第857話:モラトリアムの終焉
「帝都の降下作業お疲れ様、イレヴンさん」
「あっ、レスターさん。来てくれたんですね」
――――帝都ゲヘナの戦いの決着、皇帝スペルビアの戦死から六時間後。すっかり日の落ちた中、俺はインペルティ宮殿の広場に居た。
結論から言えば、帝都ゲヘナの戦いはラストアーク騎士団の勝利で幕を下ろした。スペルビアが隠し持っていた“禁忌級遺物”『強制催眠装置』をノアが発見して機能を解除、スペルビアに支配されていた帝国兵の全員が支配から解放されたからだ。
「帝都を元の場所に降ろすのは骨が折れましたよ」
「そりゃそうだろうね。ぼくなら即断で断わるよ」
そして、正気に戻ったアロガンティア帝国軍がアリステラに降伏を申し出た事で戦いは終結した。だが、問題はここからだった。
俺たちは空中に浮遊していた帝都ゲヘナを元の座標に着地させるのに苦戦した。なにせアリステラや第一皇女ディクシア、第三皇女パーノの協力があったとは言え、“機神”と融合して帝都ゲヘナのシステムを管理する羽目になった俺がほとんど単独で帝都を操作する必要があったのだから。
「それで……スペルビアはどうなりました?」
「肉体はラストアーク内で秘密裏に火葬したよ。エージェント・ピースの亡骸と一緒にね。イレヴンさんの同一人物だし、何よりアロガンティア帝国にとっては憎っくき“仇”だ。おいそれと扱うわけにはいかないからね……」
「まぁ、それはそうですね……」
「スペルビアの“魂”は他のエージェント同様、本来の世界に送っておいたよ。今頃は向こう側のぼくが然るべき手順で彼を冥界に送っている筈さ」
「向こうのレスターさんも死んでいる可能性は?」
「えっ、ぼくかい……あはは、ナイナイ。ぼくはこう見えて“死神”だし、仮に物理的に殺されても冥界なら自由に動けるさ。まっ、君がスペルビアの記憶から読み取ったって言う“神”が死神に温情を掛けてくれているかは知らないけどね」
「…………」
帝都ゲヘナは元の座標に着地し、スペルビアやエージェントたちの亡骸は丁重に荼毘に伏された。もうスペルビアが“生き地獄”を彷徨う事はなく、レスターの計らいでスペルビアたちの“魂”は元の世界の冥界へと送られた。
レスター曰く、スペルビアたちの“魂”をこの世界の冥界に送ると、今度は俺たちが不利益を被るらしい。詳しい事は古代文明に於ける時空力学の第一人者ユニ=コスモスなる人物が纏めた論文に詳しい理論が記されているらしいが、それは俺には関係のない話だ。たぶんその論文を見ても俺では理解できないだろう。
「それでレスターさん、アマテラスの残骸は?」
「アマテラス……あぁ、あの空中戦艦の事かい? あの戦艦ならホープくんがラストアークの武装で丁寧に分解していたよ。なんでも『あの艦には嫌な思い出しかねぇ』だってさ」
「そうですか……じゃあホープもあそこで……」
「まぁ、問題はグラトニスを羽交い締めにする方だったけどね。まったく……『あの艦は新生魔王軍の旗艦にするのじゃ〜!』って喚く彼女を隊長格総出で押さえつける羽目になるとは思わなかったよ……」
「ははは……帝都降下班で良かった〜〜……」
旗艦アマテラスは即座に解体され、スペルビアが隠し持っていた『強制催眠装置』もノアの手で破棄された。もう同じ悲劇がアロガンティア帝国を襲う事はないだろう。
「戦いには勝利したとは言え……大勢の人たちが亡くなってしまった。アロガンティア帝国軍の兵士たちは勿論、バハムート軍の兵士も……帝都ゲヘナの人々も」
「そうだね……ぼくも仕事が多すぎて参っちゃうよ。けれど……それが“戦争”ってものさ。起これば嫌でも人は死んでいく、生き残った者は数多の“死”と向き合わねばならない。まったく、理不尽だね……『世界』ってやつは」
「そうですね……」
「親しい者の“死”を見すぎてスペルビアは壊れてしまった。君はそうならないように気を付けるんだよ、イレヴンさん。人間は“死”からは逃れられない……違うのは、ただ死ぬのが早いか遅いかだけさ」
「それは……心得ているつもりです」
「なら結構……大丈夫、君は強いよ。本当に大切な人を護れるだけの“力”がある。それに……受け入れたんでしょ、自分自身の“過去”を?」
「うん……ちゃんと“騎士の誓い”を思い出せた」
