第889話:碧羅の天へ誘えど
「アズラエル……な、なぜ私を攻撃して……」
「言ったでしょ? 忘機のやり方で救うって」
――――その光景に誰もが息を飲んだ。窮地に陥ったフレイムヘイズの救援に来たと思われていたアズラエルは、あろう事かフレイムヘイズを背後から刺し貫いたのだ。
アズラエルの左手から生成された蒼い“魂剣”はフレイムヘイズの胸を背後から貫いた。その切っ先で女神アーカーシャの権能である『火神炉心』を奪い取って。
「レイ=フレイムヘイズ……ラムダ=エンシェントに完膚なきまでに叩きのめされた“負け犬”。そんな状態でおめおめと逃げ延びても、その高すぎるプライド故に貴女は未来永劫に苦しむでしょう……」
「あっ……あぁぁ…………」
「だから忘機が救ってあげる……殺して“生”の苦しみから解放してあげる。“死”は救済……生き恥を晒して生きるより、死んだ方が貴女の為よ……フレイムヘイズ」
それがアズラエルの言う『救済』の真意だった。彼女はフレイムヘイズを抹殺して、“生”の苦しみから解放すると言っていたのだ。
無論、フレイムヘイズはそんな事は望んでいない。彼女は生き延びたかったのにも関わらず、アズラエルは彼女の救いを悪意を以って掬ったのだ。
「せっかくだから……貴女の持つ女神アーカーシャの権能は忘機がいただくわ。その力で忘機はラムダを殺すの。殺して苦しみから救ってあげるの!」
「き、貴様ぁぁ……あっ、ガァァッ!!?」
「お前はもう用済み……だから死ね。忘機の性能の一部になれる事を光栄に思い、生き恥を晒さずに済んだ事をあの世で感謝しなさい! フッ、フフフッ……キャッハハハハハハハハッ!!」
女神アーカーシャの権能を奪われたフレイムヘイズの身体が燃え始め、徐々に火の粉のように散って消え始める。
それは彼女が『グランティアーゼの落涙』の日に、ヴィンセント陛下を謀殺した時の光景にあまりにも酷似していた。ヴィンセント陛下の信頼を裏切ったフレイムヘイズが、今度は信頼していた筈のアズラエルに裏切られたのだった。
「こ、こんな暴挙が……ゆ、許されると……思うなよ! ヴィ、ヴィクター様……お願いします……アズラエルを止めてください……! あ、貴方の騎士なのでしょう……」
「無駄よ、無駄。ねっ、そうでしょう、ヴィクター」
「ああ、我が騎士アズラエルの言う通りだ……貴様には救いの手は差し伸べん、裏切り者フレイムヘイズよ。本来、忠誠を誓った筈の我が父ヴィンセントを謀殺し、グランティアーゼ王国を崩壊に追い込んだ魔女よ」
「ヴィ、ヴィクター様……お、お許しを……!!」
身体が焔になって消滅していく中、フレイムヘイズは必死にヴィクター様に救いを求めた。けれど、ヴィクター様はヴィンセント陛下暗殺を理由にフレイムヘイズを咎めた。
「ヴィクター=エトワール=グランティアーゼの名において許可する。我が騎士アズラエルよ……グランティアーゼ王国を滅亡に追い込んだ裏切りの騎士レイ=フレイムヘイズを抹殺せよ!」
「イエス……ユア・ハイネス……!!」
「お待ちくだい、ヴィクター様ァ!! 慈悲を……どうかお慈悲を! あ、あぁぁ……消えていく、私の“命”が……!? 助けて、アーカーシャお母様……お母様ぁぁああああ!!」
ヴィクター様による無慈悲な抹殺宣言がなされ、同時にアズラエルの“魂剣”が蒼い焔を放ってフレイムヘイズの全身を蒼い焔で包んでいく。
もはやフレイムヘイズには事態を打開する術は無い。彼女はただ消滅する事に恐怖と絶望を感じ、ただ情けなく母である女神アーカーシャに救いを求めるしか出来なかった。
そして、フレイムヘイズのそんな想いも虚しく、アズラエルが蒼い剣をなんの躊躇いもなく振り上げた瞬間――――
「じゃあね、さようなら……レイ=フレイムヘイズ!」
「いや、いや……いやぁぁあああああ――――」
――――フレイムヘイズの身体は激しく炎上し、そのまま蝋燭の火のように彼女はこの世界から消えていった。
グランティアーゼ王国を影から支配していた『四大』の“火”は呆気なく殺された。そして、フレイムヘイズが遺した女神アーカーシャの権能『火神炉心』は今、アズラエルの手にある。
「ヴィクター、これで貴方のご命令は実行しました。グランティアーゼ王国を崩壊に導いた真犯人、レイ=フレイムヘイズは始末致しました」
「ご苦労……よき働きだ、我が騎士アズラエル」
「ヴィクターお兄様……まさか、最初からフレイムヘイズを抹殺する気だったですか……!? アーカーシャ教団に本心から従った訳ではなかったのですね……」
最初からアズラエルはフレイムヘイズを始末するつもりだった。主君であるヴィクター様の復讐を完遂する為に。そして、その思惑通りにフレイムヘイズは死亡した。
だけど、俺の直感が囁いていた。
