ヘキサグラムの記憶⑦:正義や秩序だって、合わせ鏡の暴虐
「さぁ、朝ですよ。起きてください、ティオ」
「う、う〜ん……あとちょっとだけ……Zzz」
――――あの日、禁じられた“愛”に堕ちてから、私とティオの関係は一変した。
遠征から戻って来て二ヶ月が経ったが、表面上は何も変わらない。ティオはアーカーシャ教団の聖女で、私は彼女のお目付け役だ。
「朝のキスをしてくれたら起きますよ……」
「やれやれ、わがままなお姫様ですねぇ……」
しかし、私的な空間では、女神アーカーシャの眼の届かない所で私たちは“夫婦”を演じていた。私とティオは人目を盗んでは唇を交わし、夜になれば閨で身体を交えていた。
無論、悟られる恐れはある。
ティオは女神アーカーシャの“端末”だ。
ティオを含む聖女や聖人の心身を間借りして女神アーカーシャが顕現する事をティオから聞かされた私は対策を講じていた。
自身の持つ“封印”の術式をティオに施して女神アーカーシャの顕現を無理やり封じ込め、その間に行為に及ぶと言うものだ。
「ティオ……まだバレてはいないですか?」
「ええ、まだ大丈夫……けど、時折わたしの意識が観測不能になる事を教皇ヴェーダ様は訝しんでいる。もう隠し通せないかも知れない……」
「その時は私がヴェーダ様の記憶を封印して……」
「それは駄目……わたしたちの関係の為に他の人を傷付けては駄目です、リヒターさん。許されざる関係に堕落したのはわたしたち……だから全ての責任をわたしたちが背負わないと……」
「それは理解しています……していますが……」
すでに教皇ヴェーダはティオの異変に感付き始めている。いずれ全てが露見するのは時間の問題だろう。
「大丈夫です……いざという時の備えはしています。だから……どうか心配しないでください、ティオ。私の愛する妻よ……私が必ずあなたを護り抜きます」
「リヒターさん……あなた……」
「あなたとの約束は守ります……誰も傷付けないと約束します。だから、どうか……恐れないでください。あなたの笑顔だけが……私の喜びなのです。だから笑っていてください……ティオ」
だから私は“準備”を進めていた。全てが露見した時、ティオを連れてアーカーシャ教団から逃げる準備を。けど、その手段を使う時、ティオは聖女ではなくなる。
それはティオの“信念”を捻じ曲げる行為に他ならない。だから、その時が来ることを私は内心恐れていた。
「さぁ、今日も笑ってください……ティオ」
「……はい、もちろんです……リヒターさん」
いつかこの日々は終わる、その時我々は“代償”を支払う。神の所有物に手を出し、禁じられた果実を口にした罪深き私にはいずれ『神罰』が下るであろう。
そんな一抹の不安を拭うようにティオと口付けを交わし、私室を後にして私たちは聖女と護衛としてデア・ウテルス大聖堂へと繰り出していく。
〜〜〜〜
「おはようございます、リヒターさん」
「おや……サジタリウスさんですか、おはようございます。今日はリブラさんとはご一緒ではないのですか?」
「リブラはヴァルゴの所です。ティオ様は……?」
「ティオ様ならお手洗いですよ……なんでも急に吐き気を催したのだとか。おかしいですねぇ……朝食や昨日の夕食にはおかしな部分などなかった筈ですが……?」
「それは心配ですね。何事も無ければ良いのですが……」
その日、私は珍しくサジタリウスと二人っきりになった。お手洗いに駆け込んだティオを廊下で待っている間に、偶然通り掛かったサジタリウスが声を掛けてきたのだ。
サジタリウスⅩⅠ――――アーカーシャ教団の精鋭騎士『光導十二聖座』の一角、優れた弓使いだ。
「少しだけ世間話に付き合って頂けますか、サジタリウスさん? それとも……私のような脛に傷を持つ男の話など聞く価値はありませんか?」
「まさか……構いませんよ、リヒターさん」
「ありがとうございます。それではお尋ねしたいのですが……サジタリウスさん、あなたはご両親の事をどこまで憶えていますか?」
「…………両親の話ですか?」
「ええ……実は以前、ティオ様の私のご家族の事を尋ねられたのですが、生憎と私の家族はろくでなしばかりでしてね……彼女に聞かせられるような内容ではなかったのですよ」
「は、はぁ……」
「そこで……参考程度にサジタリウスさんのお話でも聞こうかなぁ〜って。ほら……他の光導騎士はなんだかとっつきにくいと言うか……あなた程は柔軟ではなさそうで聞きづらいので……」
ティオを待っている間、私はサジタリウスからある事実を引き出そうとしていた。それは彼の家族に関する事だ。
ティオはエリスという保護者の不在を狙ってアーカーシャ教団に誘拐され、聖職者としての人生を半ば洗脳に近い形で歩まされた。私の見立てが正しいならば、サジタリウスたち光導騎士も同じ境遇だろうと考えた。
「僕の両親は……ええっと、あれ……思い出せない? 確か僕は代々の狩人の家庭で……両親は生きて? いや死んでた……あれ、思い出せない? なんでだろう……」
「両親の顔は? 名前は思い出せますか?」
