ヘキサグラムの記憶⑤:求める渇望
「さぁ朝ですよ。起きてください、ティオ様」
「う、う〜ん……あとちょっと寝かせて……Zzz」
「はぁ……やれやれ、なんとも困ったお方だ……」
――――ティオに拾われて以来、私は彼女の護衛となった。そうは言ったものの、正確には“世話係”と“監視役”を兼任しているのが実情だが。
教皇ヴェーダは私の存在を了承した。
ティオの手綱を握るのに都合が良かったのだろう。
無鉄砲で何かをしでかすか分からないティオを監視する役目、それが私に与えられた任務だった。そして、私の身柄はティオの預かりとなっている。なにか問題があった場合、私に関する全ての責任はティオへと向けられる。
「朝食はあなたのご希望通りスクランブルエッグとトーストになっています。無論、菜食主義であるあなたに配慮したメニューですよ」
「ありがとう、リヒターさん……ふぁ〜……」
「私はベーコンエッグですが構いませんね?」
「うん……他人の主義に口を出すなんて野暮な事はしないよ。リヒターさんはリヒターさんの考えで生きて良いんだよ……じゃあいただきま〜す」
私はデア・ウテルス大聖堂の一画に在るティオの私室を間借りして生活している。どうやら聖女・聖人には大聖堂から豪華な私室を与えられるらしい。
私一人を住まわせるだけの余力は十分にあった。逆にティオ一人では持て余してしまう程のスペースだった。
「では今日のご予定を……このあと聖都の教会でミサを行ない、その後は遠征に向けた身支度をしていきます。着替えや荷物は僭越ながら私めが……護衛も聖堂騎士ではなく私が同行します」
「遠征先は何処ですか?」
「グランティアーゼ王国に……魔物の襲撃で小さな農村が壊滅、多数の犠牲者が出たと報告がありました。ティオ様は現地に赴き犠牲者の鎮魂、及び被害者への救済支援を行なっていただきます」
「分かりました」
「出発は明日の明朝、教団が手配した高速帆船に乗って移動します。道中、幾つかの国と都市を経由しますので、そこでも聖女としての責務を果たしなさいと教皇ヴェーダから仰せつかっています」
ティオとの日々はとても満たされていた。聖女として抱える業務は山積みで、私生活など禄に無いような激務の日々だったが、不思議と私の心は満ち足りていた。
彼女と共に各地を巡り、苦しむ人々を救う。
以前の私とは真逆の生活に満足していた。
今でも人命を尊んでいる訳では無い、ただ人々を救えばティオが喜んでくれる。それだけが私の行動原理だった。
ティオの下に身を寄せてたったの数ヶ月で、私は今まで殺めた数以上の人々を救っていた。それで“罪”が贖えたとは思わないが、少なくとも過去とは決別できたと思っていた。
「さっ、朝食の片付けは私がしますので、ティオ様は法衣にお着替えください。まさか寝間着のまま聖都に赴くなんて破廉恥なことは考えていませんね?」
「分かっています……すぐに着替えます〜……」
「あぁあぁ、あぁあぁあぁ! この場で服を脱ぎ始めてはいけません! 着替えはあなたの私室に畳んで置いてあります! 何度言えば理解するのですか、ティオ様!」
何より私の心を満たしたのは、ティオを間近で見ることができるという事だった。
まず、ティオは私生活は少々だらしなかった。朝は布団に包まって起きない、着替えや食事にも無頓着、加えて私の前でも平然と服を脱ぐなど羞恥心も欠片も無かった。
「まったく……今までどうやって生活していたのやら? あぁ……だから教皇ヴェーダ様は私をあなたの世話係に任じたのでしょうかね?」
「じ、自分の世話ぐらいわたしでもできます/// これはその……リヒターさんが色々お世話してくれるからちょっと任せちゃっただけで……///」
「本当に? 怪しいですね〜?」
「もう、リヒターさんは意地悪です! そうやってすぐにわたしを誂うんですから!」
「あなたのお世話をしている私の特権ですよ〜、聖女様。くれぐれも私以外の前では、そんなだらしない一面はお見せしないように気を付けてくださいね……」
そんなティオの些細な“短所”も、私にはとても魅力的に思えた。彼女は完全無欠の聖女ではない、あくまでも私と同じ『人間』なのだと、そう思えて安心できた。
そして同時に、そんなティオの欠点という“魅力”を私は独占したいと思い始めてしまった。彼女の弱い部分を自分だけが愛でたいと思い始めてしまった。
「さぁ、聖都に向かいますよ、聖女様」
「はぁ〜い……」
「でたよ……ティオ様お抱えの殺人鬼だ。まったく、どうやってティオ様に取り入ったのやら……あんな血生臭い男が大聖堂を闊歩しているなんて信じられないわ……」
「…………」
「はぁ……まだ言っているのね……」
そんな考えを抱いたのは、私が抱えるある事情が原因だった。私はティオに迎えられてアーカーシャ教団に籍を置いたが、依然として鼻つまみ者だった。
私の経歴はあっという間に教団に知れ渡った。
冒険者ギルドに籍を置いていた“暗殺者”。
その手で数多の命を奪った、私利私欲の為に他者を傷付けた罪人、それが私だ。それをティオ以外の聖職者たちは許してはくれなかった。
(人々は私を許してくれない……)
大聖堂を歩くたび、冷ややかな視線が私に突き刺さる。聴こえるような声で陰口を叩かれ、避けられるように距離を取られる。
何より耐え難かったのは、私を連れたティオまで悪意に晒される事だった。騙されている、人を見る目が無い、聖女ティオは罪人を無償で赦すのか、彼女がそう言われるのが何よりも苦痛だった。
「リヒターさんの行動を見ずに、過去だけを見て断じようとする者の戯言に耳を貸す必要はありません。リヒターさんがわたしと一緒に活動を続ければ、いずれは雑音も消え去るでしょう……」
「ですが……私のせいで貴女の評判まで……」
「わたしの評判なんて些細なものです。それに、人々がリヒターさんを認めてくれれば、いずれは風向きは変わるでしょう……人は変われる、何度だってやり直す事ができるのだと」
「…………ティオ様…………」
「さっ、今日もエスコートをお願いします、わたしの騎士様。リヒターさんはわたしが護ります。だから……リヒターさんがわたしを護ってくださいね♪」
けれど、ティオは向けられた逆風に屈する事はなく、いつも明るい笑顔で私を励ましてくれた。不安がる私の手を優しく引いて、常に私の歩く“道”を照らし出してくれていた。
だから私は思った、ティオを護りたい。
彼女の抱える弱さを私が救いたいと。
ティオは私の全てを救ってくれた。だから私がティオの全てを救いたい。それが私にできる唯一の恩返しだと思ったからだ。




