第894話:さようなら、愛しき我が騎士よ
「アズラエル……俺の勝ちだ……」
「炉心……損壊……忘機の……負け……?」
――――俺が放った魔剣の一撃はアズラエルの胸を貫き、彼女の炉心を穿った。彼女の胸部を貫いた魔剣から放たれた光が蒼穹へと昇ると同時に、アズラエルの駆体から力は抜けていった。
アズラエルの頭上に浮かんでいた天使の輪は消え去り、自慢の翼も光の粒子になって霧散していく。俺の首元に伸ばそうとした手もだらりと脱力して、焔で代用していた右腕も消滅した。
「ラム……ダ…………」
アズラエルは力無く魔剣から滑り落ちると、抵抗する事もなくそのまま地上へと落下していく。
真下に積み重なっていた瓦礫の山に駆体を打ち付けて、何度も何度も全身を強打しながら瓦礫を滑り落ちていく。
「アズラエル……」
そして、アズラエルは瓦礫に半分以上埋まった通りに投げ出され、仰向けに寝転がったままピクリとも動かなくなった。
そこまで見届けて、どうしても放っておけなくなって、俺はいつの間にかアズラエルの場所へと向かっていた。どうしてだろうか……アズラエルの姿が、死んだ母さんと重なってしまったからだろうか。
「…………」
アズラエルは呆然とした表情で碧羅の天を眺めている。辛うじて稼働している。炉心を失っても、まだ稼働に必要なエナジーが残留しているからだろう。
だけど直にアズラエルは動かなくなる。すでに彼女の全身は所々が壊れてしまっている。もう彼女は助からない。
「結局……勝てなかった。ふっ、ふふふっ……おめでとう……ラムダ。これで忘機との因縁も……もうおしまい。せいせいしたでしょ……?」
「アズラエル……」
「これでもう……貴方の“道”を『間違っている』って……言う者は居なくなった。もう……後戻りはできない……貴方は“ノアの騎士”として……未来永劫に歩き続けなければ……なら……ない…………」
自虐したような乾いた笑みを浮かべて、涙を流しながらアズラエルが俺に笑いかける。
自らに課した『ラムダ=エンシェントを殺して救う』という命題を果たせなかった事を悔いて、“ノアの騎士”としての人生の退路を絶ってしまった俺を憐れんで。
「アズラエル……お前の言う通り、人生は苦痛に満ちている。俺が進む道も……きっと悲しくて辛くて、苦しみと痛みに満ちたものになるだろう……」
「なら……貴方はなぜ歩み続けるの……?」
「それでも……たとえ苦痛に満ちていたとしても……俺はノアと一緒に生きていたい。彼女の観る『世界』を俺も一緒に見ていたいんだ。だから俺は征くよ……“ノアの騎士”として」
アズラエルは俺が進む“道”の不条理さを嘆いた。でも、その不条理を全て受け入れると決めた上で、俺は“ノアの騎士”になると決めた。
「だから……心配しなくて良いんだよ、アズラエル。俺はこの先の“道”に待っている苦痛を恐れない。乗り越えて歩き続けるよ……」
「ラムダ……」
「アズラエル……君の願いは聞き届けられない。俺はまだ死ねない……まだ、成すべき使命があるのだから。だから、一度だけ言うよ……ありがとう」
「…………!」
「俺のことを心配してくれて……嬉しかった。君の殺意は受け止められないけど……その想いだけは受け取っていくよ。アズラエル、君と出逢えて……本当に良かった」
アズラエルの殺意には応えられない。だから俺はせめて気持ちだけ受け止めようと、彼女に『ありがとう』と伝えた。
その瞬間、アズラエルは驚いたような表情をして、ほんの数秒だけ困ったような表情をして……そして優しい笑みを俺に向けてきた。
「そう……殺そうとした相手に『ありがとう』って……言うのね。本当に……本当に……おかしな男ね、ラムダ。ええ、造られて初めての経験です……とても得難い…………貴重な体験……です」
「アズラエル……」
「貴方には……ほとほと呆れました……どうぞお好きに“ノアの騎士”でも、なんでも……して生きなさいな……。忘機はもう……貴方とは、関わりたく……ありません…………」
