さすが、私は美しい!
「ああ! 今日も私は華麗!」
「ええ! 今日も私は綺麗!」
「「今日も私は完璧に美麗ね」」
姿見の前に二人並び、美しさをたたえる。朝起きて、着替えて、化粧をして、三度鏡を覗いているが、一向に見飽きない。今は家を出る前の最後の鏡タイムだ。玄関先に姿見を設置すれば、家を出る瞬間まで自分を見つめられるし、帰宅後も真っ先に自分の美しさを目にできる。やはり玄関に鏡は必需品だ。
「そろそろ出ないと遅刻しそう。早く行かなきゃ、もちろん歩いてね、雪花」
「それは大変、急がないと。バタバタ走るなんてかっこわるいもんね、月華」
玄関扉を押し開ければ、初夏の日光が降り注ぐ。今日もいい天気になりそうだ。
久瀬月華。久瀬雪花。
そこそこの私大に通い、それなりの都会に住む双子の姉妹は、大学でちょっとした有名人だ。
ぱっちり二重の瞳に、健康的だが白い肌。手入れの行き届いた髪は腰まで伸びている。通った鼻筋の下で微笑む唇は、真冬であっても瑞々しさを失わない。170センチという身長も含め、モデルのようなルックスは見たものが振り返る存在感を放つ。
が、二人が有名なのはそれが理由ではない。
「あん、もう! 木陰にたたずむ月華、初夏の妖精みたい。さすが私、美しさが止まらない!」
「日向にあって尚まぶしいなんて! 私の美貌は太陽すらもかすませるのね。雪花って罪深い」
これである。強すぎる個性に深すぎる自己愛。一卵性双生児であり、まったく同じ造形をした双子の半身を褒め称える姿が、構内のあちこちで目撃されているのだ。
「いいわ、月華。もう少し首を傾けて」
「次は雪花の番よ。もうすぐ講義だから、急がないと」
満足のいく撮影ができたのか、二人は連れだって講義室へと向かう。行動するときは常に二人一組。久瀬姉妹は、二人で一人なのだ。
「「おはよう、颯」」
「おはよう、月華、雪花」
スクリーンから放射状に広がる階段席。その中ほどに友人の姿を見留め、双子は連れだってとなりに腰掛けた。幼稚園からの幼なじみである、保木颯だ。糸目に八の字眉毛の持ち主で、顔の印象通りおっとりとしている。温厚篤実を絵に描いたような性格で、双子のナルシシズムを見せつけられても笑って流す度量を備えている。それぐらいの器がなければ幼稚園からのつきあいは続けられないともいうが。
「さて、問題です。私は月華? それとも雪花?」
颯に近い席に腰掛けた双子の半身が、茶目っ気たっぷりに微笑んで問いかける。
双人の容姿はまったく同じだ。ホクロの有無や位置まで、完璧に同一になるよう日々努力を重ねている。
どっちでしょうゲームは双子の定番だが、久瀬姉妹を見分けるのは、家族をして不可能だと言わしめた。
「うーん、どっちだろうねえ」
「ふふ。ヒント、今日の私たちはアイシャドウの色が違います」
二人で一人だが、目が二対あるなら二通りの色をのせねば損だ。なぜなら二種類の美しさを堪能できるのだから。
もちろんメイクの方法は同じだ。同一人物なのに顔が違うのはおかしいから。
「じゃあ、君は月華かな」
「ブッブー! 私は雪花でした」
「残念、間違えちゃったよ」
「颯は本当に当てられないわよね、私たちのこと」
「幼稚園から一緒なのに、一回も当てたことないんじゃない?」
「いや、さすがにそんなことはないよ、たぶん。一回くらいはあるんじゃないかな」
クスクスと三人で笑い合う。出会うたびにゲームを仕掛けているが、颯は必ず間違える。メイクの色が違うときは当てられるかと思うのだが、そんなこともなく。的中率は脅威のゼロパーセントだ。
間違えてものほほんと笑う颯に、二人もころころと鈴を転がすように笑う。
「たっのしそうだね、セッカちゃん。俺も混ぜてよ」
穏やかな空気を打ち破ったのは軽薄な声。するりと双子のとなりに身を滑らせたのは、運上南雲。明るく染めた茶髪と大ぶりなピアスが浮ついた印象を与える男である。容色は整っているが、女漁りがひどいとの噂もあるチャラ男だ。
「座っていいなんて言ってない。どっか行って」
