ヘキサグラムの記憶②:闇の中で私は“光”と出逢う
「みなさ~ん、本日はわたしが主催するチャリティオークションに参加していただきありがとうございまーす♪ 今回のオークションで得た収益はアーカーシャ教団を通じて孤児院に寄付されまーす♪」
――――数日後、アーカーシャ教団の聖女が主催するチャリティオークションが街の教会で開催された。
アーカーシャ教団が発見した、或いは信徒から寄贈されたアンティークを競売に掛け、落札で得た収益を恵まれない孤児に寄付するという内容だ。
「…………」
私はそのチャリティオークションに忍び込んだ。数日前に殺害した賞金首の男に変装して。
幸いなことに賞金首の男はオークションの招待状を持っていた。おおかた騙していた貴族の女性から譲って貰ったものだろう。
(さて……アルマデル=サロモニスは何処だ……?)
いつもの目立たない黒衣から貴族が着るような上品な白のスーツに着替え、私は教会の庭園に溢れかえった群衆を掻き分けて行く。
オークションは礼拝堂で行われる。今は庭園で懇親会の真っ最中だ。オークションが始まる前に標的を見つけて始末する、それが私の計画だった。
「あっ、サロモニスさん……お越しいただきありがとうございます♪ ようこそチャリティオークションへ」
「おお、これはこれは……聖女ティオ様。今回は吾輩をこのような素晴らしいチャリティにご招待いただき誠にありがとうございます。いやはや……いつ見ても貴女はお美しいネェ……」
「うふふ、相変わらずご冗談がお好きですね」
「いやいや、本心だともォ……貴女ほど美しいエルフを吾輩は知らない。その美貌ならば……彼の“吸血姫”レディ・キルマリアも嫉妬に駆られるというものサ」
そして、私は庭園の一画でワイン片手に談笑する標的を発見した。黒い紳士服に身を包み、朱い髪の聖女と楽しそうに談笑する初老の男性、錬金術師アルマデル=サロモニスだ。
「さて、ここからが本題なのだが……今回のチャリティオークションにて、古代の賢人が執筆したという珍しい書物が出品されたと聞き及んでおります。その噂……真ですかな、聖女ティオ様?」
「はい、間違いありません。ある貴族の方が死蔵していたものがつい最近になって漸く発見されたのです。寄贈してくださった貴族の方は『私には価値が分からないから、この書の価値が分かる相応しい持ち主に』とわたしに預けてくださって……」
「それは素晴らしい! 吾輩、長年その書物を探していたのだヨォ! 是非とも落札して、我が図書館を飾る一冊にしたいものだ……その貴族の方は分別が分かる方のようだネェ」
どうやらサロモニスはオークションに出品される書物を狙っているらしい。それを彼は朱い髪の聖女に念入りに確かめていた。真偽を測りたいのだろう。
白い修道服を纏った朱い髪の聖女はサロモニスの質問に丁寧に答えていた。その受け答えに嘘偽りは無い。ゆえにサロモニスは安心したように笑みを浮かべていた。
(どうする……人気の無い場所に誘き出すか?)
