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作者: 村崎羯諦

 生き方とか考え方だけじゃなくて、見た目とか仕草とか全部ひっくるめて、朝岡さんそのものになりたい。入学式で朝岡さんを見てからずっと片思いをしていた僕は、ある日ふとそう思った。


 朝岡さんは僕にとって神様みたいなものだったし、彼女のことを考えるだけで胸がどうしようもなく苦しくなる。ほんのりと栗色がかったナチュラルボブの髪型に、上に向かってピンと伸びる長いまつ毛。控えめで穏やかな性格なのに、みんなと一緒に背伸びしてメイクをしていることも、その全てが愛おしく見えて仕方がなかった。教室の隅っこから、いつだって僕は彼女を飽きることなく見つめていた。彼女の細かい仕草一つ一つが僕の心を捉え、彼女が話す一つ一つの言葉が僕の耳にこべりついて離れなかった。


 だけど、どうして僕が朝岡さんのことをそんなに好きなのかは不思議だった。朝岡さんは可愛いし、すごく優しい性格をしていて、男子からの人気は高い。だけど、朝岡さんはどっちかというと目立たない女子だったし、モデルみたいな顔立ちをした同じクラスの女の子に隠れがちだった。


 どうして、入学式の日、彼女の姿を見たとき、僕は心を奪われてしまったんだろう。そんなことを考えながら、ふと鏡に映った自分へと目を向けた時、僕はあることに気がついた。自分の目、鼻、そして顔の輪郭。以前から女の子だって見間違われることが多く、コンプレックスにさえ感じていた顔のパーツ。それらが、僕が恋焦がれる朝岡さんのものとちょっとだけ似ているような気がする。僕は試しにいつも朝岡さんがやっている髪をかきあげる仕草を真似してみる。すると一瞬だけ、鏡の中に朝岡さんの姿が現れて、僕に微笑みかけてくれたような気がした。


 その日を境に僕は朝岡さんの真似をすることを決めた。休み明けに朝岡さんと同じナチュラルボブの髪型で登校してきた僕に対して、クラスメイトの反応は様々だった。女子は意外と好意的で、可愛いとか似合ってるとかって褒めてくれたけど、男子は大体下品な言葉でからかってきた。だけど、独学で学んだ、朝岡さんそっくりのメイクをして登校するようになると、そのからかいは少しずつ減っていって、その代わりに僕に対して妙に優しくなったり、以前は全く喋ったことのない人が馴れ馴れしく話しかけてくれるようになった。


 だけど、朝岡さんと、彼女といつも一緒にいる飯島さんだけは僕に話しかけてくることはなかった。ただ僕が朝岡さんに近づいて行く様子を、二人はまるで恐ろしいものでも見るかのような目で、見つめていた。


 外見を朝岡さんに近づけた僕は、次に彼女の仕草や喋り方真似するようになった。彼女がどのように手を動かし、どのように笑うのか。僕は教室の隅っこからずっと観察してきたから、それを再現するのは簡単なことだった。朝岡さんだったらなんて言うか、朝岡さんだったらどんな仕草をするか。僕はそれだけを考え、実行した。彼女が身につけているものも、持ち歩いているものも、真似できるものは全て真似した。通っているのは制服がない中学校だったから、彼女が着ている服のブランドを調べて、それを着て通学するにした。僕は朝岡さんに近づいてる。鏡で自分の姿を見るたび、そう思うことが増えていった。僕は鏡の前に立って、自分の顔にそっと手を当てる。あれだけ、恋焦がれて、愛おしいと感じていた朝岡さんが、こんなにも近くにいた。


「もう……許して」


 朝岡さんが声を震わせながら声をかけてきたのは、ある日の昼休みのことだった。あの朝岡さんから声をかけられた。以前の僕だったらきっと、それだけで舞い上がって何も喋れなくなっていたと思う。だけど、今の僕は不思議と落ち着いていて、「何のこと?」ってとぼける余裕まであった。朝岡さんが怯えた目で僕を見返してくる。僕は何も言わずじっと目の前の朝岡さんを観察してみた。目の下はうっすらとクマができていて、近くでみると肌も少しだけ荒れている。髪の毛に至っては枝毛が目立っていたし、以前はもっと健康的な色をしていた唇は、くすんだ赤色をしていた。朝岡さんってこんな顔だったっけ。僕は彼女を観察しながら、そんなことを思う。すると、朝岡さんの隣にいた飯塚さんが身を乗り出してきて、とぼけないでよと語気を強めて僕に詰め寄る。


 どんな格好をしようが僕の勝手でしょ?


