第911話:分かり合う戦い
「分かった……手合わせをお願おうか……!」
「ふふっ、受けて頂けますか……感謝します」
――――アートマンから申し込まれたのは一対一の模擬戦だった。どうやらアートマンは試合を通じて俺を理解し、俺に自分の理念を理解させたいらしい。
これはアートマンを探る千載一遇の機会だ。俺の眼を通じて、ノアもアートマンの秘密に探りを入れる事ができる。俺は申し出を受けると、身に纏っていた戦闘服を“機神装甲”へと換装した。
「武器の使用には制限は設けません。あなたが得手とするアーティファクトを存分にご使用ください、ラムダ=エンシェント卿」
「良いのですか? アーティファクトは……」
「ご安心を、わたしとあなたの攻撃が全て“非殺傷”に変換されるように加護を掛けますので……【不殺の加護】、付与」
「ルールの説明をお願いします……」
「なに……ルールは至って単純です。わたしとあなた、それぞれ首に鈴を巻き付けて、その鈴を奪われたら決着です。獲られても落としても駄目です……実戦で“首級”を獲られたとお考えください」
天体観測室で俺とアートマンは向かい合う。アートマンは俺に向かって赤いリボンで飾られた鈴を投げ渡してきた。
ルールは首に装着した鈴を奪われた方の負け。お互いの攻撃はアートマンが付与した加護によって“非殺傷ダメージ”へと強制変換される……刃物を肌に押し当てても強制的に衝撃ダメージに変換されるという事だろう。
「遠慮はいりませんよ、わたしが付与した加護は正常に機能しています……どうぞ、殺すつもりで挑んできてください」
「…………“神殺しの魔剣”ラグナロク、機動……」
「数々の武勇を築いた騎士ラムダ=エンシェントの実力……わたしに十二分に示してください。今のあなたの力量を測り……わたしは『ラムダ=エンシェント』の一端を識りましょう」
「私が勝てば……何か良いことでも?」
「さぁ……これは相互理解の為の模擬戦、報酬の類は残念ながらご用意できません。そうですね……あなたが勝った場合は……いつでもわたしを殺せる、と分かる程度でしょうか?」
魔剣を右手に握った俺に対して、アートマンはあいも変わらず微笑んでいる。自分が負けるなんて微塵にも思っていない表情だ。それが俺の誇りを僅かに刺激した。
しかし、俺は目の前の相手に本能的な恐怖を感じていた。たとえ命の奪い合いではない模擬戦だと頭では理解していても、俺はアートマンに対して“死”を蜂起してしまっていた。
「…………っ」
両脚が二の足を踏んでしまっている、全身がほんの少しだけ強張っている、精神がすでに敗北を認めてしまっている、初めての体験だった。
アートマンは微動だにせず微笑んでいる。なのに、アートマンから発せられる静寂に満ちたオーラが俺を包み込んで圧倒していた。まるで猫に睨まれたネズミ、蛇に睨まれたカエルになった気分だ。
「どうしました……いつでも掛かってきてください」
対峙して理解できた、俺とアートマンは生物として同じ舞台に立てていない。アートマンが人間なら俺は微生物か何かだ。それぐらい“規格”に差が開いている。
今までも俺は自分よりも強い相手には当たったが、アートマンは今までの強敵とは根本から違う。俺の眼にはアートマンという存在の“底”が一切視えなかった。
そんな二の足を踏む俺を見てアートマンは微笑んでいた――――
「では……こちらからいかせて頂きます」
「――――ッ!? 疾……もう背後に!?」
――――そして、アートマンは喋りながら姿をフッと消して、瞬くよりも疾く俺の背後に回り込んでいた。
アートマンはすでに俺の背後、手が首に届く範囲に立っていた。アーティファクトの眼にも止まらぬ高速の空間転移だ。
俺は咄嗟に前方へとステップしてアートマンの間合いから離れようとした。そして、同時に身体を捻りながら、手にした魔剣を無意識の内にアートマンの首に向けて振り抜いていた。
「…………【回避の加護】」
「――――ッ!? 避けられた……!?」
だが、俺の振り抜いた魔剣はアートマンには命中せず、ただアートマンの目の前の虚空を薙いだだけだった。
間合いの管理は完璧だった筈なのに、俺の魔剣は命中しなかった。アートマンは冷や汗一つかかず俺の顔を見つけている。
「アーティファクト生成……“可変銃”!!」
魔剣を外した俺は距離を取りつつ、左手に可変銃を装備した。そして、そのままアートマンに向けて射撃を開始した。銃口から放たれた十数発の魔弾がアートマンに向かって飛んでいく。
「【神速の加護】……ふむ、これが銃弾ですか」
「んな……素手で魔弾を掴んで防いだのか……!?」
しかし、魔弾がアートマンに命中する事はなかった。アートマンは迫りくる十数発の魔弾を目にも止まらぬ早業で全て鷲掴みにして防いでいたのだ。
アートマンが開いた右の拳からは握り潰された魔弾の残滓が砂のようにこぼれ落ちる。当然、アートマンの手にも傷は見えない、それどころか汚れた形跡すら視えなかった。
「これが古代文明のアーティファクト……殺戮に特化した古代文明の“罪”の残骸。ふむ……並行世界の記憶を【星見の加護】で同期して、スペルビアさんとの交戦の記憶を持ち込んでいましたが……いざ実戦で観測するとやはり印象が違いますね……」
「…………っ」
「古代文明の遺物……どれも人間を殺める事だけを念頭に置いている。これは駄目ですね……あまりにも邪悪すぎる。アーティファクトを造った時点で……古代文明人は“平和”を手にする事を諦めていたようですね……」
アートマンは何食わぬ表情で俺が使用したアーティファクトの分析を始めていた。平和主義者として認められないのか、アートマンは始めて渋い表情をしていた。
その表情を見て、俺はアートマンに否定されたような感覚を覚えた。どうやら、アートマンはアーティファクトの設計思想が気に食わないらしい。
「ラムダ=エンシェント卿……あなたはそのアーティファクトで何を成すおつもりですか? 世界の混乱が望みでしょうか、或いは世界の破滅が目的か?」
「この力は……我が王の“願望”を叶える為のものだ!」
「なるほど……その“過程”で起きる争いは承知という事ですね。良いでしょう……あなたの意志は読み解けました。では……次はわたしの意志を知って頂きましょうか」
俺に覚悟を問うた直後、アートマンから僅かばかりの敵意が現れた。次の瞬間、戦いの舞台になっている天体観測室の空気が凍り付き、俺は押し潰されそうな重圧に曝された。
いよいよアートマンが攻勢に出るのだろう。そんな悪い予感が俺の本能を刺激ていたのだった。




