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かつて、ぼくらは世界を救った。

作者: 河野 晶

 この部屋はいつも静かだ。自分の吐く息がうるさくおもえる時もあるほどに。

 そんな部屋は大人が十人ほど集まっても窮屈さを感じないほどの広さがあり、分厚い紺色のカーテンの先には広々としたベランダまである。

 かべ一面にはミズナラ材でつくられた頑丈な棚が据えつけられており、棚の中には神経質すぎるほどていねいに魔法薬品やその材料がおさめられていた。

 

 この部屋の主である青年ーー ジィロは疲労を濃く感じられる息をはいた。

 背はあまり高くはないが均整のとれた体つきは貧相さはなく、青みががった灰色の髪はすっきりと短く整えられており、知性的な青い瞳は見るものに冷たい印象をもたせている。

 ジィロはくたびれた、よくいえば腰の形になじんだ背もたれに体を預け、最終確認をおえた魔法新薬の治験実施計画書を短い呪文を唱えて次の関係部署に転送した。

 これで明日から一週間ほどは、まともな時間に寝起きして仕事をする生活ができるだろう。

 今日はもう急ぎで片づけなくてはならない書類はない。とっていなかった昼食を摂るついでに、机仕事ばかりでだるくなった足を動かそうと、三日ぶりに仕事部屋から外にでた。



***



 ジィロの仕事部屋は、王宮区内にある魔法薬研究棟の二階にあり、廊下にでてすぐ左側にある扉を開ければ外階段から庭へといけるようになっている。ジィロは誰にもあうことなく出かけれれるこの構造をとても気に入っていた。

 使用人すら足をむけない王宮区内の片隅といえども、定期的に手入れはされており雑草ではない花がきれいに咲いている。荒れたところのない庭園を歩いていると、とても、とてもよく知った魔力をとらえた。

「しまった」と、瞳をとじて眉をよせる。

 普段ならば、気づかないように、遠目にも遇うことがないように気をつけていたのに。きっと自覚している以上に疲れがたまっていたのだろう。

 でなければ、気づいてしまえば、遠目にでもその存在をとらえてしまえば、無視などできないヒトのことをわざわざ感じようとは思わない。

  

 ほら、足が勝手にうごく。

 きれいに整えられた芝生はやわらかくて、足音を消しているからきっとあのヒトは気がつかない。

 満開のユキヤナギにかこまれた東屋で、天然の毛布に体をあずけ、すやすやと眠っている金の姫と呼ばれる乙女の姿を見つけてジィロは内心でため息をつく。


 そうだ、こいつがそばにいないなんてこと、あるわけがなかったな。

 そう思い、止まりかけた足を前へだす。


 天然の黒い色の毛布が動き、その金色の瞳がジィロをとらえた。驚いた様子はない。それもそうだろう、この、今は毛布に徹している黒豹ーー コーヤが察知できる匂いや音の範囲は通常の人間とはおおきく異なる。

 その上コーヤは気配などといった曖昧なものまで察知できるのだから、そんな男に気づかれないわけがない。

 魔力はまったくないくせにーー 内心で悪態をつき、ジィロはコーヤを無視して金の姫へと声をかけた。

 

「カティ。カティ起きろ。こんなところで昼寝なんかしないでくれ。人目につけば問題になる。」


 声をかけられても起きる気配のない金の姫のかわりに、コーヤがこたえる。


「ひとがきたらオレがわかる。さっきねたところなんだ。」

 

 獣の口から発せられる人語はくぐもっていてなれない人間には聞き取りにくい。付き合いの長いジィロでもたまにわからない時がある。

 この獣の言葉を正確に聞き取れるのはカティくらいだろう。

 

「僕が来ても寝ているじゃないか。」

「おまえなんだから、おこすひつようがないだろう?」

「......昼寝をさせたいのなら部屋でしろ。」

「カティもオレもおちつかない。いろいろにおいがまじって、はながとれそうになる」


 侍女のおしろいに香水、いらないといっても部屋に焚きしめられる香。カティのいる場所は嗅覚のすぐれたコーヤにはつらい場所だ。


「さいきんとくにくさい」

「鼻に綿でもつめておけ。カティいい加減起きろ。王宮区内といっても、ここは君がいていい場所じゃない。」


 そうだ、ここはこのヒトがいていい場所ではない。「カティ」もう一度その名を呼ぼうとしたとき、黒豹を毛布がわりにしていたカティがうっすらと目をあけた。

 絹糸のような美しい金の髪。くせっ毛を気にしていたけれど、彼女の愛らしさを損なうものではない。弧をえがく長いまつ毛に縁取られた神秘的な紫水晶の瞳。ふっくらとした唇は、寝起きだからか少し乾いている。


