第919話:最大多数の幸福を
「さぁ、みんなで楽しくお喋りしようじゃないか……アリアが居ないのが悔やまれるね。ああ、そう言えば……アリアを廃棄したのは君だったね、ノア」
「トネリコ……」
「左手にティーカップを持って、右手で拳銃を握る……実に僕たちらしいお茶会じゃないか。人類の“道具”として造られた僕にね……!」
――――トネリコの登場によって、室内は緊迫した空気に包まれていた。ノア、ホープ、トネリコは拳銃の引き金に指を掛けたまま、テーブルを囲んで席に着いた。
トネリコの持つ拳銃はノアの心臓を狙っている。下手に奇襲を仕掛ければ、発砲によってノアが生命の危機に曝される。故にホープもジブリールも迂闊な行動はしなかった。
「それで……なんの用? 分かっているとは思うけど……ラストアーク騎士団とアーカーシャ教団には……」
「停戦協定だろ……分かってるよ。そして言うね……そんなの知ったことじゃない。僕的には、今すぐに君を撃ち殺したいと思っている……ノア。アーカーシャ教団の権威なんて知った事か」
「テメェ……!!」
「けど、まぁ……今回は僕も我慢するよ。また返り討ちに遭いたくはないからね……今さら問答なんてしないよ。それに……今回は挨拶が目的だからね」
ジブリールが淹れたお茶(※ちゃんと紅茶)を優雅に飲みながら、トネリコは悠々とした表情でノアたちに『挨拶が目的』だと告げた。
「二日後の君たちの裁判……この僕がアーカーシャ教団側の検察に任命された。教皇ヴェーダ直々のご指名だ……喜びなよ、君たちの“罪”をこの僕が明かしてやるんだ」
「そんな事をわざわざ報告しに来たの?」
「そうだけど? ふっ、ポーカーフェイスを気取っても無駄さ……僕の任命は君が想定する最悪のパターンだろ、ノア? なにせ……僕は君の悪行を一から十まで知っているからね」
トネリコは告げた、自身が来たる二日後の裁判でノアたちを追及する検察として抜擢されたと。それを聞いたノアは淡々と返答をしたが、トネリコの指摘通り彼女は内心で焦っていた。
本人の宣言通り、トネリコは古代文明時代からノアを知っている。それこそ製造理由から設計思想に至るまでの全てを。それを暴露されれば裁判ではノアの不利に働いてしまう。
「僕は容赦しない……君と、君を狂信するあの騎士を極刑に処してやる。もう君のくだらない『革命ごっこ』は終わりだ、ノア」
「随分と自身満々ね……呆れるわ」
「なんとでも言いなよ……最後まで立っていた奴が“勝者”だろ、この『世界』では。ここまで大立ち回りを見せたのは褒めてあげるよ……でも、もう“王手”なんだよ。アートマンが生まれた時点で……ラストアーク騎士団は終わりだ」
「言ってくれんじゃねぇか、トネリコ……!!」
「ホープ……今からでも遅くない、僕に付きなよ。一緒にアーカーシャ教団に飼われて……あと少しの余生を『ぬるま湯の地獄』で過ごそうよ」
ノアは極めて冷静に振る舞っていたが、内心ではトネリコの参戦による裁判の展開を何重にも重ねてシミュレートしていた。
そんな中で、トネリコはホープを勧誘していた。ホープを明らかに格下に見ている故の舐め腐った態度なのは誰が見ても明白であった。
「けっ、お断りだ……誰がテメェのような裏切り者と組むかよ。テメェと組むぐれぇなら火炙りの刑の方がマシだっての! オレを舐めてんじゃねぇぞ、このイキり陰キャが!」
「そうかい……残念だよ、ホープ」
「トネリコ……考え直すのは貴女の方です。私たちと一緒に戦うべきです……古代文明を抹消した女神アーカーシャの下で安心して暮らせるのですか、トネリコは?」
「そうだトネリコ、考え直すのはテメェだ」
「無駄だよ……僕が目覚めた時点で、この『世界』は女神アーカーシャの完全管理下に置かれていた。最初から勝ち目なんて無いのさ……古代文明を見捨てて、冷凍睡眠に就いた時点で……僕たちは負けていたんだ」
「トネリコ……」
