おやすみなさい、ラムダさん」
「おやすみ……ノア」
俺はおやすみの挨拶をノアと交わして眠い就いた。明日、ある人物と対話する事を静かに決意しながら。
――――審判の日まで、あと一日。