 ふぁっと子供のようなあくびをしてカティは眠たげな顔をジィロにむけた。


「おはよー。って、ジィロおはよう! ね! ね! コーヤ! ここにいたら会えたでしょう!」

「ひとつきかかったけどな」

「おい、そんなに前からここを昼寝場所にしてたのか?」

「そんなにかかってないわ。今日でちょうど二十五日目よ!」

「カティはどうしてたまにこまかいんだ? まいにちおおざっぱなのに。」

「まあ! わたしをおおざっぱっていうのなら、コーヤのほうが途方もなくおおさっぱじゃない。」

「おれはおおさっぱじゃない、おおらかなんだ。」

「それ、うまく言ったつもりなの?」

「カティ! 馬鹿猫! ぼくの話を聞け!」


 初めてこの二人に出会った十年前にはもう、カティとコーヤの会話はこんなだ。意味もなく長くなる。

 ジィロはこめかみをかるく揉み、気を取りなおすと、ひたりとカティを見据えていう。


「カティ、きみはこの国の王太子妃なんだぞ。後宮にいるべき方が、王宮どころかこんな王宮区内の端で馬鹿猫に寝そべって昼寝なんて、なにを考えているんだ。」


 そう、彼女はこの国の王太子妃殿下だ。経緯はどうであれ 救国の聖女である彼女は王太子と三年前に結婚している。


「ジィロがなかなか会ってくれないんだもん。」

 

 だからしかたがないと、カティは口をとがらせた。

 十八歳になるというのに彼女の表情は幼子のように無垢だ。

 呆れと憧憬。わだかまりと嫉妬。苛立ちと、いとしさ。

 ごちゃ混ぜになって、よどんでいくなにか。


 押し黙ったジィロの表情に気づいていないのか、カティはつづける。


「お薬、できたの?」

 

 確信をもったカティの声に「ああ、だから二十五日前からか」と、ジィロは納得がいった。

 新薬が完成し最終的な実験に移りだしたのがその頃だ。


「うん。たぶん、間に合うよ。」

「だいじょうぶよ! ジィロだもん。」

「そうだな。おまえがつくったんだ。」 

「......どこからくるんだ、その信用は。」

「であった時から信頼してる。」


 一人と一匹からにかりと笑ってそういわれ、ジィロはうつ向いた。

 腹に力を入れ顔をあげる。

 紫水晶の瞳がまっすぐにジィロを見ている。その眼差しに答えたいとおもうし、逃げ出したいともおもう。

 後ろ楯のないジィロが王宮で潤沢な研究費を与えられ、魔法新薬の開発に打ち込むことができたのは、カティのおかげだ。彼女はなにも言わないけれど、それくらいさっしはつく。


「たしかに薬はできたけれど、完治はしない。根本を絶たないと。」

「そうね。薬ができたならもういいかしら?」

「なら、にもつをもってくる。」


 かくしていたんだ、といってコーヤが小さく唸って輪郭をかえていく。

 コーヤの行動にあせったのはジィロ一人。カティは顔色ひとつ変えずに、さっと大判の肩掛けをコーヤにかぶせ、足元にたたんでおいてあった服を人の手になったコーヤにわたした。

 大判といえども肩掛けだけではコーヤの身体を隠しきれてはおらず、ごそごそと服を身に付けている姿は怒る気が失せるほどに滑稽だ。

 女性の、しかも王太子妃の前で素っ裸で人がたに戻るなど不敬すぎるが、当人同士がまったく気にしていないので注意するのも馬鹿らしくなる。

 十年前はすべてさらしていて平気だったことをおもえば、最低限の羞恥心はお互い持つようになったようだが......。


 人型のコーヤは褐色の肌と無彩の黒髪をした青年だ。金色の瞳は見るものに畏怖の念を抱かせるが、人懐こい笑顔 ―― ジィロに言わせれば馬鹿な間抜け面 ―― で、人の輪に入りこむ特技を持っている。

