修行
オーダーをバックヤードに通したモエが固まっていると、俺の後ろから王国女学院の制服を着ている生徒たちがやってきた。
「あら、モエさんですわ」
「だめですよ、平民落ちした生徒なんですから」
「おほほ、あのモエさんが……本当にいい気味ですわ」
「ご両親は悪質な脱税で捕まったらしいですわね。ご自身で学費を稼ぐなんて……」
「会長、違いますよ。あの子、学費が払えなくて退学になったらしいですよ!」
「そう――、どうでもいいですわね。失礼、そこいいかしら?」
……まて? うちはいつの間にか没落したのか? 学費は自分で払っていたから全然知らなかった。ということは俺は平民になったのか……、特に問題はなさそうだが……。
女学院生徒の一人が俺の前を通り過ぎて、モエに喋りかけた。
「――喉が乾いたわ。――モエさん、あなたが頭を下げてお願いしたらジュースを買ってもよろしくてよ? ふふ、これで学費……、あら失礼、退学でしたわね? 生活費の足しにしてもよろしくてよ。おほほほっ――」
プライドが高かったモエが頭を下げるはずがない。
あいつは女王様だった。わがままで、自分の思い通りに行かないと癇癪を起こす。
だが、モエは歯を食いしばりながら、元同級生に言った。
「――っ、と、当店のジュースは天然のフルーツを使用しているので――、とても美味しいです。ぜ、ぜひお買い上げください。よ、よろしくお願いします――」
モエは頭を下げていた。
女学院の生徒はそんなモエを鼻で笑った。
「あら? こんな下賤な輩が働いているお店のジュースなんて買うわけないわ。――皆様、行きましょう。――おほほほっ! ごきげんよう」
モエはアイツラが去ってもモエは頭を下げていた。
顔をあげたモエと眼が合う。
「……セイア、いえ、セイヤ、ごめんなさい。もう帰るお家なくなっちゃったけの……、わ、私頑張ってお金貯めてあの家を――」
頭が混乱してきた。家が無いのか? モエはどこに住んでいるんだ?
料理を持った恰幅の良い料理人が前に出てきた。
「へいおまち! 冷めないうちに食べてくれ! ――ん、なんだ? モエちゃんどうした?」
「あ、いえ、な、なんでもないです。わ、私、野菜切ります」
料理人は俺とモエを見て、ため息を吐きながら言った。
「…………モエちゃん、小休憩だ。今の時間はピークじゃないから大丈夫、いってらっしゃい」
モエは料理人に背中を押された。
リオが俺の背中をそっと押してくれた。
そして、俺たちは空いているベンチへと座った――
「セイヤが出ていったあと、私も家を出たの。一人で考えたくて……」
俺とリオは料理が冷めないうちに全部食べきった。
モエはその間無言であった。俺たちが食べ終わったのを見計らって喋り始めた。
「しばらくしたから、学院から学費滞納の知らせが来て……、お父さんとお母さんは……牢獄に入っているわ。……自業自得よね。私もあの人達も自分勝手だったから……」
俺は過去の姉との記憶が蘇る。
姉は俺をダシにして両親から寵愛を受けていた。学園でも姫様気取りで人気者であった。
機嫌が悪いと俺に当たり散らす。暴力を振るわれたこともあった。
俺にとっての姉は……奴隷仲間のアカネだけだ。
モエが髪を触ろうとした時、俺は思わず身体がビクッとなってしまった。
「――あっ……。セイヤ……、本当に、ごめんなさい……、私のせいで、セイヤが誘拐されて……」
「――それは違う。俺が弱かったからだ」
強い言葉になってしまった。
あの誘拐を誰かのせいにしたくない。結果的に俺は奴隷になって大切な仲間ができた。
小等部の思い出も受け入れる事ができた。
心が強くなれたんだ。
俺が小さい頃、姉は俺をすごく可愛がってくれた。
だが、親の影響なのかわからないが、ある時を境に俺を雑に扱い始めた。
「アパートも追い出されて、手持ちの現金で漫画喫茶で寝泊まりして……。初めて生きるって大変だって気がついたの。女学院を中退したから中卒になって、住所も不定だから面接もたくさん落ちた。みんなから馬鹿にされた。――でも、私は仕方ないと思った。だって、セイヤの事を――」
モエの手を見ると荒れていて傷だらけであった。
俺は俯きながらモエに言った。
「今さら……、なんで今さらそんな事言うんだ……。俺は、悲しいこともあったけど、友達もできて……、新しい人生を歩んで……」
モエは涙を堪えていた。
そんなモエの顔を見たくなかった。
「……大丈夫よ……、わ、たしは、もうセイヤと家族じゃないわ。……ここで会った事は忘れて。セイヤはセイヤの道を進んで幸せになって……」
俺は唇を噛み締めた。
そして、リオの手を引いて立ち上がった。
「――俺は行く。明日は対抗戦があるんだ。大事な大事な決戦だ。だから――」
心が暴れていた。言葉を紡げない。
懐かしさと憎しみが混在している。
荒んでいた昔の俺はもういない。みんなに出会って成長できたんだ。
だから、俺はモエと向き合い必要がある。
だって、俺はずっと一緒に住んでいた弟なんだから。
胸の奥から温かいエールが送られてくるのを感じる。
俺は絞り出すような声でモエに伝えた。
「――受け取ってくれ。明日の選抜者の関係者向けの――観戦チケットだ」
モエは固まってしまい、それを受け取ろうとしない。
「え――、で、でも、私……そんな資格……」
俺は無理やりモエのメイド服のポッケにねじ込んだ。
懐かしい姉の匂いがした。何故か泣きたくなってきた。
「資格なんていらない。だって…………家族だろ? 弟の成長を間近で見てくれ」
モエは泣き崩れてしまった――
遠くで料理人が心配な顔で見ていた。
心配してくれる人がいる。ならきっと大丈夫だ。
「じゃあ、また……、モエ姉さん――」
数年ぶりにモエを名前で呼ぶと――心の中にあった澱が消えていく感覚に陥った。
俺はきっと、モエと普通の兄弟みたいに話したかっただけだったんだ。
心の楔が解き放たれる。
『あはっ、やっと家族と話せたね。奴隷時代に私に相談してたもんね。……ちょっとの前進だけど、大事な一歩。ふふ、奴隷時代のお姉ちゃんとしては嬉しいね。これで私も――』
不思議な力が湧き上がると共に、アカネの声が聞こえてきた。
上手く使いこなせなかったアカネのスキルが俺の身体と一体化した瞬間であった。