深夜放送
最近、夜中に目が覚めてしまうことが多い。
大体、深夜三時から四時。そのくらいに目が覚める。
覚めたからといってやることもない。わざわざ起き出して何かするのも面倒だ。が、しかし、再び眠りにつくのも、これがなかなかに骨が折れる。
考えた末に、枕元にラジオを置いた。夜中に覚醒すると、スイッチを入れる。音量を小さく絞って囁くような声を楽しむ。こんな時間でも自分の他に起きている人間がいるという安心感。聞くともなく聞ける気楽感。これはなかなかいい。
毎晩のようにラジオを聞いていたある日、なんだか妙な番組に行き当たった。進行らしい進行もなく、テーマもBGMもなく、ただひたすら誰かがぼそぼそ呟いているだけ。誰かの独り言のようなものが延々と続く。そんな番組。変な番組だなあと違和感を覚えたものの、なぜか引き付けられ、気が付くと毎回聞くようになった。
そうして日が経つと、段々と番組について分かってくることもある。とはいえ、相変わらず内容は誰か知らない人間の独り言のみなので、ほぼ分からないのには変わりないが。ただ、二、三は発見があった。
まず、呟く人間は毎回違う。名前をはじめ個人的なことは一切口にしないので、どこの誰とは分からない。が、日によって声や口調がまるで違う。年齢も性別もバラバラだ。
その大抵がはっきりとした発話ではないことから、呟いているのは素人だろうと推測できる。アナウンサーや芸能人などの「玄人」ではない。どこかの一般人だ。
そして、呟く内容。個人的なことは口にしないといったが、具体的な人物名や地名や職業などが語られないだけで、曖昧に自分の人生を語る人間は多い。なかには職業を特定できる人間もいる。だが、その辺りは主眼ではない。彼らの呟きの核。それは、恨み言だ。誰かへの、友人だか上司だか家族だかはそれぞれに依るが、特定の誰かへの恨み、妬み、憤り、悲嘆、未練、妄執――いわば呪詛のような言葉の数々が、彼らが電波に乗せて伝えたいことの核心なのだろう。始まりから終わりまで恨み言のみを呟いている人間もいる。
日々、違う人間が来ては、誰かへの恨みをひたすら吐き出し続ける。それがこの番組なのだ。
正直、気味が悪いとは思った。倫理的にどうなのかとも思った。しかし、何故か気が付くとその番組にチャンネルを合わせてしまう。
そしてある日。もうひとつの事実を知った。
その日に呟いていたのは、老齢の女性だった。ぼそぼそと、口の中に言葉がまとわりついている感じで、いつにもまして聞き取りにくい。耳をそばだてる。どうやら彼女は虐待を受けているらしかった。高齢で寝たきりの彼女。そんな彼女を、息子や息子の嫁や孫たちはあからさまに邪魔者扱いし、酷い扱いをしてくる。食事は残飯のようなものが少しだけ。着る物は滅多に取り換えられず、部屋には臭いが充満している。具合が悪くても放置。こちらの呼びかけには無視で返し、顔を見れば「迷惑」「いなくなれ」と罵声ばかり浴びせてくる。薬の容量を勝手に減らす。通帳から金を盗む……等々。時には憤りを滲ませ、時には涙ながらに切々と訴える老女の声。そのあまりに過酷な状況には同情を禁じ得ない。
が、直後。その同情心は驚きと共に掻き消えた。次に老女が語った一件により、彼女の素性が分かったからだ。老女は「亡き夫がくれた大事な結婚指輪を嫁に奪われた。嫁は窃盗の事実を隠すために、石を加工し直し、特徴を変えた。さらにはリングの裏側に自分と、夫である息子のイニシャルを刻み、自分の物として周囲に吹聴している」という話を、時折声を詰まらせながら語ったが、それは私の知る近所の家の話と酷似していた。いや、酷似ではない。嫁の指輪窃盗。一点物の石の特徴。イニシャルの彫られた位置。まさにその家の話で間違いなかった。
そして、私は知っていた。その老女がどんな人間であるかを。今、語られた彼女の話は全て嘘だ。彼女の捏造に過ぎない。いや、全てが「捏造」とは限らない。彼女の認知には多少の問題があったらしいから。しかし、その影響を考慮しても、彼女の話の大部分は捏造だった。介護が必要になった彼女は、嫁の手厚い看護を受け、息子の稼ぎを吸い上げて散財し、孫には興味がなかった。そもそも認知や身体に問題などない頃から、彼女は嫁を虐げていた。嫁を奴隷のように酷使しながら、近所には「嫁が虐待してくる」と泣きながら訴える。嫁を貶めることを至上の喜びとし、そのためには亡き夫の遺品でもある自分の結婚指輪を加工し直すことも厭わない。そんな人間だった。利己的で我儘で、大嘘つきだった。そして、先月死んだ。大往生だった。
私は悟った。これは死者の語る番組なのだ。死者が生者に対し、この世に遺した恨みを一方的にぶつけ続ける番組。語られる恨みが真実とは限らない。死者の独りよがりな憤りや、身勝手な怨嗟も多いだろう。きっとそれでも構わないのだ。ただ、死者が己の中にある、死してもなお断ち切ることの出来ない負の未練、怨念を、届くあてもないまま、ひたすらに吐き出し続け、誰かを呪い続ける。これはそういう番組だったのだ。
そのことに気付いてから、私は不思議とよく眠れるようになった。相変わらず深夜に覚醒する癖は治らない。しかし、ラジオを付け、死者の恨み言を聞いていると、いつの間にかまた穏やかな眠りに落ちている。理由は分からない。ただ、何もかもが息絶えたような深く暗い夜の中で、眠りにつけない死者たちが届かない恨み言を孤独に呟き続けていると思うと、何故か心が安らいでいくのだ。