第856話:罪と罰、その先の赦し
「うぉぉーーーーッ!!」
「――――ガッ! アァァァ……!?」
――――ラムダ=エンシェントの“闇”を体現した存在、アロガンティア帝国第十一皇帝スペルビア。彼との壮絶な戦いは決着した。“機神”との融合を果たし、“騎士”として再起した俺の前にスペルビアは敗北を喫した。
胸部を聖剣と魔剣で貫かれ、そのままスペルビアは帝都ゲヘナのメインストリートに叩き付けられた。激突の衝撃で魔王装甲アポカリプスは粉々に砕け散り、邪竜の姿へと変貌していたスペルビアは元の人間の姿に戻っていた。
「うっ……ちくしょう…………」
「はぁ、はぁ…………!」
地面に串刺しにされたまま、スペルビアは立ち上がれずにいた。エージェントたちが斃された事で蘇生術式を失い、心臓のアーティファクトも壊されたからだ。
もうスペルビアは復活できない。あと数分もすれば完全に息絶えるだろう。これでアロガンティア帝国軍は完全に瓦解する。
「ノア……すまない……俺は…………」
完全に抵抗の芽を潰された事を悟ったのか、スペルビアは静かにノアへと懺悔していた。きっと、彼が最後まで後生大事にしていた『彼女』に対してだろう。
俺にはスペルビアにトドメを刺すことはできなかった。これは俺の甘さだ。そして、俺の甘さを誰よりも理解しているからこそ、スペルビアはすぐ側で佇む俺を邪険にはしなかった。
「私は結局……何も護れなかった。母さんとの約束も、アインス兄さんとの約束も、アスハとの約束も、オリビアの事も……護ると誓ったノアの事も……なにも」
「…………」
「お前は私とは“違う道”を歩んだと言ったな? それは違う、間違っている……お前の歩いている茨の道は、どこからでもスペルビアの道へと枝分かれする」
「そうかもな……」
「運命はいつでも手ぐすねを引いて……お前を待っている。私は……それを乗り越えられなかった。だから逃げた……逃げたこの世界で……死者を蘇らせ、“あの日々”に逃げ込んで現実から逃げようとした」
その独白はスペルビアが抱えた『後悔』だった。約束を果たせなかった、護ることができなかった。そんな“罪”の意識に耐えきれなくなった彼は『ラムダ=エンシェント』であることから逃げ出し、過去を追い求める『スペルビア』という亡霊になってしまった。
けど、俺には分かる。スペルビアになったのは彼望みではない。過去を追い求めたのは彼なりの最後の抵抗だったのだと理解できる。
「お前のした事は……決して赦されない。アロガンティア帝国を侵略し、多くの犠牲を出し、ステラから大切なものを奪っていった……それは裁かれるべき“罪”だ」
「あぁ……だろうな……」
「けど……その根底に在った願いは“愛”だ。だから……俺はお前の想いは否定しない、スペルビア。お前は手段を間違えただけだ。その想いは……“あの日々”に帰りたいって思うお前の気持ちは……決して間違ってない」
「…………」
「俺はお前をもう否定しない……お前は“俺”だ、スペルビア。俺が持って生まれ落ちた『仮面』の一つだ。だから……お前が犯した“罪”は、俺が一緒に背負うよ」
なにかきっかけがあれば俺も彼のように“悪”へと堕ちるのかも知れない。スペルビアの言う通り、彼へと至る道はいつでも戸口を開いて俺を手招きしているのだろう。
だからきっと、どんなに否定してもスペルビアは『ラムダ=エンシェント』の“別側面”でしかないのだ。そして、スペルビアを受け入れなければ、俺はいつか同じ場所へと堕ちてしまうだろう。
「お前の無念は俺が決して忘れない。お前の無念は俺が一緒に連れて行く。だから……もう休んでくれ、スペルビア……もう一人の俺よ」
「そうか……まだ重荷を背負うか……お前は……」
俺は『スペルビア』という存在を忘れてはならない。彼を苦しめた“絶望”を、彼が悪に至ってしまった“苦悩”を、俺は受け止める必要があった。
そんな俺の決意を聞いて、スペルビアが僅かに不敵な笑みを浮かべる。かつて自分も持っていたであろう、愚かな程に甘い覚悟を聞いて呆れているのだろう。
「なら……最後まで足掻いてみろ……」
