ヘキサグラムの記憶⑥:神の眼の届かない場所で
「ふぅ……今日の慰霊は些か疲れました」
「ご苦労さま、ティオ様。温めたミルクをどうぞ」
――――聖女ティオの護衛となってしばらく経ったある日の夜、グランティアーゼ王国の辺境の地の忘れられた教会の談話室にて。
その日、ティオと私は魔物の襲撃で壊滅した農村の慰霊の為に使命を果たした。亡くなった犠牲者の“魂”を慰め、生き残った人々に希望を説く。聖職者として重要な役目を果たしていた。
「魔物……ドラゴン自体は王立ダモクレス騎士団のアハト=エンシェント卿が討ち取ったとの話でしたが、農村は壊滅的な被害を受けていましたね。あれでは復興は絶望的でしょう……」
「子ども達も犠牲に……なんて痛ましい……」
「悲しい気持ちは理解……できますが、魔物の襲撃は自然の摂理です。如何に我々が対策を講じても、どうにもならない事は往々にしてあるのですよ、ティオ様」
「それは理解しています……ですが……」
「生き残った人々はエンシェント卿が王都で保護すると引き連れて、孤児たちはアーカーシャ教団で保護する形になりました。我々にできるのはこれが精一杯です。あまり自分を責めないでください……」
小さな農村はドラゴンに襲われて壊滅し、多数の犠牲者を出した。その事をティオは悔やんでいた。手にしたミルクも禄に喉を通っていない。
その様子を見て私が気が付いてしまった。
ティオが潜在的に抱える『闇』を。
私が拝見した他の聖人たちは皆、今回のような魔物による襲撃での慰霊を行なっても大きくは動じない。大抵は『亡くなった人々は女神アーカーシャ様の下に召された』なんて耳障りの良いありがたい説法で人々を納得させる。
「家族を失うのは……悲しい事なんです……」
なのにティオは違っていた。彼女は亡くなった人々の無念を自分の事のように悔やみ、残された人々の悲しみを必死に理解しようとしていた。
その様子を見て、私はティオが自分と同じ境遇に居る事を悟ってしまった。
「ティオ様、あなたはもしや……ご家族が……?」
「それは……それ……は…………」
ティオは孤児だった。エルフという長寿の種族ながら、彼女には“家族”と呼べる存在が居なかったのだ。
「わたしは……リヒターさんの言う通り、家族は居ません。三〇〇年前、わたしの生まれ故郷であるエルフの里が“虐殺聖女”トリニティによって焼き払われ……わたしは故郷も両親も亡くしました」
「アマレの里の悲劇ですか……それで、その後は?」
「当時、赤ん坊だったわたしはエリス=コートネルというエルフの方に抱えられてエルフの里から命からがら逃げ延びました。そして、物心つくまではエリスさんに育てられて……」
「そのエリスさんと言う方は何処に……?」
「分りません……エリスさんが狩りに赴いている間にわたしはアーカーシャ教団に拾われて、それ以来エリスさんとは生き別れに。今も探しています、きっと生きている筈です……だから……」
「聖女として各地を方々としているのですね……」
ティオは三〇〇年前に発生したエルフの里の壊滅事件の生き残りだった。当時、エルフの聖女だったトトリ=トリニティの暴走によってエルフの里は焼き払われ、勇者エイダ=ストルマリアを含む大勢のエルフが犠牲になった痛ましい事件だ。
その悲劇を生き残ったティオはエリスと呼ばれたエルフと共に放浪生活を送っていたが、アーカーシャ教団に引き取られてエルフとも離ればなれになってしまった。
(教団による“誘拐”の犠牲者でしたか……)
それを聞いて確信した、ティオはアーカーシャ教団によって誘拐された犠牲者なのだと。暗殺者時代に聞いた事がある、アーカーシャ教団は素質のある子どもを『保護』という名目で攫っていると。
ティオは間違いなくエリス不在の隙を突かれて攫われている。そして、ティオはその事実を知らされていない。その事実を知った私は教団に対して僅かな憤りを感じてしまった。
「リヒターさんは……ご家族の方は……?」
「私の家族ですか? ふっ……とっくの昔に亡くなっていますよ。暴力的だった父が酔った勢いで母を殴り殺し、我に返った父が自身の罪に苛まれて自殺……よくあるクソみたいな家庭の話です」
「ご、ごめんなさい……わたし……」
「構いません……そうやって両親を失い、路頭に迷って“暗殺者”に身を窶して……そしてあなたに逢えた。私は自分の過去を“傷”だとは認識していません」
「リヒターさん……お強いんですね……」
「いいえ、違います……心が壊れているだけです。両親が呆気なく死んだ様を見て、私は“命”に価値を感じなくなってしまった。私には命は脆く、儚く映っていた……」
ティオは潜在的に『家族』を求めている。だから各地を巡って生き別れた“家族”を探し、家族を亡くした人々の背負った悲しみを誰よりも理解できてしまうのだろう。
