第899話:決戦の舞台へ
「交渉、話し合いの場だとアートマンさんは仰っていましたが……おそらくその際に槍玉に上げられるのは私と貴方の処遇だと思われます」
「だろうな……」
「公平性を謳っているアートマンさんは刺激さえしなければ表立った行動はしないでしょう。ですが、私たちを快く思わない聖堂騎士団は別です……くれぐれも油断なきように、我が騎士よ」
――――戦艦ラストアーク右舷連絡通路にて。聖都デオ・ヴォレンテへの到着が刻々と迫る中、俺とノアは身支度をしながら搭乗口に向かって通路を歩いていた。
俺の役割は戦艦ラストアークの艦長にして、ラストアーク騎士団の頭脳であるノアの騎士として護衛の任に就くことだ。舞台はアーカーシャ教団の中枢、敵の本拠地だ。何が起こるか分からない。
「ラムダさんやミリアちゃんの証言からアートマンさんの保有術式を解析しています。それの解析が終わるまでは絶対にあの人に手出しをしては駄目ですよ」
「解析したら勝てる可能性は……?」
「ふっ……私を誰だと思っているのですか? 約束します、必ず攻略の糸口は掴んで見せますとも……ここは大船に乗ったつもりでお任せください♪」
加えて、まだ俺たちはアートマンという未知数の脅威への対抗手段を用意できていない。ノアが奴の術式を暴かないと勝てる可能性は皆無に等しいだろう。
スペルビアの記憶では、ラムダ=エンシェントはアートマンに手も足も出ずに敗北を喫している。アーティファクトを用いた猛攻は尽く防がれ、アートマンは己の身一つで『俺』の出力を凌駕していた。
「不安なんですか……ラムダさん?」
「ああ、かなりね……俺は“機神装甲”を手に入れてスペルビアよりも強くなった。けど、それでもアートマンには届かないと断言できる……これでも騎士だからね、相手の力量はある程度推し測れる」
「そう、ですか……」
「スペルビアは……アートマンとの交渉が決裂した事で戦わざるを得なくなった。そして敗北した……仲間を全て失ってね。俺はそうはなりたくない……ギリギリまで戦いは控えるつもりだよ」
「“恐怖”ですね……ええ、その感情は大事です」
俺の力だけではアートマンは倒せない。きっと、ノアの持つ知恵が必要だろう。俺とノアで力を合わせなければきっと勝てない……そんな予感がずっと胸の中で渦巻いていた。
「あっ……ラムダ卿……」
「ルチア……どうしたんだ、こんな場所で?」
そんな事を思いながら連絡通路を歩いている時だった、俺は通路の先で佇んでいるルチアの姿を目撃。彼女は窓から眼下に広がるサンタ・マリア島の景色を眺めて憂いた表情をしていた。
「あ~……大事なお話をするつもりなら私は先に行っていましょうか? ラストアーク内ならまだ安全でしょうし……」
「あ、ああ……気を使わせて悪いな」
「いえいえ、お気になさらず……それでは私は先に行きますね。あぁ、ルチアさん……ラムダさんにお話があるなら手短にお願いしますね。もうすぐデア・ウテルス大聖堂に到着しますので……遅刻は厳禁ですよ」
空気を察したのか、ノアは俺を置いてさっさと搭乗口の方へと向かって行ってしまった。ルチアが俺にしか心を開かないのを知っているからだろう。
残された俺はルチアの側にゆっくりと歩み寄った。彼女は俺を拒絶する事なく受け入れて、俺は彼女の隣に静かに立った。
「不安そうだね……ルチア」
「それはあたしの台詞だっての」
ルチアは俺の問いかけにぶっきらぼうな口調で悪態をついた。本当は不安がっているのに、本心を知られたくなくて“仮面”を被って虚勢を張っている。
けど、窓枠に手をつくルチアに自分の手を重ねた瞬間、ルチアは緊張が解れたのか少しだけ態度をしおらしくした。
「デア・ウテルス大聖堂……あたしのママが過ごした場所。そして、あたしとママを捨てたクソ親父が待ち構えている場所……」
「そうだな……」
「あたしは……あの男を許せない。あたしとママを捨てて、ラムダ卿を敵視するあいつをあたしは許せない。この手で決着を着けなきゃならない……」
ルチアは父親であるリヒター=ヘキサグラムに強い怒りを露わにしている。そして、目的地がアーカーシャ教団の本拠地である以上、審問官である彼との対峙は避けられないだろう。
ルチアの手は震えていた。
母親を失った彼女は今、父親との因縁の戦いに挑もうとしている。その悲しみを、やるせなさを、同じ軌跡を辿った俺は良く理解できる。
「ルチア……大丈夫、俺が一緒にいるよ。終わらせよう、ルチアが抱えた因縁の全てを。そして取り戻すんだ……ルチアの“人生”を」
「……手伝ってくれる、ラムダ卿?」
「ああ、約束する……俺は君の味方だ。何があっても、君がどんなに苦しんでも……俺は君の味方であり続ける。だから安心して……」
ルチアは俺では想像できないぐらいの“地獄”を生き延びた。けれど、まだその『過去』から逃れられてはいない。
愛した母親との死別、父親との確執、奴隷として過ごした日々のトラウマ、男に傷つけられた屈辱の日々、それらがルチアを今も苦しめている。俺にできるのはその傷の苦しめを和らげる事だけだった。
「ありがとう……ラムダ卿」
「良いんだ、お礼なんて」
この戦いでルチアは自分の人生に一つの大きな決着をつける事になる。そんな予感を俺は感じていて、きっとルチアも同じ予感を抱いているのだろう。
俺が自分の生まれた意味を“ノアの騎士”だと言ったように、ルチアはこの戦いを通じて生まれた意味を見出すだろう。俺にできるのは、ルチアの手を握って彼女を勇気付ける事ぐらいだ。
「見えてきた……あれが聖都デオ・ヴォレンテ。そして、デア・ウテルス大聖堂……! あたしのママが聖女として過ごした場所……!!」
「ラストアークを竜の群れが囲んで……!」
「アーカーシャ教団はあたし達を随分と歓迎しているみたいね?」
そして、ルチアに逃れられない“覚悟”を促すように、戦艦ラストアークは遂に目的地に到着した。窓の外に広がっていたのは大量のドラゴンが戦艦ラストアークを包囲する様子と、目的地であるデア・ウテルス大聖堂の光景だった。
見えてきたのは真っ白な雪原の大地に広がる“聖都”デオ・ヴォレンテと、その聖都のさらに奥にそびえ立つ山のような巨大な建造物デア・ウテルス大聖堂。アーカーシャ教団のお膝元だ。
「始めよう、ルチア……俺たちの戦いを!」
「もちろん! 目にもの見せてやるわ!」
戦艦ラストアークが地上へと降下し始めた事に気付いた俺とルチアは搭乗口へと歩き始める。
間もなく始まろうとしていた、俺とノアの運命を賭けた戦いが……そしてルチアの『過去』との対峙の瞬間が。




