第870話:悲しき思い出 〜彼岸花の花言葉〜
《こちらホープ=エンゲージ。本艦はあと一時間で“迷宮都市”エルロルへと到着します。作戦に従事する野郎どもはそろそろ準備をしておけでございます》
――――戦艦ラストアーク右舷連絡通路、座標はグランティアーゼ王国領エルロル周辺、時刻は夜。“迷宮都市”エルロルの解放作戦に参加するメンバーは戦艦ラストアークに乗り込んでサートゥスを離れ目的地へと向かっていた。
戦艦の窓からは月光に照らされた街道が見える。半年前、故郷を離れた俺たちが歩いてきた道だ。
「懐かしいな……今は空を飛んでるけど……」
冒険の日々は今でも鮮明に思い出せる――――サートゥスを追われた俺はロクウルスの森でノアと出逢い、コレットやオリビアと再会しつつ魔王軍最高幹部だったリリエット=ルージュを撃破。そして、父さんの呪縛から逃れてノアと共に女神アーカーシャの元を目指した旅に出た。
「そして……“迷宮都市”エルロルで貴方は勇者ミリアリア=リリーレッドと出逢い、リティア=ヒュプノスが首謀した『勇者事変』を解決して勇名を轟かせた……」
「…………アリア!」
「旅の軌跡でも振り返っているの、ラムダさん? 意外とセンチメンタルなんだね。てっきり“過去”は振り返らない人だと思ったよ」
「思い出は大切にしたい性分なのさ」
「ふぅん……そうなんだ。例えばさ……それが悲しい思い出でも大切にしたいと思うの? “迷宮都市”は良い思い出かも知れないけどさ……ほかの場所はそうはいかないでしょ?」
窓から景色を眺めている時、後ろからミリアリアが声を掛けてきた。手には回復薬が握られている。艦内の売店で装備品を買い込んでいたのだろう。
ミリアリアは旅の思い出を振り返る俺に質問をしている。思い出は大切にしている、ならば『悲しい思い出』も大切なのかと。
「たしかに……旅の中には悲しい思い出もあるよ、それは否定できない。けど……その悲しい思い出も“今の自分”を形作る大切なものなんだ。だから忘れたくはない……ずっと憶えておきたいんだ」
「それが哀しくても?」
「ああ……その悲しい思い出から立ち上がったからこそ、今の俺がここに居るんだ。もちろん、楽しい思い出も大切だよ。アリアとの出逢いだって、今の俺を形作る大切な思い出なんだ……だから大切にしたい」
確かに悲しい思い出たくさんある。故郷を追われたこと、兄さんたちや父さんの死、自分が王立騎士の器ではなかったこと、あげだせばきりが無い。それでも、そんな苦い記憶ですら“ノアの騎士”なった俺を形作る血肉なんだと思えば受け入れられる。
「私は……受け入れられないな。苦しい思い出は、悲しい思い出は私を蝕む。ギリギリギリギリ……ギリギリギリギリと私を精神から喰い尽くしていく」
「アリア……?」
「貴方のように悲しさを“糧”にはできない……思い出す度に胸が締め付けられる。今でもあの地獄は私の精神を蝕み続けている……」
けど、彼女はそうは思ってはいなかった。ふと振り向けば、アリアの顔は苦虫を噛み潰したような表情になっていた。一人称は『わたし』になり、“勇者”ではない“少女”の側面を覗かせている。
彼女は故郷を自暴自棄的に飛び出した。そして、その直後にリリエット=ルージュによって故郷を焼き払われた。それを彼女は“糧”にはできないのだろう。それを受け入れて“糧”にしろとは俺は言えない。
「無理に乗り越えなくていい……思い出したくない事なら思い出さないて良いんだ。大丈夫……乗り越えることが“強さ”の証明じゃないよ、アリア」
「今でもあいつの顔を見る度に……殺意が湧くの」
「分かっているよ……けど、リリィもグラトニスもちゃんと反省しているんだ。だからさ……もう少しだけ彼女たちに贖罪の為の時間をあげてほしい。もし、二人がラジアータ村を焼いたことを反省していないなら……その時は俺が懲らしめるから」
アリアの朱い瞳が“憎悪”に燃える。彼女は今でもラジアータ村のことを根に持っている。それは仕方がない……家族も友人も全て焼き払われて、それで何もかも許せと言うほうがおかしい。
けれど猶予を与えてほしい、そう俺が言ってもアリアの表情は変わらなかった。けれど、その眼には僅かに涙が浮かんでいる。
「貴方は……どうしてノアにこだわるの? あいつは貴方の人生を狂わせた。一緒にいる意味も……助ける価値も……忠誠を誓う意味もないのに」
「――――っ!? どうして……そのことを……」
「第十三使徒の因子を獲たからって……あいつの寿命は変らない。あと数年もすればノアは死ぬでしょう。そんな奴の為に貴方はこの先の人生を全て捧げるの?」
アリアは『ノア』のことを尋ねてきた。どうしてノアに固執するのか、どうして忠誠を誓ったのかと、アリアはまるで“悔しさ”を滲ませたような震える声で訪ねてくる。
