第859話:この剣に誓って
「ラムダ=エンシェント卿、私の側に……」
「…………はい。アリステラ皇女殿下!」
――――アリステラに呼ばれ、俺は彼女の立つ壇上へと向かっていく。広場にいた人々の視線が俺へと注がれ、白銀の騎士甲冑を纏うグランティアーゼ王国の騎士に対し皆が不安そうな表情をしている。
アロガンティア帝国とグランティアーゼ王国はかねてより険悪な関係であり、二十年前の『偽聖戦争』で関係は完全に決裂した。
「エンシェント……あのアハトの倅か……」
そして、騎士の名家であるエンシェント辺境伯の名はアロガンティア帝国にとっては特に恐れられた名の一つである。先の『偽聖戦争』でもエンシェントの騎士は多大なる戦果を挙げた。
それは裏を返せば多くのアロガンティア帝国兵の命を奪った事に相違ない。エンシェントの名は自国では“英雄”でも、この国では忌まわしい“悪魔”の名なのだ。
「あの顔……スペルビアにそっくりじゃ……?」
加えて、人々が俺に不安を抱く理由がもう一つ。それは俺とスペルビアの関係だ。“機神”と融合した事でシエラの掛けた髪染めの魔法が解除された影響で、俺の髪は本来の金色に戻った。
だが、その“顔”自体が変わる訳でもない。そして、帝都ゲヘナの戦いで俺とスペルビアの素顔は人々に開示されてしまった。瓜二つの“顔”を他人の空似で済ます訳にはいかないだろう。
「ではラムダ卿……本当によろしいのですね?」
「はい、皇女殿下。これは私の負う“責任”です」
アリステラは俺の意志をもう一度だけ確認すると、ゆっくりと後ろに下がって壇上を俺に明け渡した。そして、譲って貰った壇上へと立ち、俺は広場に集まった人々に、帝都ゲヘナ中に自分の“顔”を晒す。
広場や市街地のあちこちに設置された魔導式モニターに『ラムダ=エンシェント』の姿が投影される。それを確認して、俺は静かに語り始めた。
「私の名はラムダ=エンシェント……ラストアーク騎士団第十一番隊隊長。そして、グランティアーゼ王国エンシェント領を治めるエンシェント辺境伯……その当主です」
「なんと……あの若さで当主なのか……!?」
「まずは今回の戦いで……スペルビアの支配下によって亡くなられた全ての人々への冥福を祈らせてください。そして……どうか聞いてください。私の“罪”の告白を……」
「…………」
「この帝都ゲヘナを……アロガンティア帝国を“恐怖”で支配した侵略者スペルビア。彼の本名は『ラムダ=エンシェント』……とある方法で次元の壁を破り、境界を越えて現れた別世界の私です……」
亡くなったアロガンティア帝国の人々への哀悼を捧げ、俺は語り始めた。スペルビアの正体を。スペルビアの本当の名は『ラムダ=エンシェント』――――境界を越えるアーティファクトの力でこの世界に現れた“IF”の俺だ。その事実を隠してはならない。
スペルビアの真名を明かした瞬間、広場にいた人々から動揺の声が上がった。当然だ無理もない。スペルビアの正体がグランティアーゼ王国の人間で、なおかつ彼と同一人物である『ラムダ=エンシェント』が壇上に立っているのだから。
「スペルビアは異なる世界で“悪”に堕ち、自らの歪んだ野望の為にアロガンティア帝国を侵略したラムダ=エンシェントです」
「…………」
「今回の悲劇は全て……私の未熟さが、心の弱さが招いた事です。本当に、本当に……申し訳ございません。全ての“罪”はこの私にあります……」
スペルビアの起こした悲劇の“責任”は全て俺にある。スペルビアが『ラムダ=エンシェント』の“闇”である以上、その“闇”を受け入れた俺には彼が起こした“罪”を背負う必要がある。
