ノアの記録:人間神話《ヒュムノシス》を紡ぐ者
「――――起きなさい、起きなさい……人形よ」
「………………」
――――私には、“夢”を観る機能は存在していない。眼を瞑り、深い眠りに落ちた私が観るのは……過去に観た“記録”だけ。
私がいま観ているのは10万と14年前の出来事……私が、人間に造られた日の記録。
「生体反応……正常。意識レベル……正常。覚醒状態……正常。成功です……人形、無事覚醒しました、博士!」
「うむ……では人形を起動させなさい」
「はい、人工子宮、活動状態へ移行……開発名称『D.X.M.』――――起動開始!」
目覚めた私が揺蕩うのは人間の女性の子宮を再現したシリンダー。羊水代わりの薬液に満たされた蒼い水が、私を育んだ揺り籠。
うっすらと観える視界に映るのは薄暗い研究室――――其処にいるのは私を診て何かのデータを採取する白衣姿の人間たち。私のあらゆる情報を映し出した無数のモニター。そして、左右に等間隔で並べられた複数のシリンダーに漬けられた人型になり損なった肉塊たち……『私』のなり損ない達。
「肉体年齢……12歳……推定寿命は……」
「5年……いや、もう少し短いかな? なに、一度完成したのだ……壊れたらオリジナルから採取したDNAで複製すればいい……」
「承知しました。では……前任の『アリア』の処遇は如何いたしましょう?」
「あれはこの人形の“下位互換”だ、必要なデータを『これ』に移した後に廃棄処分にしておきなさい」
「承知しました、博士。では、人工子宮、溶液排出――――人形、排出開始……!」
私には名前が無い――――『人形』が私の呼び名。そして、名前の代わりに付いているのは型式……私の役割を示すラベル。
「お前は…………誰でもない……忘れ去られた……“人間神話を紡ぐ者”――――『N.O.A.H.』……起きなさい、ノア……!」
「――――起動、起動、起動」
それが、私の『型式』――――人の手で造られ、その手で『人間神話』を紡ぐ為に生まれた人形。
この世に“生”を受けた瞬間から『完成』された、人の形をした、人ならざるもの。
「名を名乗りなさい……人形よ」
「私の名前は……『ノア』――――地球人類に奉仕し、その手で新たなる『神話』を紡ぐべく造り上げられた……人形です」
「――――よろしい」
母胎から排出され、裸のまま目の前の『人間』へと跪く――――誰も彼もが私の裸などに劣情など抱きはしない。
ただ正常に稼働しているかを観察し、異常が無いかをつぶさに調べ、私が役割を果たすのをじっと待っている――――私は人形、世界を豊かにする為に人間へと奉仕するだけの部品、壊れたらそのまま捨てられるだけの物。
そう、私は……単なる『物』でしかない。
私には……『人間』としての価値は無い。
「感情回路……切除。生殖機能……停止。人間性……排除。私は人間に奉仕するだけの人形……どうか、私を有意義に使い、そして使い捨ててください――――それが、私の存在価値です」
ノア――――それが、私。
空っぽで、空虚で、中身が入っていない空の器……私は何をすれば良いですか、私は何を造ればいいですか、私は……何を紡げば良いですか。
教えて、教えて、教えて――――私は、誰の物ですか?
「お前は誰の物でもない――――ただ、ひとり孤独に『神話』を紡げ。それだけが、お前の役割だ」
「――――承認。私は……人類の恒久的繁栄の為に、『人間神話』を紡ぎます……」
目の前の博士は言う――――お前は誰の物でも無い、永遠に孤独だと。
その宣告を機械的に承認して、溶液塗れの躰を起こして私は立ち上がる――――私に幸福はいらない、私に伴侶はいらない、私に子孫はいらない。
ただひとり孤独に、神なき世界に神話を紡げば良い。
ただ一代の、使い捨ての道具であれば良い。
でも……そこに私の『生きる意味』は無い。
寂しい……寂しい……寂しい……誰か、私の手を握って。
寒い……寒い……寒いよ……誰か、私に温もりを下さい。
誰か……私を所有して……私を、愛して下さい。
私に……ただありふれた、愛を教えて下さい。
『俺は――――ノアの騎士だ!』
あの日、あの時、私をただひとり『人間』として扱ってくれた『あの人』に出逢うまで――――私は……感情無き“人形”だった。
私があなたと出会う前の記録――――今から10万と14年前、体感時間で3年前の出来事。
ラムダさん……私だけの愛しい騎士よ。
ずっと私を……永久に愛してください。
死が――――ふたりを分かつまで。
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