「ああ、そうするさ。最後まで歩き続けるよ」
たった一言、最後まで足掻いてみろと挑発的な言葉を残し、スペルビアはそのまま黙ってしまった。もう俺と話す事はなにも無いのだろう。
俺は死に逝くスペルビアから聖剣と魔剣を引き抜いて、その場からそっと離れた。彼の最期を俺が看取る訳にはいかなかったからだ。道を踏み外したスペルビアの最期を看取るのは、きっと彼女の役目なのだから。
「ラムダさん、スペルビアさんは……?」
「まだ息はある……行ってあげて、ノア」
俺も背後から現れたのは、息を切らしながら走ってきたノアだった。俺とスペルビアとの戦いが決着した事を悟り、慌てて“天空神機”から降りてきたのだろう。
ノアは俺の視線の先で横たわっているスペルビアを目撃する。何もかも失い、今にも命すら尽きそうになっている騎士の成れの果て。そんな彼のボロボロな姿を見て、ノアは苦しそうな表情をしていた。
「…………っ!!」
スペルビアにされた暴行の影響でノアは彼に恐怖を抱いていた。だから一歩踏み出すのを最初、彼女は戸惑ってしまった。
けれど、それではスペルビアが救われないと悟ったのだろう。なにかを決心したのか強く眼を見開くと、ノアはスペルビアに向かって迷いない足取りで向かっていく。
そして、ノアは精一杯微笑んで――――
「聞こえますか、ラムダさん……」
「ノア……君……なのか……?」
――――スペルビアに語り掛けた。
スペルビアの側で座り、彼の頭部を自分の膝の上に乗せて、ノアは彼の事を『ラムダさん』と呼んで語り掛ける。それは道を踏み外した男が最期に見る光景、自らが追い求めた“神”が赦しの為に現れた瞬間だった。
「すまない……私が……俺が弱かったばかりに、君を護れなかった……。すまない、ノア…………」
「いいえ……そんなことはありません。私は怒ってなんかいません……感謝しているんです、ラムダさん。こんなにも貴方に想ってもらっていた事が……私は嬉しいんです」
「けど……償いきれない程の罪を犯した……」
「なら……私が一緒に背負います。私も一緒に償います。だって……私はラムダさんの“相棒”なんですから。どこまで行っても一緒ですよ、ラムダさん」
ノアの赦しを得て、スペルビアはボロボロと涙を流し始める。彼女はスペルビアが求めた『ノア』ではない。けれど、それでも、今だけはノアは彼の『ノア』として精一杯振る舞っている。
「ノア……視えない、君の姿が……視えないんだ」
「手を握って……ほら、私はちゃんと此処に居ます」
薄れゆく意識の中でスペルビアは必死に手を伸ばし、ノアは弱々しく震える彼の手を両手で強く握りしめる。同時にスペルビアの表情が和らいだ。
「ありがとうございます、ラムダさん。私の為に戦ってくれて……貴方の想い、十分に伝わりました」
「ノア……俺は…………」
「もうゆっくりお休みください、ラムダさん。ラムダさんの想いは、ここまで歩いて来た軌跡は……決して無駄にはしません。私の誇りに賭けて誓います」
「あぁ……君が言うなら……安心できるよ……」
それは悪事に手を染めてしまった男を赦す無償の愛。罪と罰に苦しめられたスペルビアという男にもたらされた最後の赦しだった。
ノアの赦しを経てスペルビアは『ラムダ=エンシェント』としての在り方を取り戻し、本来の“顔”を取り戻した。それはありまりにも遅くすぎた、今際の際の幻のような瞬間だったのだろう。
そして、ノアの流した涙を頬で受け止め――――
「ああ、ノア……ずっと追い求めた……ずっと取り戻したかった……。やっと、やっと……君に……逢えた……――――」
――――スペルビアは静かに息を引き取った。
スペルビア、敗北して何もかもを失い狂気に堕ちた『ラムダ=エンシェント』の“IF”。境界を越えて現れ、アロガンティア帝国を侵略してまで失われた“絆”を取り戻そうとした男は、ノアの“愛”の前にささやかな赦しを得て救われた。
「はい、私はここにいます。ずっと貴方の側に……」
こうして、アリステラを、アロガンティア帝国を襲ったスペルビアとエージェントたちは全員倒され、帝都ゲヘナの戦いは終結したのだった。