広場に集まった人々に対して、帝都ゲヘナの全ての人々に対して頭を深々と下げて、俺はスペルビアの“罪”を受け入れる覚悟を示した。無論、人々は動揺したままだ。並行世界の云々、スペルビアと俺との関係の複雑さに頭を抱えている者も居るだろう。
「スペルビアの目的は失った主の蘇生でした。その為に彼はアロガンティア帝国の秘宝『輝跡書庫レーカ・カーシャ』を狙い、この国を侵略したのです……」
「…………」
「私も一歩間違えればスペルビアと同じ存在に堕ちるでしょう。それほどまでに『ラムダ=エンシェント』という人間は不安定でした。あ、愛する人を失った皆様には……ほ、本当に申し訳ないと思っています……」
少しだけ怖い、罪を告白して裁かれるのが。本当の事を、スペルビアの真実を語れば、『ラムダ=エンシェント』の犯した“罪”に憤った人々が俺を断罪するかも知れない。そう思うと怖かった。
広場に集まった人々は様々な表情をして俺を見つめている。怒り、悲しみ、疑心、困惑――――ただ一つ分かるのは、そのどれにも“賞賛”の感情は無い事だ。誰もが沈黙して俺を見定めようとしている。
けれど、そんな静寂を――――
「じゃあ……なんであなたは戦ったの?」
――――一人の少女が破った。
兵士の遺影を掲げた母の真横に立つ幼い少女だ。今回の戦いでスペルビア配下として戦い、洗脳から解放されぬままに戦死した兵士の子どもなのだろう。
まだ母親の腰ぐらいの身長しかない、まだ“死”の意味も分からない無垢な存在。そんな少女は俺に訊ねた、なぜ戦ったのだと。
「スペルビアは……私から大切な人を奪った。そして、アリステラ皇女殿下からこの国を奪った。だから取り返したいと思って戦いました」
「じゃあ……あなたはスペルビアの“敵”?」
「そう言われれば……私は『イエス』と答えます。私はスペルビアの……自分自身の“闇”を正す為に、彼が蹂躙したアロガンティア帝国をアリステラ皇女殿下に、この国を愛する全ての人々へとお返しする為に剣を取りました」
俺はスペルビアが犯した“罪”を許せなかった。俺からノアを奪い、アリステラから国を奪った彼を。そして、そんなスペルビアが『ラムダ=エンシェント』である事がどうしても許せなかった。
「なら……あなたはわたしたちの味方だね! ありがとー、お兄ちゃん! ママを助けてくれて……パパを解放してくれて……ありがとう!」
だから戦った。その感情にも嘘はつけなかった。そして、そんな俺の告白を聞き届けた少女は満面の笑みで叫んだのだ、『ありがとう』と。
その瞬間、広場にいた人々から動揺の感情が消え去った。俺が語った“動機”、少女の発した“返答”を聞いて、その場にいた全員がなにかを考え出した。
「スペルビアとラムダ=エンシェントが同一人物だったという事は……これはラストアーク騎士団とスペルビアによる“自作自演”だったのでは?」
「しかし……彼はスペルビアに一度殺されておる」
「彼の話が本当なら……彼はスペルビアが起こした不始末を付けに来た事になるわ。それならラムダ=エンシェントはやはり我々を救ってくれたのではないでしょうか?」
「けどスペルビアと彼は同一人物で……」
「スペルビアとラムダ=エンシェントは分けて考えるべきじゃぞ、若いの。二人は“起源”が同じだけ……現在の在り方はまるで別じゃ。そして……恐ろしい支配者であったスペルビアを倒した以上、あたしゃ彼を“英雄”じゃと認識する」
「信用して良いのか、グランティアーゼの騎士を?」
「けどアリステラ様はラムダ=エンシェント卿をお認めになっておられるわ。それに……わたし達もこの目で見た筈よ、彼が命を賭してスペルビアと戦っていた事実を。だったら信じてあげないと……この国を救った“英雄”に失礼よ!」