これでアズラエルの目的が達成され筈はない。彼女にはヴィクター様とは別の思惑があってフレイムヘイズを始末したのだと。だから彼女はフレイムヘイズが持っていた女神アーカーシャの権能を奪ったのだ。
「次は貴方が契約を守る番です、ヴィクター」
「ああ、分かっている。約束は守ろう」
アズラエルはヴィクター様の『グランティアーゼ王国を崩壊に導いた真犯人を討つ』という契約を果たし、次は貴方が契約を守る番だと釘を刺す。
そして、ヴィクター様は少しだけ目を伏せて逡巡し、意を決したように眼を見開いて視線を俺へと向けた。
「ラムダ=エンシェント卿……我が騎士アズラエルたっての願いだ。どうか彼女と戦って欲しい」
「ヴィクター様……やはり、そう言う事ですか……」
「我が騎士は君の“救済”を望んでいる。そして、私はアズラエルの行動全てに責任を持ち、見届ける責務がある。我が名において……彼女と決闘してくれないか、ラムダ卿」
ヴィクター様から伝えられたのは、アズラエルとの『決闘』に臨めというものだった。それこそがヴィクター様とアズラエルの間に結ばれた“契約”なのだろう。
「お兄様、そんな横暴が許される筈は……!!」
レティシアやミリアリアたちが反発しているが、ヴィクター様は何も言わない。ただ俺が申し出を受けるのを待っている。
そして、アズラエルは落ちていた“紅剣”を拾い、俺が魔剣を握るのを静かに待っていた。
「ラムダ……忘機は貴方を殺して救う。それが忘機の望み、忘機の願い……この『醜い世界』で傷付く貴方を、忘機は殺して救いましょう」
「…………」
「今ならハッキリと言えるわ、ラムダ。忘機は、機械天使アズラエルは……貴方を殺し、“生”の苦しみから救う為に造られたのだと」
ラムダ=エンシェントを殺して救う、その為に自分は造られたのだとアズラエルは言う。奇しくも、それは俺が“ノアの騎士”として生きる事を決めたのと同じ“覚悟”であった。
その覚悟を目の当たりにした以上、俺にはアズラエルを否定する事は出来なかった。彼女は自らの存在意義を賭けて俺を殺そうとしているのなら、それに応えるべきだと思った……同じ“騎士”として。
「分かった……お前の“覚悟”に応えよう、アズラエル。一対一、どちらかが死ぬまで戦おう……同じ“騎士”として」
「ええ……それでこそ殺しがいがあるというもの」
「レティシア、そして我が王よ……手出しは無用。私は……“ノアの騎士”として、騎士アズラエルを決闘にて撃ち破ります!」
手にした魔剣を握り締め、アズラエルに敬意と敵意を向ける。かつて、“享楽の都”アモーレムで戦った強敵と、真の決着を着ける為に戦おうとしている。
俺が決闘に応じた事に満足したのかアズラエルは笑みを浮かべ、そして手にしていた『火神炉心』を自分の胸元へと押し込んでいく。
「ラムダ……たしかに貴方は強くなった。けど、忘機は遅れを取るつもりはない。この女神アーカーシャの炉心で貴方に渡り合ってみせる! くっ、ぐぅぅ……!!」
「…………」
「ぐっ……炉心、臨界点突破……過剰出力による駆体の崩壊を認識……活動限界時間5分。活動限界時間経過後……機械天使アズラエルは機能停止します……」
女神アーカーシャの炉心を自身の炉心に結合させ、アズラエルは最後の進化を果たす。黒い翼は白い焔を纏う神々しい翼へと変貌し、アズラエルの全身からは熱気を纏った“太陽”が如きエナジーが放出されていく。
そして、その過剰な出力と引き換えにアズラエルの駆体は崩壊を始めていた。頬には小さなヒビが入り、関節が悲鳴を上げ始めている。
「アズラエル……自分の命を賭けるのか……」
「言ったでしょ……忘機は貴方を殺す為に造られた。だから……これが最期。忘機は自らの存在と引き換えに、貴方を殺します」
それがアズラエルの覚悟だった。俺に勝とうが負けようが、アズラエルは五分後には自壊して機能停止する。そう、彼女は自らの“命”を賭けて俺を殺そうとしていた。
「忘機は広域殲滅型人型戦闘兵器『機械天使』、タイプ“θ”アズラエル……これよりラムダ=エンシェントの抹殺を開始します」
「我が名はラムダ=エンシェント、“創造主”ノア=ラストアーク様の“剣”にして“騎士”なり! これより、我が王の覇道を阻む敵を排除する!」
アズラエルから放たれたエナジーが暴風になって草原に吹き荒れ、朝日に包まれた碧羅の天が揺れる。誰もが見つめる中で、俺とアズラエルは敬意を以って睨み合う。
そして、周囲が静寂に包まれ、静まり返った草原に一陣の風が吹いた瞬間――――
「さぁ、殺し合いましょう、ラムダ! 忘機が貴方を殺して……愛してあげる!!」
「俺は生きる! お前を超えて、未来へと進む、アズラエル!!」
――――俺とアズラエルは碧羅の天へ誘われるように飛翔し、遥か上空で魔剣と“紅剣”で斬り結んで、最後の決闘の幕を上げるのだった。