「そんなつれないこと言わないでさ。ね、ゲッカちゃん」
すぐとなりに座る一人の肩に手を回す。
「やめて、馴れ馴れしいわよ」
ピシリと手をたたき落とされても悪びれない。
「でもさ、俺はちゃぁんと二人を見分けられるんだからさ、あってもよくない? ご褒美」
にんまりと口角を上げ、わざわざ顔を伏せて上目遣いを演出する。あざとい仕草にぐっとくる女性も多いが、生憎と二人には逆効果だ。美人の冷ややかな視線は見る者を震撼させる。
「そもそも、見分けられるなんて、どうせ今のやりとりを見てたんでしょ」
切って捨てる言い方に、南雲は片眉を上げて心外を表す。
「いいや、俺はやりとりなんて見てないし聞いてないね。そんなのなくたって、俺はゲッカちゃんとセッカちゃんを見分けられるよ」
十年来の幼なじみも、家族でさえ見分けの付かない双子。その二人を確実に見分ける唯一の存在が、この運上南雲という男だった。
「まぐれよ」
「百発百中なのに? ちな今日は、アプリコットオレンジのアイシャドウがゲッカちゃん、ヴァイオレットがセッカちゃんね。 どう、あたりっしょ?」
にやにやと笑う南雲を無言で見つめる。正解だ。色まで当ててくるのがいかにも女慣れしているようで余計に腹立たしい。
完全に同一な二人をどうやって見分けているというのだろう。
「その反応は正解と見た。やり、連勝~!」
文句を言いかけた双子だが、チャイムに阻まれ、結局その講義はとなりにチャラ男を据え置いて受けることになった。忌ま忌ましさで授業の内容は入ってこなかった。
「ねね、ゲッカちゃん。俺と遊び行こうよ」
「お断り。他を当たってちょうだい」
「セッカちゃんもいいけどさ、俺はゲッカちゃんを誘ってんだよね」
講義のみならず、食堂でもめざとく双子を見つけた運上は、断りもなく同じテーブルに着く。構内に食堂は複数あるのに、ついていない。
「ていうかさ、なんで二人はそんなに見分けられるのイヤなわけ? 俺が二人を分けて呼ぶとめっちゃ怒るじゃん」
「私たちは一人なんだから。当たり前でしょ」
「いや二人だよ。どんだけおんなじにしても、ゲッカちゃんはゲッカちゃんだし、セッカちゃんはセッカちゃんで別人でしょー」
ぴくり、と眉が引きつる。二人は一人なのだから、別人などと言われてたまらない。
「なんかさ、特にセッカちゃんの方が見分けられたくない感じ? 双子当てゲーム仕掛けるのって、だいたいたセッカちゃんだよね。それって」
「運上くん、席を一つずれてもらっていいかな」
きつねうどんと親子丼の乗ったトレーを手に、颯が割って入った。
運上のぶしつけな質問で尖り始めた雰囲気が、すこし和らぐ。
「……ん、しかたない。はい、どーぞ」
「ありがとう」
案外あっさりと席を譲った運上が立ち去ってくれることを願ったが、彼はわざわざ机を回り、正面に腰掛けた。
「んでさ、セッカちゃんは見分けられたくない割に、双子当てゲーム仕掛けるよね。なんで?」
本当は見分けられたいんでしょ、と口にせずとも聞こえてくる。颯が取りなそうとしてくれたのに、蒸し返すとは空気が読めない。いや、読んで理解した上でなお、掘り下げている。なんて性格が悪いことか。
「私たちが一人だからよ」
「ふーん。ま、いいや。じゃあゲッカちゃんは? なんで見分けられたくないの?」
雪花の答えは変わらない。要領を得ない回答は切り捨て、もう一人に水を向ける。
「私たちは一人だからよ。……私たちは完璧に美しいの。それを見分けられるってことは、どちらかが完璧ではない、ってことじゃない。そんなのは困るわ」
「なるほどね。大丈夫、ゲッカちゃんもセッカちゃんもパーフェクトに美人だからさ」
パチリ、とチャラ男らしくウインクを決める。月華の答えには納得できた。完璧な美しさが損なわれるから、見分けられたくない。真偽はどうあれ、月華には言語化できる明確な理由があった。
他方、雪花はどうだろう。
「ゲッカちゃんはさ、二人ともパーフェクト美人なら見分けられてもいいって言ってるよ。セッカちゃんはちょっと違うよね。なんか怖がってそう」