賞金首の男の所持品の中にはサロモニスとやり取りした手紙があった。どうやらこのチャリティで直接あって、サロモニスから何かの契約を交わすつもりだったらしい。
加えて、賞金首の男とサロモニスには直接の面識は今まで無かった。今回が初めての邂逅になる。つまり、接触したのが“私”であっても判別は困難である。
「コホン……これはこれはぁ、もしや貴方がアルマデル=サロモニスさんですかぁ? どうもどうも初めましてぇ……私、このチャリティで貴方とお会いする約束をしていたものですぅ!」
「おや……もしや……ファレーレ君かな?」
「ええ、ええ、その通り! 私がハイト=ファレーレです。どうぞお見知り置きを……偉大なる錬金術師アルマデル=サロモニスさん。クッククク……!」
意を決した私はサロモニスに接触を試みた。普段の陰気臭い自分という『本性』を隠し、いかにも“裏”がありそうな訳あり人物という胡散臭い笑顔の『仮面』を被って。
サロモニスが冷めた金色の瞳で私を見つめ、側にいた朱い髪の聖女が少し面食らったような表情で私を見つめている。
「あの、サロモニスさん……こちらの狐目が印象的な御方は……? お知り合いですか……?」
「ん……ああ、吾輩の客人だよ。そうだネェ?」
「ええ、如何にも……それでサロモニスさん、手紙でお伝えした契約の件についてですが……」
「契約の件? 何か大事なお話ですか……?」
「ああ、実はこのファレーレ君とは個人的なビジネスの話があってネェ。悪いのだが聖女ティオ様……教会の談話室を少しだけお借りしてもよろしいですかな?」
賞金首の男とサロモニスしか知り得ない契約の話を切り出した瞬間、サロモニスは私を“取り引き相手”だと認識した。
情報が流出しないように賞金首の男の死体は冒険者ギルドには送らずに防腐処理をしてまだ拠点に保管し、被害者の女性には事が終わるまで黙って貰うように伝えてある。大丈夫、バレる筈がない、対策は万全だ。
「え、ええ……それは構いませんが……」
「では談話室をお借りするヨォ。さっ、ファレーレ君、談話室へと向かおうじゃないカ。素晴らしい契約ができる事を吾輩、期待しているヨォ」
「ええ、損はさせませんよ、サロモニスさん」
朱い髪の聖女から談話室、二人きりになれる密室の使用許可を得て、私とサロモニスは教会へと足を踏み入れていく。
談話室に入って二人きりになった瞬間、扉の鍵を閉めて対象を抹殺する。それで私の仕事は終わり、居心地の悪い教会からは素早く立ち去るのだと、そう私は計画を練った。
〜〜〜〜
「さて……では契約といこうじゃないか」
「ええ、そうですねぇ……早速始めましょうか」
そして、談話室に到着して私は『暗殺』の準備に取り掛かる。サロモニスを先に入室させ後から入室して部屋の扉を施錠し、袖に隠した短剣を取り出して手にする。
暖炉の前でサロモニスは杖をつきながら、呑気にパイプを蒸している。私の方は見ていない、完全に油断していると確信した。
「それでは……吾輩になんの用かな……リヒター=ヘキサグラム君? チャリティに出品された貴重品の強奪、或いは……吾輩の首に掛かった賞金がお目当てかナ?」
「…………っ!? なぜそれを……!?」
「吾輩を騙せると思ったのかネェ? どうやらまだまだ青二才のようだ。固有スキル【空想具現】――――発動」
だが、そんな私の確信は甘かった。サロモニスは最初から私が自身を狙う“暗殺者”だと見抜いて、わざと私を密室に招き込んでいた。
その事実に気が付いた時にはすでに手遅れだった。身の危険を感じた私が扉を開錠して逃げようとしたが、いくら鍵を回しても何故か錠前はビクともしなかった。
「どうしたのかネェ? 吾輩を殺さないのかナ?」
「くっ……余裕綽々とは良い度胸だな……!!」
「ふっ……強者なら如何なる状況でも余裕の表情は崩さないものだヨォ。まっ、そのあたりは君には難しいことかな、ヘキサグラム君」
「馬鹿にして……なら、お望み通りに殺して……!」
サロモニスはいまだに優雅にパイプを蒸している。私などさしたる“脅威”ではないという表情だ。
その余裕綽々な表情に焦った私は挑発されるがままにサロモニスの元へと駆け出していってしまっていた。初めて感じた“死”の予感に、無意識の内に怯えてしまっていた。
「固有スキル【封印執行】――――発動!!」
手にした短剣に魔力を注ぎ込む。私が女神アーカーシャから授かった固有術式【封印執行】は魔力を注いだ対象の行動を指定して“封印”するというもの。
