第917話:器の聖女
「さて……これからどうしよう……?」
「あたし、勢いに任せてとんでもないことを……」
――――審問官ヘキサグラムが立ち去ってから、俺とルチアは神妙な表情で考え込んでいた。ルチアは自身の出自を堂々と語ったからだ。
二十年前に失踪した聖女ティオには娘がいた、それもラストアーク騎士団所属の隊長だ。アーカーシャ教団にとっては大スキャンダルになるだろう。
「カプリコーン、この事を内密には……」
「それは無理な相談ね、リブラちゃん。聖女ティオの失踪の真実を解明する唯一のチャンスよ……悪いけど、あたしには報告する義務があるわ。あたしにできる精一杯の配慮は……さっきも言った通り裁判が終わるまでは猶予を設けることぐらい」
「そうです……か…………」
「公明正大が信条のあなたらしくもないわねぇ、リブラちゃん? 前のあなたなら、すぐにでも教皇ヴェーダに報告しようとしたんじゃないの?」
「そ、それは……」
「あ~……あんたも“悪い男”の影響を受けたって事ねぇ♡ うふふ、嫉妬しちゃうわ……良いわねぇ、恋する乙女って。気持ちよくて、そして苦しいでしょう……自分の『世界』が広がっていくのは?」
リブラⅠⅩはカプリコーンⅩⅡにルチアの事を秘匿するようにお願いしたが、カプリコーンⅩⅡはこれをやんわりと拒否した。
二十年間、闇に包まれていた聖女ティオの失踪が解明されようとしているのだ。アーカーシャ教団としてはこの機会を見逃す筈もないだろう。裁判が終わるまでの猶予は、事態をややこしくしない為のカプリコーンⅩⅡのせめてもの配慮だ。
「そもそも……なぜルチアが聖女ティオの娘だと問題があるのですか? もちろん、神の所有物である聖女に誰かが手を出したのが問題だ、と言う“暗黙の了解”があるのは理解しますが……」
「あら……気になるの、ラムダちゃん?」
「それについては……そもそも“聖女”とは如何なる存在であるかを教えないといけませんね。カプリコーン、イレヴンさんに真実をお伝えしますがよろしいでしょうか?」
「お好きになさい。そもそも、まだ言ってなかったのって感じなんだけど、あたし的には……」
だが、ここで一つ疑問が浮かんだ。そもそも“聖女”とは何なのだろうかと。今まで俺は漫然と聖女の存在を見ていた。
しかし、ルチアが『聖女ティオの娘』である事で何かしらのトラブルに巻き込まれるのなら、俺は真実を知る必要があった。そして、俺の疑問に答えるべく、リブラⅠⅩが静かに語り始めた。
「そもそも“聖人”及び“聖女”は『女神アーカーシャ様の意志を人々に伝える』という役割を担った役職です。かいつまんで言えば……女神アーカーシャ様の“代弁者”と言えますね」
「聖人聖女には確か【神官】じゃないとなれないんじゃ……?」
「確かに……聖人聖女になるには【神官】の職業を『神授の儀』で授かっている必要があります。オリビアさんが擬似的にではありますが聖女になれたのも、そもそも【神官】だったからに相違ありません」
「じゃあ……どうしてルチアが……?」
「それについてはあたしが答えるわ。聖人聖女が女神アーカーシャ様の“代弁者”なのは、あくまでも建前なのよ。その本当の目的、聖人聖女の本来の使命は……女神アーカーシャ様の意識を地上に降ろす為の“器”の役割を担う事よ」
そもそも“聖人”や“聖女”は女神アーカーシャの意志を受信し、それを人々に布教する“代弁者”の役割を担う存在である。ただの“信仰の護り手”である【神官】よりも、より深い位置に存在する上位職業である。
しかし、それはあくまでも表面上の理由である。
その実態は女神アーカーシャの意識を地上に降ろす為の“器”である事だ。それについては思い当たる節がある。オリビアも幾度か女神アーカーシャに意識と肉体を乗っ取られているからだ。
「いい、よく聞いてねラムダちゃん、ルチアちゃん……聖女の資質はね、遺伝するの。聖人聖女の選定はね……女神アーカーシャ様との心身の適合率で決定されるの。【神官】である事は絶対条件じゃないのよ」
「じゃあ……聖女ティオの娘であるルチアは……!?」
「そう……ティオ様の血を色濃く引くルチアちゃんは例外的に女神アーカーシャ様の“器”になれる資格を持つ。無論、本来の職業とは無関係にね」
「はぁ!? バグってじゃないの、そのシステム!」
「だから聖人聖女は恋愛は御法度……子どもを授かるなんて論外なのよ。女神アーカーシャ様が選定した資格者以外の“器”が生まれるなんて恐ろしいでしょう。そもそも……在野に女神の“器”が居たとなればアーカーシャ教団の権威が揺らぐわ」
