第901話:資格を持つ者
「うむ、今日も良い天気だ……心が落ち着く」
――――アートマンに先導され、俺たちラストアーク騎士団はデア・ウテルス大聖堂への道を進んでいく。
メインストリートの左右には聖堂騎士団がズラリと並び、俺たちの後方には光導騎士や審問官ヘキサグラムたちが付かず離れずの位置に付いている。
「この聖都は我が母、アーカーシャが直々に設計したのですよ。ここには差別も貧困も存在しない……誰もが平等に、誰もが幸福に、そして誰もが平穏に暮らせる場所なんです」
「そうか……なんだか静まり返っているけど?」
「どうやら、信徒たちはあなた達を恐れて屋内に隠れているようですね。ああ、申し訳ない……どうか皆の心情を理解してあげてください。皆、恐れているのですよ……この聖都に争いが持ち込まれるのではないかと……」
「……それはアーカーシャ教団の出方次第だ」
「ええ、それは承知していますとも、ラムダ=エンシェント卿。ご安心を……わたしは事を荒立てる気はありません。皆にもそれが伝われば良いのですが……如何せん『人間』は複雑な精神構造をしていますのでね……」
アートマンは歩きがてら、俺たちに聖都デオ・ヴォレンテの紹介をし始めた。この街は争いも差別も無い場所だと。確かに、街には荒れた形跡は見えないし、所謂スラムのような場所も見受けられない。
ただ一点気になるのは、街の住人だ。
アートマン曰く、街の住人たちはラストアーク騎士団を恐れて屋内に避難しているらしい。よく見れば、周囲の建物の窓から住人たちが俺たちを恐るおそる観察しているのが見えた。
「先ほど、あなたは『人間』は複雑な精神構造をしていると言いましたが……それはあなた自身は『人間』ではない、と自己申告しているように聞こえます。どうなのですか……アートマンさん?」
「ノア……」
「ええ、あなたのご推察の通りですよ、ノア=ラストアークさん。わたしは純粋な人間ではありません……女神アーカーシャによって設計された次世代のアーキタイプたる生命種です。あなたと同じ“人造人間”ですよ……」
「私と同じ……ですか」
「はい……わたしは女神アーカーシャが収集した全人類のデータを元に精神性を調整し、遺伝子を組み換え、様々な加護を付与し、新たな“人種”として設計された存在です。もう少し踏み込んで言えば……あらゆる人間が抱えうる“欠点”を意図的に排除して造られた存在ですね」
隠れた人々の事を擁護しつつも、アートマンはノアの問いに答えるように自らの出自を明かした。曰く、アートマンは女神アーカーシャによって設計された『次代のアーキタイプ』なのだそうだ。
精神や遺伝子を操作し、本来人間が持つべき“欠点”を意図的に排除して造られた存在なのだとアートマンは語った。それを聞いた瞬間、ノアは表情を少しだけ苦々しいものに変えた。
「欠点を意図的に排除した? それではまるで……あなたはご自身を『完璧な存在』だと言っているように聞こえますが?」
「ええ、その認識で構いませんよ……わたしは女神アーカーシャによって『完璧な存在』として設計されました。『七つの大罪』と言われる悪感情を抱きません、この身体はあらゆる病や怪我とは無縁です。老いることはなく、朽ちることはなく、食事も水分も必要はなく、息をする必要も睡眠をとる必要もない……それがわたしです」
「まさか……じゃああなたは排泄すらしないと? そんな、まさか……あなたは空想上の存在だと言われた『うんちをしないアイドル』だと言うのですか……」
「何を気にしてるんだ、ノア……」
「ええ、わたしはうんちはしません。そもそも食事をしませんので……その、アイドルではないのであなたの言う空想上の存在ではないと思うのですが……」
「あんたもボケに乗らんで良い」