人々の中で俺に対する意見は真っ二つに分かれている。英雄であるか、スペルビアと同じ“悪”であるかと。俺には自分の価値を決める事はできない。ラムダ=エンシェントに評価を下すのはあくまでも民意でなければならない。
「アロガンティア帝国の民よ! 答えは出ましたか?」
広場が静寂に包まれたタイミングを見計らい、アリステラは民衆に問うた。果たして俺は賞賛に値する存在なのか、それともスペルビアの犯した“罪”を贖わなければならない罪人なのか。
そして、その問いを一人の老父が出した――――
「我々には分かりませぬ……彼の“罪”は測れませぬ」
――――その答えは『分からない』だった。
広場にいた全員が俺に対して複雑な感情を抱きすぎ、纏まった一つの“民意”を示す事が出来なくなっていた。故に『分からない』と解答したのだろう。
「だからラムダ=エンシェント卿よ、其方が示してくれ……アロガンティア帝国への意志を。其方のこれからの行動を見定め、我等は『ラムダ=エンシェント』の功罪を図りたい……」
「それは……はい、勿論です!」
「アリステラ様……我等には彼を裁くことはできませぬ。だからどうか……アリステラ様の御心のままに彼を評してくださいませ。貴女様の判断を我等は支持いたします……」
「よろしい……では、私から解答を致します」
民意では俺を讃える事も裁く事も出来なかった。故にラムダ=エンシェントへの処遇はアリステラに託された。
そして、民意を託されたアリステラは側に控えていた第一皇女ディクシアから布に包まれた小さな何かを受け取ると、ゆっくりと俺の側へと近付いてきた。
「ラムダ=エンシェント卿……悪鬼スペルビアを倒し、この国を彼の“恐怖”から解放してくれた栄誉を讃え……第二皇女アリステラ=エル=アロガンティアの名に於いて、貴方にこの国で最高の名誉である勲章を与えます」
布から取り出されて差し出されてのは、アロガンティア帝国の霊獣でる『グリフォン』を象った勲章だった。アリステラ曰く、その勲章はアロガンティア帝国で最高位の名誉なのだと。
それを与えるという事は、アリステラは、アロガンティア皇族は『ラムダ=エンシェント』を“英雄”だと認める事になる。かつて、グランティアーゼ王国が俺に対して最高位の勲章を与えたように。
「しかしラムダ卿……この勲章は貴方に贈る“賞賛”ではありません。この勲章は貴方に与える“責任”です。これから復興の道を歩むことになるアロガンティア帝国に……どうか貴方の剣で“希望”を見せてください」
「――――ハッ!! 必ずやこの剣に誓って!」
「帝国臣民よ、我が愛する民たちよ! 己が命を賭けてアロガンティア帝国を救ったグランティアーゼ王国の騎士に盛大な喝采を!! そして……ラムダ卿が我が帝国とグランティアーゼ王国の友情の“架け橋”にならん事を!!」
アリステラの手で俺の甲冑に勲章が飾り付けられる。そして、アリステラが人々へと賞賛を促した瞬間、インペティ宮殿の広場から、そして帝都ゲヘナ中から拍手喝采が巻き起こった。
それはラムダ=エンシェントに対する“期待”の拍手だ。以前、【王の剣】に任命された時には重くのしかかった“期待”の拍手が、今は俺を力強く後押ししてくれる。
「ラムダ=エンシェント卿……我が祖国を救ってくれた“英雄”よ。改めて礼を……本当に、本当に……ありがとうございます。ありがとう……」
アロガンティア帝国の人々が俺の行動を見ている。ラムダ=エンシェントはアロガンティア帝国を救った“英雄”であるか、それともスペルビアと同じ“悪”であるかを。それをこの先の行動で示すのが俺も使命だ。
こうして、万雷の喝采の中で俺はアロガンティア帝国を救った“英雄”として認められ、この国の未来を輝かせる“希望”へと選ばれたのだった。