「じゃあ……俺とオリビアの子どもも……!?」
「当然、女神アーカーシャ様の“器”としての候補になりますね。だからアーカーシャ教団はあなたが当時【神官】だったオリビアさんを強引に娶ったことを怒ったのですよ、イレヴンさん」
そして、カプリコーンⅩⅡから語られたのは、女神アーカーシャの“器”としての素質が聖人聖女の子どもにも遺伝するという事実だった。
そして、“女神の器の資格を持つ者”が在野から出現すればどんな問題が発生するかをリブラⅠⅩとカプリコーンⅩⅡは告げた。アーカーシャ教団の権威が揺らぎかねないと。
「じゃあ……あたしどうなんの……!?」
「運が良ければアーカーシャ教団の信徒としてデア・ウテルス大聖堂に引き抜かれるわ……過去を全て抹消した上でね。運が悪ければ……都合の悪い存在として審問官たちによって消されるわ」
「…………マジ?」
「アーカーシャ教団を裏切った聖人セイラム=テオドールが如何に強大な影響力を持っていたか……彼と対峙したあなたなら知っているでしょう、ラムダちゃん? 女神アーカーシャ様の威光に直接触れれる存在は、それだけで圧倒的な影響力を持つのよ」
「たしかに……」
「故に、聖人聖女はアーカーシャ教団で徹底的に管理されないと駄目なのよ。無用な争いを生まない為にもね……これでルチアちゃんがこれからどういう運命を辿るかご理解できたかしら? チラッと話に出たオリビアって子も、“虐殺聖女”トリニティも……実は結構な大事なのよ、ラムダちゃん」
聖女ティオの娘だと知られた以上、ルチアはアーカーシャ教団に狙われる。その末路は『教団の信徒になる』か『審問官によって抹殺される』かのどちらしかないと、カプリコーンⅩⅡは真剣な声で伝えた。
「じ、じゃあ……あたしどうなんの!? 嫌よ、今さらアーカーシャ教団なんかに媚びなんて売れるかっての! 殺されるのもまっぴらゴメンよ!」
「ルチア……」
「じゃあ、もう一つだけ悪い情報を伝えるわね、ルチアちゃん。実はあなたのお母様は……教皇ヴェーダの後を継ぐ“大聖女”の候補だったの。聖女の中でも一歩先を行く存在ね」
「カプリコーンさん、そもそも“大聖女”とは……」
「教皇の肩書きが示す通り、アーカーシャ教団という組織の頂点に君臨する存在。そしてなにより……女神アーカーシャ様の“依り代”としての存在ね」
「依り代……ですか?」
「他の聖女聖女はほんの一時だけ身体を女神アーカーシャ様に明け渡せば良いけどね……“大聖女”はそうはいかない。常に女神アーカーシャ様に身体を献上しなければならないのよ……心も身体も全て“神”に捧げるの」
「――――っ!? じゃあ教皇ヴェーダは……!」
「無論、教皇ヴェーダは女神アーカーシャ様の順々な従僕よ。彼女の言動には『ヴェーダ=シャーンティ』としての意志は籠もっていない。すでにヴェーダちゃんは……女神アーカーシャ様の意志を反映するだけの“人形”に過ぎないの」
「カプリコーン、今の言い方は不敬ですよ」
「あら、ごめんなさい……あたしったら警告のつもりで、言葉選びを間違えちゃったわ♡ けど、今の教皇ヴェーダには個人の意志が殆ど残っていないのは事実よ……あたしの親友だったヴェーダちゃんはもう居ないの」
「カプリコーンさん……」
「良いこと、ルチアちゃん……ティオ様の女神アーカーシャ様との適合率は教皇ヴェーダを超えていたわ。その血を引くあなたなら……もしかしたら教皇ヴェーダをまだ上回っている可能性があるわ」
「け、けど……あたしは処女じゃないし……」
「そんな身体の“傷”なんて……女神アーカーシャ様の権能で治せるわ。そうしたら、綺麗な身体になったら……あなたは女神アーカーシャ様の“器”になるのかしら?」
「そ、それは……嫌……ラムダ卿に迷惑が……」
「それがあなたの立場の危うさよ、ルチアちゃん。悪いけど、あたしは庇えないわ……あなたの進退よりも、女神アーカーシャ様への信仰の方が大事だもの」
「あたしは……ラムダ卿と一緒に居たい……」
「なら、せいぜい身の振り方には気を付ける事ね。一応、何度も言うけど裁判までは黙っていてあげる……その代わり、そこから先は常に狙われる立場だと自覚しなさいよ、いいわね?」
聖女ティオは教皇ヴェーダ以上に女神アーカーシャの“器”としての適性があった。その血を引くルチアも同じ可能性があるだろうとカプリコーンⅩⅡは予想していた。
そして、“大聖女”になれば教皇ヴェーダと同様に、個人としての意志が殆ど抹消される事になる。それがルチアにこれから課される試練だった。




