第858話:ノブリス・オブリージュ
《これよりアリステラ=エル=アロガンティア皇女殿下よりお言葉がございます。皇女殿下、どうぞ……》
――――帝都ゲヘナの戦いは終結し、人々は戦いの犠牲になった人々の“死”を憂いている。帝都中が哀しみに暮れる中、インペティ宮殿では第二皇女アリステラによる会見が始まろうとしていた。
宮殿前の広場に設けられた壇上にアリステラは立ち、彼女の姿を映した映像が帝都中に配信される。広場に集った者、市街地から映像を眺める者、戦いに巻き込まれた全ての『被害者』がアリステラの生命を待っていた。
「帝国臣民の皆様、そして……我が祖国の為に奮起して下さったラストアーク騎士団、及びバハムート軍の皆様。私の名はアリステラ=エル=アロガンティア……第十代皇帝カルディア=ミド=アロガンティアの子、第二皇女アリステラです……」
帝国の第二皇女という自らの素性を明かし、アリステラは真剣な眼差しを人々へと向ける。
アリステラ=エル=アロガンティア――――アロガンティア帝国の第二皇女。スペルビアによる帝都襲撃時に脱出し、ラストアーク騎士団に身を寄せて祖国奪還の機を窺っていた反逆者。一度は戦いの場から遠ざかった彼女を市民たたちは神妙な面持ちで見つめていた。
「まず始めに、私は……我等アロガンティア皇族は皆様に謝らねばなりません。我等は“傲慢”でした……我が帝国は『世界一の軍事大国』だと自らを驕り、世界の革新を前に悠長に事を構えてしまいました……」
「「…………」」
「結果、我が祖国はスペルビアなる侵略者の侵攻を許し、大勢の愛国者たちに犠牲を強いる事態を招いてしまいました。これは前帝カルディアの……そして我等皇族の責です。本当に、本当に……申し訳ございませんでした……!」
今回のスペルビアの侵攻の全ての咎は自身を含めた皇族たちにあると彼女は言い、アリステラは軍帽を脱いで市民たちに向かって深々と頭を下げた。
為政者としては極めて異例の事態だ。本来、国家元首は“無謬の存在”ではなくてはならない。国のトップが頭を下げれば、国家の威信が失墜する恐れがあるからだ。にも関わらずアリステラは頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「皇族殿下が謝罪を……!?」
「皇族が非を認めるのか……?」
当然、インペティ宮殿の広場に集まった人々からは動揺の声が上がった。アリステラの映像を中継している市街地でも動揺の事態が発生しているだろう。
けど俺は知っている。アリステラは皇族たち、元老議員たちの中で唯一、世界の変革に対して危機感を抱き、改革の必要性を強く訴えかけていた事を。
「それは違います、アリステラ様! アリステラ様は警鐘を鳴らしておられた! 悪いのは日和っていた我等元老院ですじゃ!」
だからだろう、広場でアリステラの謝罪を見ていた老父の一人が声を張り上げた。悪いのは変革を怠った自分たち元老院であって、アリステラには“罪”はないのだと。
「いいえ……私は結局、大多数の意見に流されて黙ってしまいました……故に私も同罪です。私は弱かった、だから悲劇を防げなかった……これは紛れもない事実です」
けれど、アリステラは自分の事を“被害者”だとは認識していなかった。元老院たちの保守的な考えに飲まれ、スペルビアの侵攻を防げなかった自分もまた同罪なのだとアリステラは声を上げた元老議員に優しく微笑んでいた。
「今回の戦いで我等は多くの友を失いました……家族を、親友を、同僚を、愛する者たちを。皆、この国を愛し、最愛の人々を守ろうとしていました。私はそんな彼等に深く哀悼の意を捧げます……」
《黙祷――――》
そして、アリステラは軍帽を握った手を胸へと添えると、戦いで散って逝った全ての人々へと深い哀悼の意を示した。同時に黙祷を告げるアナウンスが流れ、帝都ゲヘナに居る全ての人々が戦死者たちに黙祷を捧げ始めた。
無論、俺ラストアーク騎士団の騎士たちも例外ではない。全員が亡くなった人々へと深い哀悼の意を捧げ、今回の戦いの齎した不条理さを哀しんだ。
「我等はまだ生きています……立ち上がらねばなりません。どんなに泣いても、苦しくて膝をついても……最後には立ち上がらねばなりません。それが……生き残った我々が死者に捧げる最大の手向けなのです」
「アリステラ様……」
「傷は深く、簡単には癒えません。ですが、それでも……どんなに恋焦がれても失った者は帰ってきません。それが世界の“理”です。どうか……どうか貴方たちは死者に“魂”を奪われないでください」
