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ちり紙  作者: 城間遙子
1/10

scene 1

 気持ちよく晴れた日の夕方、サエコは二枚の絵ハガキを出すために郵便局へ行った。

 それは何ということのない行動だが、この行動にはおかしな点がふたつあった。

 ひとつはハガキの内容。それは年賀状の返事がしたためられているもので、しかし季節は既に、桜が蕾を綻ばせるような春だった。

 もうひとつは郵便局へ行ったこと。絵ハガキに貼る切手ならば近くのコンビニや本屋にでも行けばこと足りるところを、彼女はわざわざ徒歩二十分かけて、郵便局まで行っていた。

 他者からみれば、どうでもいいようなことだろう。けれど、サエコからすれば行動にはそれなりの意味があった。年賀状の返事を今さら出すことについては、正月当時は何もする気になれずにいたせいだし、かといって出さないよりは時期に遅れても出した方がましだと思ったからだった。わざわざ郵便局まで行ったのは、コンビニ等で切手を買う場合には、店員がレジから離れて背後や横にある棚から切手を探り出さなければならず、しかしサエコからすれば、そんな余計な手間をとらせるのは申し訳ないような気持ちになるからだった。

 物語の上ではあっさりと流れていくものにすぎない些細な行動は、けれどサエコの性格の一部をあらわしている。

 サエコは郵便局に行って、ついに返事を出したという達成感を味わいながら大通りに出た。そして歩きだし、赤信号の前で足をとめる。やわらかい風が頬を撫でてゆき、産毛がそよぐ。不意に、タバコが吸いたいような気がしてきた。家の中で吸うのではなく、この夕方の空の下で。

 この近くには都合よくしつらえたような児童公園があった。そして今立っている場所、サエコの背後には更に都合よく清涼飲料の自動販売機がある。

 そこで缶コーヒーを買って公園に行こうとするのは、いたって自然な動きだった。小銭入れを出すついでにバッグの内ポケットを探って携帯用の吸い殻入れを持ってきていることを確認して、できるだけ糖分の少なそうなコーヒーを選んで買った。信号はタイミング良く青になっていた。


 公園には誰もおらず、サエコは誰もいないということにささやかな開放感をおぼえた。

 ベンチは左右の隅と中央に置かれている。どこに座ろうかと考えて、右のベンチを選んだ。埃をはたいて、そっと腰をおろす。

 ここにはブランコと滑り台とジャングルジムと砂場という、いたってお決まりの遊び道具だけが揃っていた。メンテナンスはこまめに行なわれているのか、遊び道具のペンキは鮮やかな色をしている。配色はピンクと黄と青と明るい緑。ベンチにもニスが塗られていて、古びた印象を与えなかった。

 中央には花壇があって、桜と躑躅が植樹されている。桜はちらほらと咲いていて、見上げると夕暮れを控えた薄い青空に、黒い枝と点々とした花が広げられていた。

 いい公園だな、とサエコはタバコに火をつけながら思った。特に真ん中に大きくスペースをあけているのが心地よかった。遊び道具たちは、三ケ所の隅にそれぞれ設置されている。残るひとつの隅にはトイレがある。あまり使われていなそうなトイレは、外壁が下から侵食されるようにして黒ずんできている。

 それらを見渡しながらタバコの煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐きだす。

 公園は静かで、空は薄青。白い雲が筆でさっと佩いたように浮かぶ。視界はゆったりとひらけている。

 左側の向こうで遮断機がカンカンと音を鳴らし、ややあって背後の方にある線路を電車が駆け抜けていった。

 サエコは、それら全てを快く感じていた。そうしてバッグから小さく折り畳まれたティッシュを取り出し、広げて、鼻をかんだ。思いきりかんだ。

 それは普段のサエコならばできないことだった。何とはなしに音を聞かれるのが恥ずかしくて、自室以外では鼻をちょっとおさえるだけになってしまう。けれど今は思いきりかむのが正しいような気持ちになっている。

 すっきりした鼻から勢いよく流れこんでくる空気は、清々しく微かに甘かった。

 春だな、と思いながら、サエコは二本目のタバコをくわえた。

 

 

 サエコがそうして伸び伸びとくつろいでいる時、公園脇にある踏切では、ユウタが遮断機に足を止められていた。

 定時で仕事から上がれた日には、いつもこの時間の遮断機にやられてしまう。その度に次は会社から早足で駅に向かおうと思うものの、結局毎度忘れてしまう。

 ユウタは遮断機のあの音が苦手だった。

 カンカンと繰り返される音はヒステリックに何かを訴えてくる。ありとあらゆる忌々しさを悲しさを悔しさを遣る瀬なさをつのらせる音。喚く声、遮断機の両端に立てられた赤いランプの点滅とは、決してかみあわない叫び。聞いているうちに、わけもなく懐かしさをも覚えさせてくる。決して戻れはしない時へ、どの時とも指定せずに。耳があの音で埋められる。脳にまで響き渡り、そして頭の中で飛び回る。

 その狂乱は疾走する電車の音によって乱暴にかき消される。レールの繋ぎ目をガタンガタンと踏みつける音。

 ユウタは何気なく視線を巡らせてみる。目の前の踏切ではない方へ。巡らせた先には自分と同年代らしい女性が公園のベンチに座っていて、そうして見ているうちに彼女が鼻をかんだ。ユウタはその横顔を、公園の周囲の植え込み越しに見つめていた。彼女はユウタが立つ場所のけたたましさからは完全に無縁だというような雰囲気にみえた。

 やがて電車は通りすぎ、遮断機が緩慢な動きで上がり、自分の傍らに止まっていた車が走りだし、公園の女性がタバコをくわえたところで、ユウタは止めさせられていた足を踏み出した。遮断機の音に捕われていた頭が、ふと静かになって思考は動きだす。この踏切を渡って、駅に向かって、電車を待って、乗って降りて、駅前のスーパーマーケットに寄って缶ビールとつまみを買い、買い物袋を片手にさげて帰宅する。たゆみなく動き出す日常。

 この日見た女性を、ユウタはその後も見かけることになる。定時で仕事を上がる度に、同じようにタバコを吸い、またある時は同じように鼻をかむ女性を。


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