「ああ、失礼……今のはジョークでしたか。ノア=ラストアークさんは場を和ませるのがお上手ですね。ええ、流石は我が母アーカーシャを設計した偉大な科学者だ……実に面白い御方ですね」
アートマンは自らの性能を語った。感情に左右されない、食事や睡眠と言った生理現象を伴わない、朽ちることも無い不滅の存在だと。
それを聞いて俺は寒気がした。
事実ならアートマンは『人間』ではない。
俺たち人間にとって必要不可欠な要素が尽く抜け落ちている。それは果たして『人間』だと言えるのだろうか。俺はアートマンが『次代のアーキタイプ』だと言われている事に疑問を抱いてしまった。
「あんたは……本当に『人間』なのか?」
「その疑問はもっともですね、ラムダ=エンシェント卿。確かにわたしは……あなたの感覚では、現在の基準では『人間』とは言えません。なにか別の存在でしょう……今はまだ、ね」
「今はまだ……?」
「直にわたしの存在こそが『世界』の“基準”になります。その為に今回、あなた達との会談を設けたのですよ。わたしは語り合い、分かり合いたいのです……あなた達とね」
「分かり合いたいだって? …………」
アートマンは確実に何かを企んでいる。そして、アートマンは俺たちと『分かり合いたい』と言ってきた。スペルビアを武力で排除した人物とは思えない発言だ。
だが、アートマンの表情は穏やかだった。
俺たちに優しく微笑み掛けている。その美しい笑みに思わず絆されて、魅了されてしまいそうな程にアートマンは神々しく、だけどどこか超越した近寄りがたい雰囲気を感じてしまった。
「聞こえるか、ラストアーク騎士団! ラムダ=エンシェント……そこで立ち止まりなさい!」
「ん……!? 誰だ……女の子??」
「おや……彼女はプレシアさんですね。自宅に待機しているように言われていた筈ですが……?」
そんな折、俺は一人の少女に呼び止められた。聖堂騎士団の隊列を縫って現れたのは小さな女の子だった。その手には拳ほどの大きさの石が握られている。
アートマン曰く、その少女は聖都に住む人間なのだそうだ。そんな少女が血相を変えて、怒りと憎悪を滲ませた表情で俺を睨んでいた。
「あたしのパパ……聖堂騎士だったパパはグランティアーゼ王国でお前に殺された! ラムダ=エンシェント、あたしのパパを殺した魔王め! パパの仇だ、あたしがお前を成敗してやる!!」
「――――ッ!?」
「あたしのパパ……優しくて強かったのに、お前に斬られて殺された! 絶対に許さない……女神アーカーシャ様の築いた平和を否定して、あたしのパパを殺した悪人め!!」
その少女は父親を俺に殺された被害者だった。グランティアーゼ王国奪還戦の際、俺が殺した聖堂騎士たちの誰かが少女の父親だったのだろう。
少女は涙で表情をぐしゃぐしゃにしながら、手にしていた石を投げようと構えた。その瞬間、俺の背後でラストアーク騎士団のみんなが雰囲気をピリつかせ、それに反応して聖堂騎士団も殺気だった。
「…………」
このままでは一触触発の事態に発展してしまう。だけど、その責任は俺にある。俺は少女から親を奪ったのだ、恨まれても仕方がないだろう。
「パパの仇……ここで死んじゃえーーっ!!」
そして、少女は喉が張り裂けそうな程の叫びをあげて、俺に向かって手にしていた石を投げ付けてきた。狙いは完璧、俺の顔に向かって一直線に飛んでくる。
俺は防ごうとも避けようともしなかった。
きっと、少女にとって亡くなった父親は偉大な存在だったのだろう。そんな人を殺した俺は裁きを受ける必要があるのだろう。だから抵抗はしなかった。
「ああ、駄目だよ……プレシアさん。ラムダ=エンシェントを傷付けてはいけない……それをすればあなたは“罪”を一つ背負うことになってしまう」
「――――ッ! アートマン様……なんで……?」
「罪なき者のみが石を投げよ……あなたはラムダ=エンシェント卿を裁く程の高潔な存在ですか、プレシアさん? 早まっては、思い上がってはいけません……」