「運上くん。あっちで固まってる女の子、君に用があるんじゃないかな。行ってあげたら?」
どんぶりを二つとも空にした颯が、入り口を指さす。ばっちりとオシャレをきめた学生が何人か集まり、こちらを見ている。運上に声をかけたいが、美貌の双子に気後れしているといったところか。
「颯くんってさ、セッカちゃんに優しいよね。好きなの? 俺はゲッカちゃんとおつきあいしたいんだけど。あ、颯くんも見分けられるでしょ、二人のこと」
「雪花も月華も好きだよ。でも、見分けは付かない。二人ともそっくりだから」
「そういうスタンスなんだ。ね、セッカちゃん。見分けられたくないことにはっきりした理由がないならさ、ゲッカちゃんを縛り付けるのはやめてね。それじゃ、また」
縛り付けるとはどういう意味だ。柳眉を逆立て、花の顔に怒りの化粧を施した雪花は震えるほどに美しい。
激憤で飾られた雪花には目もくれず、運上は冷ややかな拒絶を示す月華へと手を振った。雪花ほど表情を変えず、瞳にだけ凍える嫌気を閉じ込めた月華もまた、心臓が氷るほどに麗しかった。
美人は怒ると恐い。完璧な美貌を誇る双子の、炎と氷の怒りは恐ろしくて美しくて惹きつけられる。とばっちりで二人の怒りにさらされた颯は、こっそりと二の腕をさすった。
「運上って、ほんっとうに、失礼なやつよね、月華!」
「ええ、ほんとに。図々しくて腹立たしいわね、雪花」
長い髪にドライヤーを当てながら、雪花が鎮まらない怒りを口にする。運上と別れてからも、ふとした瞬間に最後の言葉が思い出され、いらだちが尽きなかった。
湿った髪が温風によって艶を取り戻していく。指通りのいい髪に少しだけ溜飲が下がった。
「もう寝ましょう、雪花。おやすみ」
「睡眠は美しさに不可欠よね。おやすみなさい、月華」
二枚並べた布団に潜り込み、そっと目を閉じた。
夢を見る。
見上げるほど高い天井、そこに描かれた精緻な絵画。壁に配された金の燭台が、煌々と室内を照らす。横に三人並んでも全員写るだろう大きな鏡が、部屋の中央に置かれていた。鏡の前に女性が一人立っているほかに人影は見えない。
幾重にも布の重ねられた真っ赤なドレスがよく似合う女性は、鏡に向かって陶然と微笑んでいる。見慣れた笑顔だ。毎朝毎時、鏡で、隣で見つめる笑顔。
(私だ)
あれほど美しい人間が二人といるはずない。姿見の前で恍惚としているのは間違いなく私だった。
おもむろに鏡が波打つ。先ほどまで美貌の女性を写していた鏡面に、年齢も性別も読み取れず、表情もない顔が浮かび上がった。現実で起きれば恐怖する光景だが、夢の中の女性は日常の一コマのように自然に受け入れている。
女性が口を開く。何を言ったのかは聞こえない。ただ鏡の言葉だけが不思議とよく聞こえた。
「王女よ、おまえは本当に自分が好きだね。そんなに自分を愛でたいならば、次の生では二人にしてあげよう」
「おはよう、雪花。寝起きでもやっぱり綺麗ね」
「月華……」
「またみたわね、私たちの前世」
目を覚ますと、隣で片割れが苦笑していた。自分と同じ顔、鏡で見慣れた顔、夢の中の女性と寸分違わぬ顔。
二人は幼い頃から時折、今の夢を見た。おそらく二人の前世と思われる王女の姿。服装や年齢は変わることはあったが、行動はいつだって一貫している。姿見前での美しさチェックだ。
それが今の性格を形作っているとは思わないが、多少影響を受けたことは事実だ。
その最たるものが「二人で一人」発言だ。元々一人の人間だったのを、お互いに愛でられるように二人にしたのなら、やはり月華と雪花は一人なのだ。
「雪花? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ、月華……」
雪花は月華と双子だ。雪花は、月華と二人で一人である。そうであるはずなのだ。
幼い頃から降り積もる小さな違和感。返答が恐ろしくて、どうしても月華に聞くことができない質問があった。
――ねえ月華、夢の中で、あなたは王女さま自身なの?