「両親の顔……わ、分からない? 名前は……思い出せない? 故郷は何処だった……浮かばない? どうして……つぅ、頭が痛い……」
「では……ご自身の名前は思い出せますか?」
「僕の名前……僕はサジタリウスⅩⅠだ。あっ、違う……僕の名前は確か……ウィリアム……ぐっ、あぁぁ!? なんだこれ……頭が割れそうだ……!?」
私はサジタリウスに『家族』と『出自』に纏わる話を振った。するとどうだろうか、サジタリウスは頭を抱えて苦しみ始め出した。
家族の情報は言わずもがな、サジタリウスは自身の出自も思い出せずにいた。唯一判明したのは『ウィリアム』が本名だと言うことだけ、それだけだ。
「リヒターさん、頭が割れそうだ……僕になにをしたんですか!? ぐっ、うぅぅ……あぁぁ!!」
(やはり……記憶の改竄を受けている……)
「思い出せない……家族の顔が! 自分の事が何も思い出せない! なのにどうして……その事を今まで疑問にすら思わなかったんだ、僕は!? 痛い、頭が痛い……」
「落ち着いて……深呼吸を……」
明らかにサジタリウスは記憶に何らかの改竄を受けている。おそらくは他の光導騎士も同じだろう。記憶を消去され、星座と番号で割り振られた『コードネーム』を名乗らされている。
これでハッキリとした。
アーカーシャ教団には『闇』が存在している。
ティオは保護者の目を盗んで攫われ、サジタリウスたちも何らかの方法で無理やり親元から引き離された。おそらくは優秀な人材を手元に抱えておきたいからだろう。
「すみません……私が軽率でした。どうやらあなたは幼少期に悲劇に見舞われ、その後遺症で記憶に混乱があるようだ。落ち着いて、サジタリウスさん……大丈夫、教団ならあなたは安全です」
「うっ、うぅぅ……はぁ、はぁ…………」
「少し落ち着いてきましたね……女神アーカーシャはあなたを加護で守ってくださります。さぁ、サジタリウスさん……少し無理してしまいましたね。今日はゆっくりとお休みなさい……」
「僕は……僕はなんで教団に居るんだ……?」
「それは女神アーカーシャの思し召しだからですよ、サジタリウスさん。さっ、早く宿舎にお戻りなさい……教皇ヴェーダ様には私からご報告しておきます」
無理やり消された記憶を思い出そうとした結果、サジタリウスは強烈な拒絶反応を起こしてしまった。ここまでの症状を発症するとは思わなかった。私の探りが深すぎた……明確に私の不手際だ。
私はサジタリウスに宿舎に戻って休むように促した。そして、彼がよろよろと歩きながら宿舎に戻って行く背中を眺めながら、私はアーカーシャ教団への義憤に拳を震わした。
(アーカーシャ教団は各地から優秀な人材を誘拐同然の手口で集めて、記憶に矯正を加えて無理やり隷属させている。ティオが探しているエリスというエルフも……おそらくは教団の妨害に遭ってティオまで辿り着けていない。なんという暴虐……これが神の名の下に行われる“正義”と“秩序”の姿ですか……!!)
アーカーシャ教団はティオやサジタリウスたちの人生を不当に奪って威光を維持している。聖人・聖女に相応しい者を無理やり引き込み、優秀な戦士を洗脳して神の尖兵に仕立てている。
その事を誰も彼もが疑問には思わない。
そもそも“疑う”行為すら剥奪されている。
その事実に、アーカーシャ教団が当然のように振りかざした“欺瞞”に私は気が付いてしまった。私がティオに導かれて教団に籍を置いた“部外者”だったからだろう。
(このままではティオは永遠に聖女として使われて、アーカーシャ教団に人生を奪われたままになる……それをティオ自身は疑問には思わないだろう。それで良いのか……この欺瞞は告発すべきではないのか?)
私の愛した聖女はアーカーシャ教団の欺瞞が作り出した“偶像”だった。あるべき人生を奪われて、家族が欲しいという『願望』を奪われて、いずれは女神アーカーシャの“器”として召し上げられる。
その事を考えた瞬間、私は心底恐怖した。
女神アーカーシャは絶対の“正義”の名の下に暴虐を働いている。このまま手を拱けば、このまま行動を起こさねば手遅れになってしなう。そんな危機感が私を襲っていた。
「リ、リヒターさん……わたし……」
「――――ッ! 大丈夫ですか、ティオ!?」
「ご、ごめんなさい……リヒターさん。わ、わたし……に、妊娠を……お、お腹の中に……あなたとの子どもが……どうしよう……」
「えっ……まさか……本当ですか……!?」
「う、うぅ……もう隠し通せない。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……わたしたちの関係がバレてしまう。あなたの人生を……無茶苦茶にしてしまう……」
「ティオ…………」
そして、そんな私に追い打ちを掛けるように、お手洗いからよろめきながら姿を現したティオは衝撃の事実を私に伝えた。
ティオは妊娠していた。
その身に子を宿してしまっていた。
それは祝福されぬ生誕――――私とティオに破滅を齎す新たな生命が、ティオの胎内で少しずつ脈動を始めだしていたのだった。