確かにアリアの言う通り、ノアと出逢って俺の人生は大きく変わってしまった。そして巡り巡って“現在”に至る。それなのに俺はノアに永遠の忠誠を誓った。そのことをアリアは疑問に思っているらしい。
「俺は……家族から、女神アーカーシャから……世界から見捨てられた。そんな俺を拾ってくれたのはノアだった。だから……俺は“ノアの騎士”になりたいと思ったんだ。今度は俺がノアを助ける番なんだって」
「世界から見捨てられた……それは私のように?」
「アリア……君は世界から見捨てられていないだろ? 仮にそうだったとしても……俺は君を見捨てない。ずっと一緒だ……どうしたんだ? 様子がおかしいけど……?」
「いいえ、気にしないで……ちょっと調子が悪いだけだから……」
「そうか……? とにかく俺はノアを護りたい……ただそれだけを思っている。ノアの為なら俺は残りの人生を捧げても良いと思っている、ノアの為なら“悪”にだってなれる。それだけさ……」
簡単な話だ。何もかも失った俺に手を差し伸ばしてくれたのはノアだった。騎士にとって命を賭ける理由はそれだけだった。俺にとっての“王”はノアだったという話だ。
そのことを語った時、アリアは何故か俺と自分を重ねていた。アリア自身も『世界から捨てられた』という認識をしているのだろうか。君は違うよとフォローをしたが、アリアは何かを考え込むように真剣な表情をしている。
「気を悪くしないでね。貴方は……ノアが死んだらどうするつもり? 死んだ主君に対していつまでも忠義を果たしていくつもりなの?」
「ああ、そのつもりだ……たとえノアと死別したとしても、俺の“王”はノアだけだ。なら、俺は“王の剣”として彼女が犯した“罪”を贖罪し続ける。そう決めた、もう決めたんだ」
「死んでもノアに忠誠を誓うつもり……?」
「俺は王立騎士としては失格だった……ヴィンセント陛下に最後まで忠義を果たせなかった。だから、今度こそは……ノアには最後まで忠義を貫く、この命が尽きるまでは」
「それが……貴方の出した『答え』ね」
「アリア……どうしたんだ? ほくそ笑んで……」
「フッ、フフフッ……そう、そう……そう言うことだったのね。私は最初から……いいえ、いいえ……ならばまだチャンスはあるわ……!」
アリアは俺がノアに対して忠誠を誓い、この命が尽きるまで忠義を果たそうとしている事を知った瞬間、不気味な笑みを浮かべ始めた。活発な少女としても、俺だけに見せる筈の可憐な少女とも違う、激しい“憎悪”と“嫉妬”を滲ませた女の表情だ。
「アリア……様子がおかしいけど、大丈夫か……?」
「ウフフフッ……ええ、平気です。少しだけ良いアイディアが浮かんだので……。ねぇ、少しだけ考えて……もし、ノアと出逢わなかったら貴方はどんな人生を歩んでいたと思いますか?」
「それは……きっとどこかの街の迷宮に潜って、日々ゴミ漁りでもしてたんじゃないかな? きっと王立騎士にもなれてないし、アーティファクトにも縁がなかったと思う……」
「そう……それは可哀想ね。ええ、とても……」
「アリア……何でそんな事を聞いて……?」
「そんなに卑下しなくて良いんですよ。貴方は尊く勇ましい……きっとノアに出逢わなくても良い出逢いを果たせていたでしょう。それに……今だって貴方は愛されている。たとえば私に……」
「アリア、何を……っ!」
そして、アリアは静かに笑みを浮かばながら俺への“愛”を囁き、そのまま俺の唇に自分の唇を重ねてきた。まるで略奪するような強引な口付け。舌を絡めて獲物を貪るように、アリアは俺に自らの“愛”を示していく。
「ア、アリア……」
「貴方がノアに忠誠を誓っても、貴方を愛している女は居る……私もその一人。忘れないで……貴方の“剣”はノア以外だって助けられる」
「…………」
「そして覚えておいて……貴方の優しさは時に“刃”になって、愛する人を傷付けるのだと。どうか、どうか……その事を忘れないで」
「……分かった。肝に銘じておくよ……」
唇を離したアリアは蕩けるような声で俺に警鐘を鳴らす。ノアに捧げた我が“剣”はそれでも他者を助ける事ができ、俺の優しさは時の“刃”になって愛する人を傷付けるのだと。
そんな事を伝えると、アリアは俺から離れてゆっくりと歩き出す。彼女は少しほくそ笑んで舌なめずりをしている。まるで俺との口付けを味わうように。
「そろそろ“迷宮都市”に着くころね。私はまだ準備があるから先に失礼するね。さぁ、早く準備しないとグラトニスに怒られますよ」
「あぁ、そうだな……」
「貴方が戦いの果てに何もかもを失ったのなら……その時は私が愛してあげますね。私は“揺り籠”、私は“楽園”、私は“彼岸”……私だけが貴方を心の底から愛してあげます、ラムダ様」
そして、意味深な言葉を残してアリアは去っていき、同時に“迷宮都市”エルロル攻略戦の時が近付いてきていたのだった。