 僕が笑いながら返すと、飯塚さんの顔が怒りで赤くなっていく。しかし、そのタイミングで昼休みが終わるチャイムが鳴った。飯塚さんが何かを言おうと口を開きかけたタイミングで僕の後ろから英語教師が教室に入ってくる。そして先生は、扉の前に突っ立っていた僕の肩を後ろから叩き、声をかける。


「ほら、授業始まるわよ。()()()()


 僕は振り返る。微笑みを浮かべながら。先生は振り返った僕を見て、一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべる。それから、あんまり似てるから間違えちゃったと少しだけ申し訳なさそうにはにかんだ。


 僕は勝ち誇った顔で朝岡さんと、飯塚さんの方へと振り返る。朝岡さんは、僕と後ろにいた先生へとゆっくりと視線を向けた後で、口を手で押さえながら、その場にしゃがみ込んだ。彼女の口から黄土色の吐瀉物が溢れ出して、彼女の白くて小さな腕をゆっくりと伝っていった。


 汚いな。僕は目の前で嘔吐する朝岡さんを見て、そんなことを思った。僕の知っている朝岡さんには吐瀉物なんて似合わないし、生理現象だと頭ではわかっても、彼女の口からそんな汚いものが吐き出されていること自体が信じられなかった。飯塚さんが朝岡さんの肩を抱いて、そのまま彼女を保健室へと連れて行く。僕はその場に立ち尽くしたまま、教室を出ていく彼女を見届けた。ふと目に止まった窓ガラスには、僕が理想とする女の子が映っていた。鏡の中でその子が、僕に優しく微笑んでくれたような気がした。


 その日を境に、朝岡さんは学校に来なくなった。それからも僕は朝岡さんとして振る舞い続けたし、あの事件以降ちょっとだけ距離を置いていた周りのクラスメイトも、時間が経つにつれて、以前と同じように接してくれるようになった。


 僕は全てに満足していた。名前も知らない男子生徒から突然告白をされたり、通学中に女の子と間違われて痴漢みたいなことをされることもあったけれど、それは周りの人が僕を朝岡さんだって認識しているんだと考えたら苦にならなかった。飯島さん以外のクラスメイトとの関係は良好だったし、みんな無意識のうちに朝岡さんに対する接し方をしてくれる。鏡を見ればいつだって朝岡さんが微笑みかけてくれて、彼女の笑顔を見るだけで僕の心は満たされてた。


「いつまでそんな馬鹿なことを続けるつもりなの?」


 ある日。学校から帰ってきた僕に、いつになく真剣な表情でお母さんが問いかける。それから、お母さんが僕の名前を呼んだ。その言葉を聞いた瞬間、僕は言いようのない嫌悪感に襲われる。目の前の人はどれだけ僕が朝岡さんとして振る舞っても、僕を朝岡さんとしては見ていない。僕の目の前にいる人は朝岡さんのお母さんではなかった。その事実に気がついた瞬間、色んな疑問と違和感が全身を駆け巡る。どうして、僕はこの家にいるんだっけ?そんな問いかけが思い浮かんだ僕は、無意識のうちに目の前の人に背を向け、着の身着のまま外へと飛び出していた。


 外はすっかり日が暮れていて、時折吹く風が冷たい。だけど、頭の中は色んな思考がぐるぐる回り続けていて、火傷しちゃうんじゃないかってくらいに熱くなっていた。僕は朝岡さん。だとすれば、あの家は僕の家ではない。だとしたら、僕はどこへ行けばいいのだろうか? 朝岡さんだったら、どこに行くだろうか? そんな堂々巡りの問いと一緒に、僕は当てもなく歩き続けた。道を曲がり、路地を曲がり、気がつけば僕は一度も訪れたことのない公園の前に立っていた。同時にどっと疲れが襲ってきて、僕は公園の中のベンチへと腰掛けた。大きくため息をつきながら前屈みになる。答えの出ない不安に身体がぐちゃぐちゃになりそうで、吐き気さえ込み上げくる。だけど、その時だった。


「美菜?」


 美菜。それは朝岡さんの下の名前。僕は身体を起こすと、そこには仕事帰りの中年サラリーマンが立っていた。それからその人は何かを見極めるようにじっと僕を観察した後で、「ごめんね、人違いだった」と申し訳なさそうに謝ってきた。


「いや、あまりにも私の娘に似ててね……。でも、そっか。美菜はずっと部屋に引きこもってるからこんなところにいるわけないか……」


 その声は寂しげで、まるで失われた過去を懐かしむような口調だった。その姿を見た瞬間、僕がこの場所に辿り着いた意味を知る。僕は朝岡さん。だから、気がつけばこの公園にやってきて、こうして本当の両親と出会うことができた。僕は奇跡とも言えるこの出来事に心から震える。それから別れの言葉を告げてその場から立ち去ろうとするお父さんの服の袖を握って、僕は語りかける。


「ごめんなさい。実は……他に行くところがないんです」


 お父さんは少しだけ困ったような表情を浮かべる。だけど、その表情には、自分の娘とあまりにも瓜二つな僕に対する親近感が込められていた。お父さん。僕は小さな声で呟いた。お父さんは僕の方へと振り返って、僕の手を握り返してくる。それから優しい言葉とともに、僕を立ち上がらせてくれる。


 それから僕とお父さんは歩き出す。僕の家へ向けて。お父さんだけではなく、きっとお母さんも僕のことを喜んで受け入れてくれるだろう。なぜなら僕は朝岡さんで、二人の間に生まれた本物の娘だから。


 僕が横を歩くお父さんの方へと顔を向けると、お父さんもまた僕の方へと顔を向ける。瞳に映っている理想の女の子は、僕に向かって嬉しそうに微笑んでくれた。

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