幕間:神の意思
「…………」
――――デア・ウテルス大聖堂、天体観測室にて。“現人神”と畏怖されるその人物、アートマンは宙に浮かびながら深い瞑想を続けていた。
アートマンは睡眠をとる必要が無い。故に、人々が深い眠りに就いている中、あり余る時間を世界を憂いる時間に捧げていた。
「アートマン……少し話しがあります……」
「…………そろそろ来ることだと思っていましたよ」
そんなアートマンを訪ねる人物が一人、不機嫌そうな声を響かせながら天体観測室に現れた。
杖を片手に、カツカツとヒールの音を響かせるのは、頭部に球体状のヘルメットを装着した純白の法衣の女性、アーカーシャ教団の教皇ヴェーダ=シャーンティである。
「わたしに何用でしょうか……我が母よ」
ただし、今の教皇ヴェーダは自身の肉体を上位存在に譲渡している。アートマンが教皇ヴェーダの肉体に憑依している者を呼んだ瞬間、教皇ヴェーダの素顔を覆っていたヘルメットが割れて、中から朱い瞳をした“神”が姿を顕わにした。
「アーカーシャ……我が母よ。こんばんわ」
「挨拶は不要です、アートマン……我が後継者よ」
その名は女神アーカーシャ、この世界を創造した至高の存在にして、ノア=ラストアークによって開発されたワールド・エンジン『機械仕掛けの神』。アートマンを生み落とした母なる存在である。
素顔を晒した女神アーカーシャは露骨に不機嫌そうな表情をアートマンへと向けていた。しかし、アートマンは意にも介していないような表情をしていた。
「ラムダ=エンシェントと接触し、自らの手の内の一部を晒したそうですね? さらには自身の計画まで伝えたとか……なんのつもりですか?」
「理解して貰う為ですよ……それが何か?」
「ラムダ=エンシェントにあなたの【加護】や計画を知られた以上、彼の主であるノアお母様はあなたへの対抗策を必ず用意してきます……自身を無敵の存在だと驕っているのですか?」
女神アーカーシャはアートマンを叱責していた。アートマンがラムダ=エンシェントと接触し、自身の手の内を明かしてしまったからだ。
女神アーカーシャはラムダ=エンシェントからノア=ラストアークに情報が渡され、対策が打たれるのではないかと危惧していた。しかし、それを指摘されてもアートマンは動揺は見せなかった。
「驕りなどとは思ってはいません……わたしは『人類神化計画』による“救済”をラムダ=エンシェント卿に知ってもらい、共感して欲しかっただけです。無論、ノア=ラストアークさんも同様に……」
「だからと言って……!」
「嘘偽りがあれば、秘め事があれば彼等はわたしを疑念に思うでしょう……ですので全てを包み隠さずに伝えました。ラムダ=エンシェント卿は模擬戦の後、『うわ〜、アートマンさんTueee(棒)』と共感してくれていましたよ……」
「う〜ん……共感していなさそう……」
「それに……わたしには“力”では敵わないとラムダ=エンシェント卿は悟ってくれましたよ。これなら並行世界に於けるスペルビアさんのような悲劇は回避できる筈です……何も問題はありません」
アートマンは自身の手の内を開示する事は必要な事だったと述べた。アートマンが掲げる『人類神化計画』、全人類をアートマンと同等の存在に昇華させる大儀式をラムダ=エンシェントたちに知ってもらい、理解して貰おうと考えていたのだ。
「そもそも……私は『人類神化計画』なんて計画、認可していません。なんですか……全人類を“神”にする? そんな事が……」
「可能ですよ……わたしの【加護】を用いれば人間を“肉体”“精神”“魂”の次元から変化させる事ができる。あとはこの大聖堂の深部、“女神の子宮”に眠る『胎児』を……」
「あれは私の秘策です……無闇に扱う事は許しません」
「ふふっ……恐れているのですか、我が母よ? 人類が自分と同じ領域に到達する事が? 素晴らしい事ではありませんか……あなたの悲願であった『人類の恒久的繁栄』が実現する、人類が永遠に続く存在になるのですよ……」
しかし、そもそも女神アーカーシャはアートマンの『人類神化計画』に懐疑的だった。人類全てを“神”の領域へと押し上げる事に彼女は不安を抱いていたのだ。
「この世界の技術水準は“危険領域”に到達してしまった。天空大陸の偉大なる技師アルバート=ファフニールが数百年分にも及ぶ“技術革新”を起こして核兵器を作ってしまったが故にね……」
「だから人類を神化させると言うのですか?」
「この世界の人類はすでに“悪魔の発明”に手を伸ばしてしまった。急がなければ人類はまた自滅に至る戦争を始めてしまうでしょう……それとも、また『終末装置』を造って文明のリセットを図るおつもりですか……我が母よ?」
女神アーカーシャが管理していた人類は、彼女の予測を超えて進化を果たしてしまった。人類そのものを毒する“禁忌”を作り出してしまう程に。
アートマンはすでに人類に残された“制限時間”は少ないと考えていた。故に、アートマンは『人類神化計画』を実行に移そうとしていたのだった。
「わたしがあなたが求めた『命題』に答えを出しましょう。わたしが人類を永遠の存在にする……全ての人類を救って見せましょう。ノア=ラストアークさん……この世界に取り残された古代文明の『アーティファクト』を含めてね」
「本気で言っているのですね……?」
「人類は罪深い……故にわたしは救いましょう。全ての罪深い人は“神”になる事で“罪”から解放される……過去から解き放たれるのです。その為にわたしは造られた……人々を救済する事こそがわたしの『生まれた意味』なのです」
全ての人類を救いたい、アートマンはそう本心から願っていた。そこには一切の邪神は存在していない。それを悟った女神アーカーシャは神妙そうな表情をしていた。
「二日後の裁判でラムダ=エンシェント卿とノア=ラストアークさんは自身の“罪”を見つめ合う。そして、その“罪”をわたしが包み……赦しましょう。戦い、傷付き、彷徨い続けた彼等の人生をわたしが救うのです……」
「分かりました……好きにしなさい」
「ありがとうございます……我が母よ。必ずやご期待以上の成果を上げて見せましょう。わたしは救います、この世界を……あなたに代わる次代の神として」
そして、女神アーカーシャは渋々としながらも、アートマンによる『人類神化計画』を承認するのだった。
こうして、アートマンは母の肯定を経て、迫る『審判の日』への備えを進めていくのだった。ラムダ=エンシェントとノア=ラストアークそして女神アーカーシャの裁判まで――――あと二日。