雪花はいつだって王女を見つめていた。本人ではなく、第三者の視線でその場に立っていた。王女本人ならば、鏡の中の自分を見つめているはずだ。だというのに、雪花はいつも彼女を観ている。
「本当に大丈夫よ、月華。さ、今日もとびきり美しい私たちになりましょう」
「ええ。でも、無理はしちゃだめよ、雪花。私たちは何もしなくても美しいんだから」
「おはよう、ゲッカちゃん。今日もかわいいね」
「あら、おはよう。当然のことを言う必要はないわ。私の美しさに翳りがある日なんてないもの」
「そのとーりだ。じゃ、言い方変えんね。今日も完璧に美しいね、もちろん昨日も明日もパーフェクト美人だよ」
「ちょっと、間に座らないでちょうだい! そこは私の席よ!」
「やだな、セッカちゃん。俺だってゲッカちゃんとお近づきになりたいのよ。そうカリカリしないで、たまには譲ってよ」
月華と雪花は基本的に横並びで座る。二人が離れることはまずないというのに、運上はこともあろうに月華と雪花の間に割り込んできたのだ。一瞬の隙を突かれたと言うほかない。
場所を変われと主張してものらりくらりとかわされる。力尽くでは敵わない。
月華も煩わしそうな反面、どこがどう美しいか、事細かに称賛されてまんざらでもなさそうな顔をしている。二人は一人だというのに、片割れだけに意識を向ける男の何がいいのか。
「ねえ、少し落ち着いて。もうすぐ講義も始まるし」
「颯! ねえ、私はどっち? 私は雪花? それとも月華!?」
となりに座る颯にすがるように問う、問い詰める。颯は二人を判別できない。一人を判別できるわけがない。
二人が完全に別人だなんて、そんなことあってはならない。
雪花は月華だ。月華でなければならないのだ。見分けられてはいけない。それでは雪花の意味がなくなる。
「どっちかな、僕にはわからないよ。月華かな、雪花かもしれない。大丈夫、君たちの見分けはつかないよ」
興奮している雪花の肩に両手を置き、言い聞かせる。双子の見分けはつかない。本当だ。見た目だけなら、そして雪花が冷静なら、けっしてわからない。
だが、二人には決定的な違いがあった。幼い頃から二人と接し、何度となくどっちでしょうゲームを仕掛けられた颯はそれに気づいていた。
月華は本当に自分の美貌を誇っている。普段の言動も本心からのものだ。
雪花は違う。雪花はあくまで月華の真似をしている。雪花本人も自覚がないのかもしれない。雪花は常に月華の存在を気にかけ、月華と同じようにしている。幼少期は特に顕著だった。長じてからはそんなそぶりは見えなくなった。意識せずとも月華のふりが板に付いたのだ。
雪花は月華ではないと看破されることに強い恐怖心を抱いている。強迫観念と言ってもいい。だからこそ、「二人で一人」にこだわる方が雪花なのだ。
颯はそれに気づいた上で指摘しない。二人を識別しない。月華も美しい自分が二人いることにご満悦だったし、雪花も月華と見分けが付かない間は生き生きとしていた。
それを崩したのが運上だ。正直、初対面から二人を見分けられるのは驚異的だったが、女好きと聞いて納得もした。要するに、自分の食指が動く相手に敏感なのだろう。雪花は月華と同じだが、いわば養殖だ。天然の月華を好んだと考えれば納得できる。
運上と出会ってから、雪花は不安定だった。当然だ、識別されることは雪花のなかでなによりも恐ろしいことなのだから。
月華もそれにうすうす気づいているからこそ、運上を拒絶しているのだろう。だが、昨日の言葉は決定打だった。
「ねえ、ちょっと外に行こう。風に当たろうよ」
今日の双子は、髪も化粧も服装も完全に同一だった。運上は一目見るなり二人を見分けた。
雪花が月華を縛っている。運上の看破は、ただでさえ不安定だった雪花に追い打ちをかけた。恐慌状態に近い彼女の手を引き、講義室を出る。心配そうな月華の視線と、それを遮る運上の姿を尻目に小さな中庭へと足をすすめる。今からの講義は、あとで二人にコピーをもらうしかない。
「いや、だめ! わたしと離れちゃう、だめ、月華!」