そしてアリステラは告げた、哀しみを乗り越えて立ち上がらねばならない事を。それは奇しくも、アインス兄さんが俺に告げた言葉と同じだった。
泣いても、挫けても、最後には立ち上がらないといけない。失った者の“死”を今は嘆いても、いつかは乗り越えねばならない。そうでなければ生き残った者もいずれは“魂”が死に絶える。スペルビアのように。
「私は誓います。必ずやこの悲劇を乗り越え、我が愛する祖国アロガンティア帝国を復興する事を。私は“責任”を言い訳にして逃げはしません。この身の全てを我が祖国、愛する民に捧げる事を誓います」
「…………」
「だからどうか……私に皆様の力をお貸しください。再び胸を張ってこの国を愛せるように……私に力をお貸しください。お願いします……!!」
スペルビアに踏み躙られた祖国を復興する為にアリステラはその身を捧げようとしていた。責任をとって辞任する、そんな生温いことは言わない。より過酷で困難な道を彼女は進もうとしていた。
だが、アリステラがこれからも為政者として生きていく為には民衆の支持がいる。だからアリステラは再び人々へと深々と頭を下げていた。そこに“傲慢”さは一切無く、悲劇の一端を担った存在としての“贖罪”の覚悟のみがアリステラを突き動かしていた。
「「…………」」
インペティ宮殿の広場に集まった人々は戸惑い声を失っている。アリステラを受け入れるべきか、スペルビアの侵攻を許した戦犯として排除するべきかを考えあぐねていた。
アリステラは何も語らず、ただ“民意”が答えを出すのを静かに待っていた。まるで裁きを受ける囚人のように。インペティ宮殿の広場は静寂に包まれる。
そんな静寂を打ち破ったのは――――
「僕はアリステラ様を支持するよ……」
――――ある男の乾いた拍手の音だった。
広場で演説を聞いていた一人の男性が静かに手を叩いてアリステラに赦しを与える。彼女にやり直すチャンスを与えるべきだと断言するように。
アロガンティア帝国軍の軍服に身を包み、身の丈程の大きな狙撃銃を担いだ中年男性、ウィル=サジタリウスだ。彼は微笑みながらアリステラへとエールを送っている。
「わたしも賛成〜」
同時に、ウィルの隣にいた銀髪の吸血鬼も拍手をしだし、それに釣られるように俺もアリステラに向かって拍手を送っていた。
するとどうだろうか、今まで静観を貫いてきていた人々も一人、また一人とアリステラへと拍手をし始めていく。それどころか少し離れた位置に在る市街地からも拍手の音が微かに聞こえ始めてきていた。
「アリステラ様は私たちを見捨てずに戻ってきてくれた! 誰よりも最前線で戦ってくれた! 貴女なら信じられる! オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア!!」
「皆様……」
「我々は負けません! もう一度、アロガンティア帝国に栄光を! オールハイル・アリステラ! オールハイル・アリステラ!!」
ウィルたちの声に賛同し、人々が声を張り上げる。アリステラなら国を立て直せると、アリステラと一緒ならやり直せると。哀しみを噛み締めて、涙を堪えて人々は帝国への愛を叫ぶ。
「「オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア!!」」
「私は……うぅ、うぅぅ……!!」
「「オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア! オールハイル・アロガンティア!!」」
帝都ゲヘナに歓声が響き渡り、戦いに傷ついた人々がアリステラの声を聞き届けて必死に立ち上がろうとしている。帝都の空気が熱気で震え、アロガンティア帝国を称える万歳があちこちから響き渡る。
そんな民衆の姿を見て、アリステラは思わずその場で涙を流して咽んでいた。スペルビアによって全てを奪われた彼女は人々の賞賛を浴びて漸く報われたのだ。
「今回の戦いで……私を支えてくれた“騎士”がいました。その名はラムダ=エンシェント……我等アロガンティア帝国と敵対していたグランティアーゼ王国の騎士です。ラムダ=エンシェント卿、私の側に……」
「…………はい。アリステラ皇女殿下!」
歓声を聞き届け、静かに涙を拭ったアリステラは祖国奪還の“英雄”を壇上へと呼び寄せる。ラムダ=エンシェント、アロガンティア帝国と敵対関係にあるグランティアーゼ王国の“騎士”を。
そして、アリステラに呼ばれ、俺はゆっくりと彼女の元へと歩いていくのだった。今度こそ自分自身で誇れる“騎士”である事を証明する為に。