手にした短剣で傷を付けて魔力を注ぎ、そのまま『呼吸』なりを“封印”すれば如何なる相手も殺せる。その“勝てる可能性”を必死に手繰り寄せようとしていた。
だが、私の術式は――――
「固有スキル【空想具現】……重力発生」
「なっ……これは、身体が重く……ぐあっ!!?」
――――サロモニスには届かなかった。
サロモニスがパイプを口から離して何かを詠唱した瞬間、私は凄まじい重力に押し潰されて床に叩きつけられた。
床材がバキバキと音を立てて軋み、同時に私の骨や筋肉も音を立ててズタズタにされていく。その様子を眺めて、サロモニスは再び優雅にパイプを更かし始めていた。
「ふむふむ……魔力を注いだ相手の特定行動を“封印”する術式ネェ……いやはや、実に興味深い。それは何かを隠そうとする君の精神構造をよく反映しているじゃないか、ヘキサグラム君」
「ぐっ……ああっ!? 貴様ぁ……」
「だが……その術式は対象に魔力を注げなければ無力だ。その“種”さえ分かってしまえば恐れる事はない……所詮は“所見殺し”に特化した術式か……」
サロモニスが冷めた眼で私を見下している。彼は一目しただけで私の素性と術式を暴き、その場から動くこともなく私を制圧してみせた。
すぐに分かった、サロモニスは私が想像するよりももっと強大な相手だったと。その名を聞いてあっさりと身を引いたヴァンヘルシングの予感は正しかった。
「さて、このまま君に粘着されてはせっかくのチャリティが台無しになってしまう。残念だが……君にはここで死んでもらうとするかネェ」
「くっ……」
「その様子じゃあ……本物のファレーレ君はすでに死んでいるンだろう? 彼には貴族たちの持つ貴重な書物を回収して欲しかったんだがネェ……ここは素直にチャリティに出品された古書だけ回収するとしようか」
重力に潰されて動けない私に向かって、サロモニスがゆっくりと歩いてくる。手にした杖を魔法で鋭利な細剣へと変化させて。
私には抵抗する術は無かった。重力に押し潰されて骨や筋肉が損傷し、まともに動くことすらままならない状況だった。
「安心したまえ……君の術式は極めて興味深い。吾輩のコレクションに加える栄誉を与えよう……この”叡智の捕食者“ジェイムズ=レメゲトンのネェ」
「くっ……こんな所で……!!」
「お互いに”嘘“をついていた……そう、この『世界』は”嘘“に塗れている。真実なぞ、この『世界』では何の価値も無いのだよ。勉強になったかネ……リヒター=ヘキサグラム君?」
サロモニスが正体を明かし、私に向けて細剣の切っ先を突き立てようとする。私に出来るのはサロモニスを睨み、己の未熟さを恨むことぐらいだった。
だけど、そんな憐れな私を――――
「こらーーっ! 神聖な教会では暴力行為は禁止ですーーっ!! うりゃーー、窓破壊キーーック!!」
――――彼女という“光”が救ってくれた。
叫び声が響いた瞬間、談話室の窓ガラスが粉々に砕け、同時に朱い髪の聖女がドロップキックの姿勢で室内に突入してきた。
「あっ……退いてください、サロモニスさん!」
「ちょ、その位置はマズイ……んぎゃ、腰がぁぁ!?」
そのまま朱い髪の聖女は勢いそのままに飛び込んで、サロモニスの腰に思いっきりドロップキックをかました。
腰に強烈なキックを食らったサロモニスは激痛に悶える表情をしてぶっ飛んで壁に激突し、同時に私を襲っていた重力は解除されていた。
「い、いたた……窓から突入するんじゃなかった……。あっ、サロモニスさんをうっかり蹴ってしまいました。う〜〜……教会での暴力行為は禁止だと言ったのはわたしなのに〜〜……」
「あ、あの……」
「ですが、もう大丈夫! このわたし、ティオ=インヴィーズがやって来たからにはどんな騒動も鮮やかに解決してみせますとも!! 大丈夫ですかファレーレさん……わたしが来たからもう安心ですよ♪」
朱い髪の聖女が私に満面の笑みを見せる。扉が開かないから窓から突入を試みたのだろう、ガラスで切ったのか彼女の手脚からは血が滲んでいた。
それでも朱い髪の聖女は自分の事など二の次で、見ず知らずの男である私の身を案じてくれていたのだった。
「うっ……急に意識が…………」
「ファレーレさん? しっかりして!」
朱い髪の聖女の気高さに触れて安心してしまったのか、私が意識を保てなくなって眠るように意識を失ってしまった。
これが私と彼女、聖女ティオ=インヴィーズとの出逢い。私という『闇』に生きる者が『光』に触れた瞬間だった。