だけど、少女の投げた石が俺に届くことはなかった。アートマンが投げられた石を掴んだからだ。白く華奢な腕で石を掴み取り、アートマンはその石を白い砂に変えて消し去った。
その光景を見た全員が沈黙した。
アートマンは石を消し去ると、穏やかな微笑みを向けながら少女に近付いて行く。少女は怯えた表情でアートマンを凝視し、俺たちや聖堂騎士団もその場に釘付けになっていた。
「ラムダ=エンシェント卿の“罪”を裁けるのは『神』だけです。だから、プレシアさんがその手を汚す必要はありません……」
「だけど……あたしのパパが……」
「ええ、分かっています……悔しいでしょうね。ですが……どうか思いとどまってください、プレシアさん。それに……あなたが感情を吐露した時点で、ラムダ=エンシェント卿はすでに己のが“罪”を自覚しました……」
「っ……」
「プレシアさん……そして、その手に石を隠し持つ全ての信徒に告げます。ラムダ=エンシェント卿を……そしてラストアーク騎士団の“罪”は然るべき裁きの場で明らかにします。ですので、どうか……この場は収めてください」
アートマンは少女の頭を優しく撫でてあやしながら、周囲に隠れた人々に向けて場を収めるように伝えた。その瞬間、周囲で様子を窺っていた人々がさっと隠れた。
どうやら少女に続いて、俺やラストアーク騎士団に対して攻撃を仕掛けるつもりだったらしい。きっと、少女と同じで聖堂騎士団に家族を持つ者なのだろう。
「ふむ……皆さん一旦は収まってくださったようですね。良かった……さぁ、プレシアさんもお家に戻りさない。お母様が心配していますよ」
「アートマン様……あたし……」
「お母様を心配させてはいけません……それは悪いことですよ。誰か、この子を安全な場所にお連れしてください……お願いします」
「うぅ……ごめんなさい……」
「プレシアさん、あなたはお父様の自慢の子どもです。復讐や憎悪に囚われてはなりません……どうか健やかに、穏やかに生きるのです。わたし、アートマンがあなたを赦します……さぁ、お行きなさい」
「はい……アートマン様」
「いずれ、あなたも完璧な存在に生まれ変われる……その時、あなたが抱いた憎しみも悲しみも消え去るでしょう。今はただ祈りを捧げるのです……いずれ、我々は真の『理想郷』に到れるでしょう」
俺に恨みを持つ少女をアートマンは優しく諭し、そして“赦し”を与えた。そして、沿道から現れた聖堂騎士に連れられて少女は去って行った。
その場はアートマンによって収められた。少女が去り、隠れていた人々が矛を納めた事でラストアーク騎士団も聖堂騎士団も緊張状態を解除した。それを確認したアートマンは安堵した表情を浮かべている。
「なんで……俺を庇ったんだ?」
「あなた達を裁くのは……『神』です。プレシアさんでも、アーカーシャ教団の信徒たちでもございません。それをはっきりとさせたかったのです……」
「その『神』とは……あなたの事ですか?」
「ええ、その通りですよ、ノア=ラストアークさん。ですがご安心を……まずは話し合いです。わたしはあなた達を理解したい……裁きと“赦し”を与えるのはその後です」
「自分は罪なき者だと驕るのか……」
「驕りではなく“事実”です、ラムダ=エンシェント卿……その為にわたしは設計されました。さぁ、歩きなおしましょうか……教皇ヴェーダを待たせてはいけませんからね」
「完璧な存在、罪なき者か……」
そして、アートマンは再び穏和な表情を見せると、デア・ウテルス大聖堂に向けて歩き始めるのだった。
俺は内心不気味に思い、そして恐怖した。
アートマンは自らを『完璧な存在、罪なき者』だと言い切った事に。そこには嘘も偽りもなかった。アートマンは本心からそう言い切ったのだ。それを俺は“怖い”と思ってしまった。




