乙女の記憶:この醜き世界に救済を
「じゃあお姉ちゃん、お仕事に行ってきますね」
「いってらっしゃーい、おねーちゃん!」
――――世界は醜い。それが当時のわたしが『世界』に抱いていた感想だった。立て続けに両親を失ったわたしたち姉妹はスラム街で身を寄せ合って暮らしていた。
埃まみれの隠れ家、夏は悶えるように蒸し暑く、冬はすきま風が容赦なく体温を奪う。財産はなく、着るものは貧相で、その日の食事すら困るようなありさまだった。
(嫌だなぁ……お仕事に行きたくない……)
母は亡くなる直前、わたしに妹の事を託した。まだ幼い妹は自力で稼ぐ事ができない、だからわたしは両親に代わって妹を養う事になった。
本当は両親がわたしたち姉妹の為に多額の遺産を遺してくれた。だけど、遺産に目の眩んだ大人たちはわたしたちを追い出してお金を奪っていった。まだ幼く、後ろ盾のないわたしたちには抵抗する手段が無かった。
人間はみんな意地汚い。
自分さえ良ければいいと思っている。
住む場所も生きていく備えも失ってスラム街に追い込まれたわたしは、妹を養う為に働く事にした。けれど、わたしには大した学がある訳でも、特別な才能がある訳でもなかった。
「あの、そこの旅人さん……」
「なんだ……見窄らしい嬢ちゃんだな?」
「あの、その……良かったらわたしを買いませんか?」
「あ? なんだ嬢ちゃん、その年齢で娼婦か? ハハハッ、そりゃ面白ぇ……身なりは貧相だが、容姿はそれなり……訳ありか?」
「…………」
「へっ……言いたかねぇか。ま、別に良いさ……俺もそれなりに金は持ってるしな。いいぜぇ、嬢ちゃんを買ってやるよ……さっ、さっさと宿屋にでも案内してくれや」
わたしのあるのは母親譲りの端麗な容姿だけ。自分自身と妹を養う為に、わたしは自分自身を売ることにした。毎日のように街に繰り出しては男を捕まえて、肉体関係と引き換えに金銭を売る仕事だ。
わたしは日常は、いつも誰かの慰み者だった。
見ず知らずの他人に股を開いて、僅かばかりの報酬を得る。わたしは娼館の高級娼婦じゃない、ただのスラム街の子どもだ。だから身体を差し出しても大した金銭は得られない、ひもじい飽食だと二束三文で買い叩かれた。
「オレさ……女の子を痛めつけるのが趣味なんだよね。ねぇねぇ、お嬢ちゃん……身体壊しても良い?」
「やめて……商売ができなくなっちゃう!」
「あ~、そうだなぁ……なら脚で良いや。骨を折って、神経をズタズタにして歩けないようにしちゃおう。あっ、ちゃんとお金は払うから、相場以上のお金は払うから……サァ!!」
「い、痛い、やめて……いや、いやぁぁあああ!!」
管理された娼婦ではない以上、わたしには身の安全は保証されなかった。そして、わたしはある日、猟奇的な客によって犯された挙げ句、両脚を不随にされてしまった。
スラム街の子供だから何をしても良い。
傷付けても殺しても誰も困らない。
わたしは男たちの“玩具”だった。
両脚を壊されて、車椅子生活を余儀なくされた後も、わたしは娼婦として街に繰り出すほかなかった。もう、わたしには自分を売る以外に選択肢は残されていなかった。
(助けて、助けて……助けてください、女神アーカーシャ様。もうこんな生活耐えられません……どうかわたしを助けてください。お願いします、お願いします……)
わたしは毎日、女神アーカーシャ様に祈り続けた。男たちに食い漁られる毎日にわたしの心は疲弊していた。わたしには『世界』がどうしても醜く見えてしまっていた。
女神アーカーシャ様なら助けて下さる筈だ。
そう願ってわたしは祈り続けた。
周囲の人々は誰もわたしを助けてくれない。そればかりか、いつもわたしを怪訝な目で見つめてきていた。わたしは何も悪いことはしていない、ただ生きる為に精一杯頑張っているだけなのに。