 黒豹姿でも人型でも、王宮区内で彼は多くのものに受け入れられている。

 王太子妃殿下の愛玩動物と思われているからという事もあるが、黒豹姿の時は散歩だと思われて何処にいてもあまり驚かれない。

 木の上に荷物があるからと、コーヤはするすると猿のように木に登り、十メートルほどの高さから三人分の荷物を抱えて飛び降りてきた。

 ぎょっとするジィロ。平然としているカティ。この図も十年前から変わらない。

 荷物をそれぞれに手渡しながらコーヤが言う。


「上から見えたけど、感づかれたっぽい。王太子と近衛騎士が勢ぞろいでこっちに来てる。」

「やだ、どこまでばれてるのかしら。出かけるのもばれちゃったかな?」

「出掛けるって、ピクニックじゃないんだから。」


 気軽な外出です、とでもいいたげなカティの軽い言いかたにジィロがぼやくと、大きなリュックサックを背負いおえたカティが唇をとがらせて言う。 


「でも三年間もどこにも出かけてないから、外に行くの楽しみなんだもん。」

 

「飽きたよな」とコーヤも同意する。


「いやだもう来た。意外と速かったわね。」

「ジィロは一人で来れるよな。」


 え? っと思う間もなくジィロの目の前でコーヤはカティを片腕に抱え、低木を足場に城壁に上る。

 本当に行く気だと、ジィロは二人を見上げる。

 足が、動かない。

 カティ達を咎める声が近づいてくる。

 足は、動かない。


 息を切らしてやってきた王太子が怒鳴る。


「聖女よ! どこへゆくつもだ!」


 怒りに満ちた声にカティは平然と答えて。


「流行り病の原因をやっつけに! あ、あと三年白い結婚でしたからちゃんと離婚してくださいね~。」


 平然と、爆弾を落とした。


「何をしていたのですか王子!」

「聖女を逃すなとあれほど」

「媚薬の香が効かなかった?!」


 三年も何をしていたと、王太子が一斉に責められはじめる。


 城壁の上で守り手の腕に抱かれたカティは「あの臭いお香お薬だったのね」と、正解がわかってよろこんでいた。


「............」


 三年間、薬が出来上がるまでの間ずっと黒豹が金の姫を守っていた。


 あのねと、聖女と呼ばれた少女が話し出す。


「あのね、魔王は死んでないの、だから魔王の澱みのせいで皆病気になってるの。一度体に入り込んだ澱みは魔王をやっつけても消えないの。」


 幼かった三人では魔王を倒しきれなかった。

 力をつける必要があった。

 薬が必要だった。

 魔王を一時的に封印しただけだということは、きちんと説明した。その上で薬の開発に力をカしてほしいと世界一の魔法国家に援助を依頼した。

 見返りがカティの身柄だったことは誤算だが、離婚できるのだから問題ない。

 薬はできた。力もつけた。もうここに留まる理由はない。


「だから魔王をやっつけてくる。ギル王子今度はちゃんと好きな人と結婚してね」


 焦る王太子には興味がないようで、カティはすっとジィロに手をのばす。 

 あたりまえだと、言葉にするのも馬鹿げているかのように、自然に、当然のように手をのばす。


「ジィロ」 


 三年の間に道が別れてしまったと、勝手に勘違いをして、所詮そんなものだと勝手にすねて……。


 カティとコーヤは信じて待っていた。 

 魔王の封印がとける前に必ず薬はできると。

 必ず三人で魔王をたおすと。 


 ジィロは右足を強く地面に打ち付ける。そして三年かけて王宮区内に施した魔方陣を発動させる。 

 自分以外を対象にした魔法無効の陣。  


「風よ」


 短い言葉だけでジィロの体がふわりと浮かぶ。

 城壁へ、二人の元に追いつくと、ジィロは「おまたせ」と笑った。


 さあ、あの頃のように、魔王をたおしにゆこう。  

 もう一度、世界を救いにゆこう。


 


 






 

 

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