月華の名の名を呼び続ける雪花は目立つ。ただでさえ構内の有名人なのだから、普段以上に人の耳目を集める。ニコイチの片割れが叫びながら男に腕を引かれるというのは、端から見たら暴行の現場だろう。下手をすれば学生課への通報だ。
そのための安全策として、中庭を選んだ。中庭は講義室から見下ろせる。下衆な野次馬が動画を撮るかも知れないが、証人がいれば潔白は証明される。
「ねえ、ね、あのね、よく聞いて。君は何をそんなに怯えてるの?」
けっして名前を呼ばない。月華と雪花は二人で一人。雪花しかいないときに、雪花と呼びかけてはいけない。
「だって、月華が、わたし、雪花、でも月華で」
ガタガタと震える彼女の両手をとる。太陽の光は暑いくらいなのに、握った繊手は氷のようだ。
「月華も雪花も同じだよ。僕には二人ともおんなじ。僕だけじゃない、みんなが二人をおんなじだと思ってるよ。だって、僕は今も君が雪花か月華かわからないんだよ」
「ほんとに? 私たち、おなじ? 別じゃない? いっしょ?」
「うん、本当だよ。二人はおんなじ、いっしょ。別じゃない」
少しだけ、震えが収まった。今は雪花が動揺しているために容易に見分けが付くようになっているが、本来二人は見分けられない。二人並んでいてもわからない。一人だけ見てもわからない。二人で一人。二人とも同一人物。そういう双子だ。
「私と月華は二人で一人。私たちは一人なの」
「うん、知ってるよ。二人はずっと一人だったよ」
何度も何度も、雪花が落ち着くまで繰り返した。
二人は一人。雪花と月華は同じ。見分けはつかない。
どれくらいそうしていただろう、気がつけば月華と運上が中庭に来ていた。
「雪花! 平気?」
「月華……。うん」
駆け寄ってきた半身は、鏡で見るのと寸分違わぬ容色をしている。だが、鏡の虚像とは異なり、実体がある、体温がある。頬を包まれ、肩を撫でられ、背中をさすられた。自分と別の存在であるのが恐いのに、その行為に安心感を覚える。
「……ねえ、月華。私たち、よく夢を見るでしょう」
「ええ、今朝も見たわよね」
「あれね、月華は、どんな風に見えてるの? 月華は、女の人を見てるの?」
月華に抱かれ、華奢だが弱々しさとは無縁な肩に顎を乗せて問いかける。背中に回された腕に力がこもるのがわかる。支えているのか支えられているのか。
「私は、鏡を見てるわ。私はいつも、鏡の中の自分と目が合うの」
「……そっか。月華、私ね、たぶん、王女さまの、月華の影武者だわ」
夢の中の女の人。豪華な部屋、豪奢なドレス。身分のある人物に影武者が付くのは珍しくない。
ならばきっと、そうなのだ。王女を見つめる自分は、王女本人ではありえない。
影武者として王女に仕えていたのだろう。だからこそ、王女と見分けられることがこんなにも恐ろしい。
影武者だと看破されては、王女本人に危害が及ぶかもしれないから。月華と離れるのが不安なのは、離れたら身代わりになれないから。
「ねえ、雪花。私は、雪花よ。だって、私みたいに美しい人間が二人もいるはずないもの。だから、やっぱり雪花は月華なのよ」
「うん、ありがとう。私もそう思うわ。私は完璧だから、雪花以外に月華はいないわ」
強く抱きしめ合う。かけがえのない半身、別れることのできない自分自身。
夢のことを知らない男二人は黙って見守っていた。
颯がちらりと運上を見ると、運上も颯を見ていた。口に出さなくとも言いたいことはわかる。
――ゲッカちゃんは俺がもらうから。セッカちゃんをちゃんとフォローしてあげなよね
――二人にはお互いが必要なんだから。片方だけにしたらダメだよ
――セッカちゃんを狙ってるくせに
――雪花も月華も大事だからね
目配せで会話しているうちに、二人も落ち着いたようだ。
「あん、さすが月華。泣き濡れる瞳も艶麗ね!」
「雪花も最高だわ。憂いが晴れてとっても輝かしいわ!」
互いを褒め合う通常運転。ほっとはき出した安堵の息を、初夏の風がさわやかにさらっていった。
「今度、ダブルデートでもしよっか!」
鏡「一人の魂はどうやっても一人にしかならないよ。え、なんで二人にしたかって? そりゃ、毎日毎日一番美しい人間を聞かれちゃたまんないからね。お互いに賛美しあっといておくれよ」