第907話:すれ違う姉妹
「お姉様……少しお話よろしいでしょうか?」
――――デア・ウテルス大聖堂、聖堂騎士団宿舎。アーカーシャ教団とラストアーク騎士団との会談から数時間後、私は宿舎の一画に在るヴァルゴお姉様の部屋を訪れていた。
「…………」
ヴァルゴお姉様は教団から支給された浮遊座椅子に座り、窓の外をぼーっと眺めている。窓辺では白い小鳥が囀り、ふわふわとした雪が降っている。
ヴァルゴお姉様は私の挨拶に返事はしてくれなかった。まるで私など存在していないかの如く、ただ窓の外を眺めていた。
「あの、その……お姉様。私、謝りたくて……」
私はヴァルゴお姉様に謝りたかった。アーカーシャ教団と敵対するラストアーク騎士団に組みしていた事を。
ラストアーク騎士団が本当に『世界の敵』なのかどうか見定めたかったのが理由だが、教団と敵対し、ヴァルゴお姉様の信頼を裏切ったのは事実だったから。
「私は……女神アーカーシャ様や教団を見限った訳ではありません。ただ、本当にラストアーク騎士団が“敵”なのかを見定めたくて……」
「…………」
「私は今でも女神アーカーシャ様を信仰し、お姉様を深く敬愛しています。どうか私の話を聞いて頂けないでしょうか……お願いします、ヴァルゴお姉様」
言い訳をしている、ラストアーク騎士団に組みしたのは彼等を見定める為だ、今でも心は女神アーカーシャ様とヴァルゴお姉様を深く敬愛しているのだと。
向こうを見るヴァルゴお姉様に頭を下げて、私は自分の非礼を詫びた。どうか赦してほしい、どうか私の方を向いてほしいと願って。
「ふぅ……ほんとうに、ほんとうに貴女は……ひどく傲慢ね、リブラ。理由があれば赦して貰えると、謝ればわたしは許してくれると思っている……」
「お、お姉……様……?」
「人々は根は善良だ、話し合えばきっと理解し合える……そう本気で信じている。まったく……まったく以って不愉快だわ。貴女のその能天気さがわたしは腹立たしいのよ!!」
浅はかだった、私はどこかでヴァルゴお姉様が許してくれるのと信じていた。また、優しい笑顔を私に見せて、労りの言葉を掛けてくれるのだと思っていた。
だけど、現実は違った。
ヴァルゴお姉様は声を荒げて私を罵倒した。謝れば許して貰えるなんて馬鹿げている、そうヴァルゴお姉様は私に言い放った。私は口元を歪ませながら振り向いたヴァルゴお姉様を怯えた表情で見つめるしか出来なかった。
「女神アーカーシャ様に歯向かった時点で……ラストアーク騎士団は絶対の“悪”なのよ。理由があれば秩序を乱して良いの? 理由があれば同胞を殺して良いの!? 馬鹿げてるわ……」
「し、しかしお姉様……教団も虐殺を……」
「……虐殺? 何を言っているの……女神アーカーシャ様が『粛清しなさい』と仰られたのなら、それは常に“正しい”行ないなのよ。リブラ、貴女は女神アーカーシャ様が間違った事を仰っていると言うの?」
「い、いえ……ち、違います!」
「違わないわ……女神アーカーシャ様がラストアーク騎士団を“敵”だと認識されたのなら、如何なる理由があろうとラストアーク騎士団は“敵”よ。なのに、貴女は連中に組みした……光導騎士として恥ずべき行為よ!」
女神アーカーシャ様が敵対視されておられるラストアーク騎士団は如何なる理由があろうと『悪』である。そう、ヴァルゴお姉様は私を叱りつけた。
そして、アーカーシャ教団が行なった虐殺などの行為は全て『正義』であるとも言った。私はヴァルゴお姉様が言っている意味が理解出来なかった。
「貴女は教団に拾われて養われた恩を、女神アーカーシャ様に選ばれた栄誉を軽んじている。貴女にとって女神アーカーシャ様への信仰とは、そんなにも簡単に裏切れるものだったのかしら?」
「ち、違――」
「違わなくないでしょ!!」
「――ひっ!?」
「女神アーカーシャ様に拾って頂かなければ……わたしたち姉妹はずっと孤児のままだった。今頃は飢えて野垂れ死んでいたでしょうね……」
ヴァルゴお姉様に怒鳴られて、私は思わず尻もちをついてしまった。その怒りには明確な“殺意”が籠もっていた。
今まで、生まれた時からヴァルゴお姉様に殺意を向けられた事がなかった私は思わず眼に涙を浮かべてしまった。
「わたしは貴女を懸命に育てたわ……身を粉にしてまでね。身体を売って、好きでもない男に抱かれて……何度も何度も“女”を踏み躙られてでも、貴女を育てたわ。お母様との約束を守り、貴女を立派な淑女に育てる為に……!」
「お、お姉様……何を言って……?」
「なのに……結果はこれよ! 貴女はよりにもよって、女神アーカーシャ様の大敵である“傲慢の魔王”に媚びへつらった! わたしに育てられた恩も忘れて……この恩知らずの売女が!!」
ヴァルゴお姉様は近くに置いてあった花瓶を私に投げ付けた。咄嗟に腕で防御したが、花瓶は割れてしまった。生けてあった花は床に散らばり、私は水浸しになり、花瓶が割れた音に驚いて窓辺の小鳥たちは逃げていった。
私の腕からは血が滲んでいる。けど、私から滴る血を見ても、ヴァルゴお姉様は表情一つ変えていない。そして、私はヴァルゴお姉様が口走った言葉に頭が真っ白になっていた。
「貴女はもうわたしの敵よ……リブラ。女神アーカーシャ様の敵対組織に組みした以上、わたしは貴女を粛清せねばなりません」
「お姉……様……嘘ですよね……?」
「貴女はもう妹でもなんでもありません……どうでもいい、ただの敵です。だから……今すぐに死になさい。女神アーカーシャ様の“正義”に楯突くなら……アートマン様の“救済”を邪魔するのなら……わたしがこの場で貴女を粛清します……!!」
「お姉様、待って、話を聞い……うっ!? 息が……」
ヴァルゴお姉様の眼には、私はもう“敵”としか映っていなかった。そして、ヴァルゴお姉様が右手を私に向けた瞬間、私の首は不可視の魔力で不意に絞め上げられ始めたのだった。
 