「いや〜、楽しみだなぁ……噂に名高い“アーティファクトの騎士”ラムダ=エンシェントの本当の実力、漸く拝見できそうだよ」
「あはは……そんな大袈裟な……」
「いやいや、そんなことないよ。だって、初めてぼくたちが逢った時から……自分に嘘をついていただろ、君?」
「それは……まぁ、そうですけど……」
広場に集まってその時を待ちわびる帝都ゲヘナの人々を木陰のベンチで眺めながら、俺はレスターと語り合う。
どうやらレスターは“海洋自由都市”バル・リベルタスで初めて出会った時から、俺が“騎士”の理想に目を背けていた事を悟っていたらしい。
「俺は……ずっと“騎士”に憧れて、いつか父さんや母さんのような立派な王立騎士になるんだって“夢”を観ていた。いつか女神から騎士の“職業”を与えられて、当たり前のように王立騎士になって、オリビアと結婚して幸せになるんだって『幻想』を抱いていた……」
「けど……現実は残酷だった……」
「俺は王立騎士の器じゃなかったんです。感情を捨て切れず、個人的な思想を優先して動いてしまう……それは王立騎士にあるまじき行為だったんです」
「けど……そんな君の方が好みだけどなぁ〜」
「結局、俺は『アーティファクト戦争』が終わったら用済みで……俺が出しゃばったせいで憧れていたダモクレス騎士団も、グランティアーゼ王国も崩壊してしまった……」
「だから“夢”から目を逸らしたのかい?」
「俺は気付いていなかったんです、自分の本質を。だから相応しくない王立騎士に固執して、それで失敗して、償いきれない“罪”を犯してしまった。俺はただ父さんと母さんが敷いた“理想”の上を走ってるだけだって……気が付いてしまったんです」
「けれど、今は……?」
「けど、俺はかつての自分という“本心”と、スペルビアという自分の“闇”と向き合って決心しました。本当になりたいのは王立騎士じゃない、もっと個人的な騎士なんだって……!」
「それは……」
「それは……まだレスターさんには言いません。ちゃんと彼女に俺の想いを伝えてから、それからレスターさんにも教えます」
「あらら……お楽しみはお預けかぁ〜……」
俺は『グランティアーゼの落涙』以降、ずっと“騎士”という存在から目を背け続けていた。王立騎士としては失格で、グランティアーゼ王国の崩壊を招いてしまった。そんな自分には“騎士”を名乗る資格は無いと自分で思い込み、ずっと本心に蓋をしていた。
けれど今はもう違う。幼い頃の自分と語り、スペルビアという自分の“闇”と向き合い、俺は決心を固めた。俺が本当になりたい存在、本当になりたい“騎士”は別にある。その気持ちに正直になろうと思うことができた。
「そうか、ちゃんと向き合えたんだね。それなら……もう君を『イレヴン』だとは言えないね。ちゃんと自己と向き合い、立派な“大人”になれた事、ぼくは心から敬意を表するよ……ラムダくん」
「――――ッ! レスターさん……」
「君はもう大人たちに守られる“子ども”じゃない。今度は君が誰かを守り、教え、導く番だ。ぼくが伝える事は何も無い……君と出逢えた事、ぼくは誇りに思うよ。まったく……人間って奴はこれだから面白い」
「レスターさん……ありがとうございます」
自分と向き合って、自分の弱さを受け入れて、そうして俺のモラトリアムは終焉を迎えた。ずっと“子ども”と“大人”の狭間を彷徨い続けた俺は漸く“大人”へと至れた。それをレスターは静かに祝福してくれていた。
「おっ……そろそろアリステラさんの演説が始まるみたいだね。さぁ、君は今回の戦いの“英雄”だ。しっかりと人々から賞賛を受けてくるんだよ、ラムダくん」
「そうですね……」
「じゃあぼくはまた仕事に戻るね。まだまだ葬送するべき“魂”が渋滞を起こしているからね。あぁそれと……大人になるついでに、もう片方の責任にもそろそろ目を向けてもらう事になるからそのつもりでね〜♪」
「……? なんの話ですか??」
「ふふふっ……それは内緒さ♪ じゃあまた後でね〜ラムダくん。いや〜、この後が楽しみだな〜……」
何やら意味深な言葉を残してレスターはその場を後にし、同時に広場が騒がしくなってきた。今回の戦いの経緯を人々に説明する為にアリステラが演説を行なうのだ。
そして、大観衆が注目する中、軍服に身を包んだアリステラがインペルティ宮殿から現れ、広場に設置された壇上へとゆっくりと向かい始めるのだった。