そして、私たち奇しくも同じ境遇にあった。
それをお互いに知り合ったから、私はティオともっと深く繋がりたいと思ってしまった。いつの間にか灯りの消えた談話室で、私はソファーに座るティオの横に腰を降ろした。
「ですが……今は違います。命とは脆く、儚いからこそ尊ぶべきなのだと……あなたを見てそう思う」
「リヒターさん……」
「私はあなたに救われた。だから……今度は私があなたを救いたい! ティオ様……いいえ、ティオ! どうか……私にあなたの抱えた『闇』を祓わせてください!」
「それは……」
「ティオ……私と家族になりましょう! あなたが失ったものを私が取り戻します……あなたが理不尽に奪われたものを取り返しましょう! 私にそのお手伝いをさせてください……!!」
そして、私は決して言ってはいけない破滅への言葉を口にしてしまった。ティオが心の奥底で渇望し、聖女としての理性で封じ込めていた『願望』を暴いてしまった。
「それは……駄目です。わたしは聖女……わたしの心も、身体も、“魂”も……全て女神アーカーシャ様の所有物なのです。だから……リヒターさんの願いは……」
「私の願望ではない……これはあなたの願いの筈です」
「聖女なのに家族を持つのは……許されざる禁忌です。露見すれば除籍では済まなくなってしまいます……お願いですリヒターさん、考え直して下さい」
ティオは『世界』に『運命』に、そして『神』に理不尽に“家族”を奪われた。だから私は彼女の手に取り戻そうとした、“家族”を。
そして、それができるのはティオの『闇』を知っている私だけだと、そんな万能感に支配されて行動を起こしてしまった。
「ティオ、私はあの日、あなたに救われてからずっと……あなたの事を愛しています! 私は……リヒター=ヘキサグラムはあなたに出逢う為に生まれてきました……だから!」
「駄目……その先には破滅しか待っていません」
「もっとあなたと繋がりたい……もっとあなたを知りたい。教えてください、ティオ……あなたは私の事をどう思っていますか? 教えてください……あなたの本心を」
私はティオ=インヴィーズを心の底から愛していた。自分は彼女に出逢う為に生まれてきたのだと確信できるほどに。
ティオの肩を掴んで押し倒し、私は彼女に本心を問うた。月明かりだけが差し込む静まり返った談話室に、私とティオの荒い息遣いだけが響く。
「わたしは……わたしは……リヒターさんの事が……す、好きです/// なんでか分からない……だけど、きっと好きだから……わたしはあなたに手を差し出してしまった……」
「ティオ……!」
「でも……わたしたちは身分も種族も違う。きっと、この“恋”は幻想……成就する筈がない。何より……女神アーカーシャ様が許してはくれません……」
「今、この場所に女神の眼は届きません……」
「隠しては生きていけません……いずれわたしたちの関係は露見してしまいます。それにわたしはエルフ……あなたよりもずっと長生きのおばあちゃんです……」
「愛に年齢差などありません……私はあなたを愛しています」
ティオは自らの本心を吐露した。だけど、聖女としての責務に必死にしがみついていた。それをしても自分の心の渇きは満たせないと知りながら。
必死に私を遠ざける言い訳を探して口にしている。だけど、無意識の内にティオは逃げずに私を受け入れようとしていた。だから私は怖気づく事なく彼女に愛を囁き続けた。
「責任なら喜んで取ります……だからどうか、私にあなたを愛させて、救わせてください、ティオ。共に家族になりましょう……我が愛しき聖女よ」
「リヒターさん……わたしは…………家族が欲しい。誰もわたしを一人の女として見てくれない。誰も彼もがわたしを“聖女”だって崇めてくる……それがどうしても我慢できなくて、寂しいの……」
「知っています……」
「ああ、女神アーカーシャ様よ……どうか暫し眼をおつむりください。わたしは戒律を破ります……どうかお赦しください。わたしの浅ましき『願望』を……どうかお赦しください……」
「あなたの“罪”は……私が赦します」
「ああ、リヒターさん……もし、もし……わたしたちの関係がバレて、私が女神アーカーシャ様に見捨てられたなら……それでもあなたはわたしの傍に居てくれますか?」
「喜んで……それが私の存在意義です、ティオ……」
そして、ティオは涙を流し、女神アーカーシャに懺悔しながら私へその『願望』を吐き出した。
同時に私たちは貪り合うように唇を重ね合わせ、お互いの衣服を剥ぎ取っていく。もう戻れない、私たちは神の眼の届かない場所で禁断の“愛”を成就させてしまった。
「リヒターさん……わたしはあなたを愛しています」
「ティオ……私もあなたを愛しています」
そして、生まれたままの姿になった私たちは一つになり、感情の赴くままに破滅への道を歩き始めたのだった。
 