そして、呆れたと言ってアズラエルはそっぽを向いてしまった。どうやらもう俺とは話すことはないらしい。“ノアの騎士”として勝手に生きろと言うことらしい。
ふとアズラエルの視線の視線の方を見れば、通りの向こう側からヴィクター様が血相を変えて向かってきているのが見えた。
「ヴィクターと少しだけ……話させて…………」
「アズラエル……ああ、わかったよ……」
アズラエルの最期の願いはヴィクター様と過ごしたいというものだった。その願いを聞き届けて、俺はアズラエルに背中を向けて歩き始める。
「ラムダ……“ノアの騎士”として、ラストアークお母様と共に生き続けたいと願うのなら……戦いなさい。戦って、戦って、戦い抜いて…………最後まで、諦めないで。護ると誓った人を……最後まで護り抜きなさい……」
「分かっているよ……分かっている……」
「ふふっ……せいぜい…………忘機に殺されなかったこと……後悔しなさい。あとから嘆いても……もう遅い…………んですから…………」
最後に俺の背中を押すような皮肉めいた言葉を残して、アズラエルは俺には語り掛けなくなった。
そして、代わりにアズラエルの元にヴィクター様が駆け寄った。倒れたアズラエルを抱きかかえて、彼女の“王”は騎士の最期を看取ろうとしていた。
「アズラエル……」
「ヴィクター……これで、忘機たちの関係も…………終わり……です。み、短い間でしたけど……それなりに…………楽しかったわ」
「…………っ」
ヴィクター様とアズラエルの間になにがあったかは知らない。それでも、ふたりの間に確かな“絆”はあるのだと確信を持って言える。
だからだろうか、ヴィクター様の声は震えていて、アズラエルも名残惜しそうな声をしていた。
「アズラエル……私は君のことを誇りに思う。よくぞ我が父の仇……レイ=フレイムヘイズを討ってくれた。立派な活躍だったぞ……我が騎士よ」
「ヴィクター……」
「誇れ、アズラエル……君はもう“殺戮兵器”なんかじゃあない。君は……このグランティアーゼ王国を“悪”の手から解放した偉大な“騎士”だ。私が保証するよ……アズラエル」
ヴィクター様に認められて、アズラエルは『機械天使』から『騎士』として在り方を変えた。フレイムヘイズを討ったことで、彼女はグランティアーゼ王国の“英雄”へと昇華したのだ。
「ああ……そう……なんだ…………結局、忘機も……“騎士”になっていたんだ……。ふふっ……これじゃあ……ラムダのこと…………言えない……わね」
「ああ、言えないな……君もまた“騎士”なのだから」
「ねぇ、ヴィクター……忘機は……ちゃんと生きていた……? ただの機械じゃない……生きた“命”だった……?」
「ああ、君は生きた……生きたんだ、アズラエル」
「ああ……そう、そう……なのね。これが……生きるってこと……。だからかな……こんなにも苦しくて、辛くて……悲しいのは…………」
アズラエルが最期の力を振り絞って、ヴィクター様の頬に向かって手を伸ばす。今にも壊れそうなヒビだらけの手で、ボロボロに泣き崩れたヴィクター様の頬に触れる。
「少しだけ…………疲れました。もう忘機は……休みます…………どうか……最後まで……」
「共に居るよ、アズラエル……我が騎士よ……」
「ヴィクター……どうか…………忘機のこと……忘れ…………ないで。忘機という“騎士”が……居たこと……生きていたこと…………忘れないで…………」
「忘れないさ……忘れ……ないさ…………」
アズラエルの瞳から光が徐々に失われていく。死神メメントによって古代文明の戦艦から掘り起こされた殺戮兵器が、“騎士”としてその生涯に幕を閉じていく。
そして、最後に静かに微笑んで――――
「ヴィクター……ありが……とう……――――」
「さようなら、愛しき我が騎士よ……アズラエル」
――――機械天使アズラエルはその人生を終えたのだった。
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