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ちり紙  作者: 城間遙子
3/10

scene 3

 またある時、サエコはしきりと生欠伸を噛み殺してみせる。

「眠いの?」

 重そうなまぶたを覗きこみながらユウタが訊ねる。サエコは肯定も否定もせずにやりすごし、数秒後おもむろに口を開いた。

「今朝、四時五十一分に目を覚ましたのよ。これは早すぎるでしょ」

「俺はまだ寝てる時間だ」

「私も普段なら寝てる時間なのよね」

「じゃあ、今日は寝不足なんだ」

 それで合点がいったというふうにユウタが結論づけようとするところを、サエコはまだまだと言わんばかりに首を一回振って言葉を続ける。

「昨夜は八時に寝たの。だからゆうに八時間は寝てるのよ」

「早すぎるよ」

「だって寝たかったんだもの。――でも八時間寝てるのに駄目ね、朝早すぎる時間に起きると、睡眠時間に関係なく早すぎたってだけでもう眠いのよ」

 そしてまた生欠伸を噛み殺す。ぞんざいな行動。ユウタにはそれが何かのジェスチャーのように見えてくる。何を意味するのか。会話する意思のなさか、あるいは隙を見せて何かを誘発するものなのか。

「じゃあ今夜は、せめて十時までは起きてないと」

 適当なことを言い返して、ユウタは公園の向こうの踏切を見やる。上り電車も下り電車も走りすぎたばかりの線路はしんと静まりかえっている。視線を戻すと、サエコの伏せがちな瞳と睫毛は欠伸の涙で潤っている。

「できたら。その方がいいのよね」

 サエコが、意想外に素直に頷いた。かと思うと今度は公園の出入り口の脇に立てられた町内会の掲示板へ目を向けて話題を切り替える。

「ねえ、あのポスター」

 腕をすっと伸ばして指をさす。その先には子供会で作成したらしい防災の手描きポスターが掲示されている。

「左端の女の人の唇が凄いインパクトあると思わない」

 ユウタは目を凝らし、サエコの言うポスターの女性を見つめてみる。消火器らしき物を持って火に向かっており、指摘されている唇は鮮やかなピンクだった。

「何でここまでピンクなのかっていうようなショッキングピンクね。あのポスターを見たら、まず真っ先に飛び込んでくるのはあの唇のピンクだと思う。それから、こんなピンクな唇のあるポスターには何が書かれているんだろうと思って文字に目を移す感じ」

 ユウタはそういうものかと思いながらポスターを眺める。サエコは彼の反応が薄くても特に気にもとめないで、数秒後には公園の隅のブランコに目を向ける。ブランコはてっぺんの鉄パイプにその鎖を巻きつけるようにしてあって、遊べない状態になっていた。

「あのブランコ。何で巻き上げられちゃってるんだろう」

「事故でもあったのかな。たまに見かけるよな、そうなってるブランコ」

「どんな事故であんなペナルティをくらったのかしら」

 誰かが漕いでる時にその下へ滑りこんで抜け出す遊びで失敗したのか、大きく漕ぎすぎて転落したのか、それとも二人乗りで失敗して怪我でもしたのか。――サエコは幾つかの仮定を並べてみせる。

「でもそれにしても、ブランコのない公園なんて魅力に欠けるわね。ブランコこそが児童公園を児童公園たらしめるものじゃないの」

 サエコの言葉は、何にでもパンチを繰り出した。ユウタはそれを、深夜放送のラジオ番組を聞くようにして聞く。

 

 そしてまたある時、ベンチに座るサエコの両脇には、箱ティッシュの五箱パックがあった。

「駅前の薬局の店先で売ってたの。安かったのよ、五箱で税込み百九十五円」

 満足そうにそう言って、左脇の方のパックをぽんと叩いてみせる。

「普通はいくらぐらいするの」

 ユウタはまだ実家で暮らしている分、日用品の物価には疎かった。サエコは口許に指をあて、少し考える素振りをみせた。

「二百九十八円とか、三百四十五円とか、四百円以上のところもあるわね」

「じゃあ本当に安かったんだ、それ」

 ユウタが素直に頷くと、サエコは得意気に「そうよ、安かったのよ」と言った。

「でも、二つも持って帰るの大変じゃないかな」

「たいしたことない。かさばるけど、見かけほど重い物じゃないし」

 あっさりと言い切って、サエコは座ったまま両方のパックを持ち上げてみせ、それからまたパックをぽんぽんと叩いた。

 ユウタはサエコが箱ティッシュのパックを両手にさげて帰る姿を思い浮かべた。

 夕焼けの空を背景にして、きっと背筋は綺麗に伸びている。目は真っ直ぐに前を見ている。両手にはパックのビニールの取っ手が食い込んでいる。彼女はそれを構わずに、徒歩二十分かけて帰ってゆく。

 実際、サエコはそうやって一人暮らしをしているワンルームマンションへ帰った。

 そしてこの日以降、ユウタは頻繁に箱ティッシュの五箱入りパックを見ることになる。ベンチに座るサエコの両脇を固めるようなあんばいで置かれているそれを。

 また、安かったの。そんなに買ってどうするの。何に使うの。――ユウタが何を訊いても、サエコは曖昧な言葉でやりすごした。箱ティッシュのパックは、ユウタにとってサエコの秘密を象徴するような物体へと変化していった。

 それは何に使われているのか。

 それは彼女にとって何なのか。

 その中には、どんな秘密が込められているのか。


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