「長いものには巻かれろ……そう言うだろ? 大人しく女神アーカーシャに従って生きていれば良かったんだ……無駄に抵抗するから、そうやって“死”に怯えなきゃならなくなるんだよ、ノア」
「アーカーシャは正しくは……」
「正しいさ……古代文明ならいざ知らず、女神アーカーシャはこの『世界』じゃ“絶対の正義”だからね。それに……彼女は『最大多数の幸福』を考えている。決して排除される悪神なんかじゃない……それは君の勝手な思い込みさ」
(古代文明ならいざ知らず……)
「この『世界』は絶対的な“神”に管理されている……生かすも殺すも女神アーカーシャ次第さ。人間だって同じだろう? 自分たちの都合で他の動植物の生殺与奪を司っている……その対象が人間になっただけの話さ」
トネリコはいまだに抵抗を続けるノアたちに『無駄だ』と説いた。すでに女神アーカーシャは世界を管理する“神”として機能している、その堅牢な在り方を崩すことは不可能であると。
長いものには巻かれろ、そう言ってトネリコは今の『世界』へ適応することを良しとしていた。そんなトネリコの考えに賛同できないノアとホープは表情を顰めている。
「最大多数の幸福……そう言いましたね、トネリコ? たしかに、アーカーシャは“大多数”の人々幸福を護っているのかも知れません。ですが全員ではない……神の寵愛から溢れてしまった“少数”はどうするのですか?」
「“少数”も救うのがオレたちの理念だろ!」
「無理なんだよ、万人を救うなんて……それこそ女神アーカーシャだって出来なかった。現実を見なよ、ノア……“理想”じゃ世界は動かないんだよ! 女神アーカーシャは現実を見て、もっとも大勢が救われる道を常に模索しているんだ」
「だから弱者は切り捨てろと……そう言うの?」
「そうだ、それが世界を動かす真理さ! 世界には、世界が決めた『普通』の人間だけが生きていれば良いのさ! その『普通』から溢れた弱者共は大人しく地べたを這いつくばれ、それか死ね……それがこの世の“理”さ」
「貴女も……その『普通』には入らないでしょ!」
「ああ、そうさ……僕もはみ出し者さ。今さら恵まれた最期なんて望んじゃいない……僕はこのまま女神アーカーシャに良いように使われて、ゴミのように捨てられて終わりさ……」
トネリコの主張にノアもホープも目付きを鋭くして、静かに怒りを露わにした。
本来、あらゆる人類の繁栄に尽力する使命を帯びた“人形”である筈のトネリコは、女神アーカーシャの寵愛から溢れた弱者を切り捨てようとしていたからだ。
「たしかに……万人を幸福にするのは困難かも知れません。私が語っているのは理想論でしょう……しかし、理想論だからと言って、なにもせず現実に流される事はできません!」
「…………っ!」
「いい加減、目を覚ましなさいトネリコ! 貴女はいったい何の為に造られたの……何の為に生まれてきたの!? 思い出して……子どもたちの前で教鞭を執っていたあの頃の貴女を!」
ノアはトネリコに目を覚ますようによ叫んだ。自分たちは見捨てられそうな人々を救うのが本懐である筈だと。
トネリコは銃口をノアに向けたまま、苦々しそうな表情をしていた。そんな事を言われたくないと物語るように。
「…………ふん、せっかく最後に慈悲を与えてあげたのに……相変わらず君たちは頑固だね。もういい……話し合いは終わりだ。あと二日……せいぜい神様にお祈りでもしていなよ」
「トネリコ……!」
「僕はこれで失礼するよ……タウロスの調整も残っているしね。じゃあね、ノア……二日後に審判の間で相見えようか」
「あっ、残った紅茶を紙カップに包みますか?」
「要らないよ……なんでこの状況で平常運転してるんだ、君? 明らかに喧嘩別れする流れだっただろ……。まったく、そのポンコツ天使に『空気を読む』って機能をちゃんと付けていろ、ノア」
そして、トネリコはこれ以上、話すことはないと立ち上がると、ノアたちに宣戦布告をしてその場から立ち去っていったのだった。