「おねーちゃん……顔が怖いよ? 何かあったの?」
「い、いいえ……なんでもないわ。ごめんなさい」
いつしか、わたしは妹の事が嫌いになっていた。わたしは男に身体を売って、両脚を不随にされても頑張っているのに、妹はわたしに護られてのうのうと生きている。
わたしは妹が許せなかった。
綺麗なままでいる妹が憎い。
同じ場所で暮らす、血を分けた姉妹の筈なのに、わたしと妹の在り方は全く違っていた。だからわたしは妹が羨ましく、そして妬ましかった。世界は美しいと本気で思っている妹がどうしようもなく恨めしかった。
「へぇ~、ジニーちゃんもうすぐ成人になる妹が居るんだ。ならさぁ……妹にもそろそろ“売り”やらせなよ。そしたら稼ぎ二倍じゃん……それかさぁ、今度はジニーちゃんが養われる番になったら?」
「それは……」
「お姉ちゃんであるジニーちゃんは苦労したんだ。ならさぁ……今度は妹ちゃんが苦労する番だと思わない? あっ、そうだ……妹ちゃんが“売り”やるならさぁ、僕が一番に買ってあげるよ」
ある日、わたしは妹の売春を勧められた。わたしを贔屓にする上客の中年男性からの勧めだ。もうすぐ『神授の儀』を受けて成人になる妹にも身体を売らせたらと言う悪魔の囁やき。
わたしはそれを否定できなかった。
今度は妹が穢れる番だと内心でほくそ笑んだ。
その提案をされた日から、わたしは妹を売る為に準備を進めてしまった。貯め込んだお金を叩いて綺麗な衣服を買い、わたしを抱く常連客に妹の事を紹介した。
「大丈夫、もう大丈夫だから! わたしがあなたを守ります! だから……もう自分自身を傷つける事なんてしなくて良いの。もう……大丈夫だから」
けれど、わたしの復讐は果たされる事はなかった。妹を売る直前、アーカーシャ教団の聖女ティオ=インヴィーズがわたしたち姉妹を保護してしまった。
スラム街で売春をする少女の噂を聞き付けて駆け付けたらしい。そのままわたしたち姉妹は救出されて、アーカーシャ教団に引き取られた。
「お姉様、これで……私たち救われたんですね」
綺麗な修道服に身を包んだ妹が呑気にそう言った。わたしはそんな妹に愛想笑いをしながらも、内心で憎悪を滾らせてしまった。
妹はなんの苦労もしていないのに救われた。
わたしだけが穢されて、苦労をし続けた。
あまりにも不公平だと、わたしは『醜い世界』の“理不尽”に憤った。わたしは妹が自分と同じ立場に居るのが気に食わなかった。
「女神アーカーシャ様より神託がありました……貴女を『光導十二聖座』の第八席に加えます。これよりは今までの自分を捨てて、この世界の秩序の為に生きなさい……ヴァルゴⅤⅢ」
「はい、ありがとうございます……教皇ヴェーダ様」
「この『世界』に蔓延る全ての“悪”を断罪しなさい、裁きの乙女よ。貴女にはその資格がある、女神アーカーシャ様の意志を貴女が『世界』に示すのです」
わたしは聖堂騎士団に所属して秩序の維持の為に身を粉にして働き、僅か数年で最高位の騎士である『光導十二聖座』に選出された。
そして、女神アーカーシャ様からヴァルゴⅤⅢの名前を与えられ、忌まわしい『ヴァージニア』という古い自分を捨て去った。
わたしは女神アーカーシャ様に選ばれた。
わたしは救われたのだと確信した。
女神アーカーシャ様は貧困に喘ぐわたしを見捨てはしなかった。わたしはヴァルゴⅤⅢとして『世界』の秩序を維持する守護者に選ばれた。
だからわたしは光導騎士として戦い続けた、傷だらけの乙女であるわたしの過去を塗りつぶし、この身体に刻まれた“傷”を意味のあるものに変える為に。
「お姉様、私も光導騎士になれました」
だからお願い、リブラⅠⅩ――――もうわたしの妹を名乗らないでほしい。わたしは過去と訣別したのだから、もうわたしの目の前から消えてほしい。
――――だって、わたしはあなたが嫌いなのだから。




