リスキー
葉子は昨日のことなど忘れたかのように朝から元気だった。朝ごはんもおかわりをして、意気揚々と学校に行った。
この学校では登下校班なるものがあり、遠くから来る者がまるで勇者のように仲間を増やしつつ学校に向かうことになっている。帰りは逆に人数を減らしながら自宅に帰ることになる。
葉子はその日、登下校班のことなどすっかり忘れて、走って行くぐらいだった。
比較的早く学校に着いた葉子であったが、すでに教室の空気がおかしい。昨日のように自分に対する悪意でなく、何か怖いことが起こったかのように静かだった。
「葉子……聞いた? 山村のこと。」
「別来君? どうかしたの?」
「朝起きてこないからおばさんが起こしに行ったらいなかったんて。うち、あいつと登下校班が同じだから……」
「よくあることなの?」
「そんなわけないじゃん! おばさんが大騒ぎしてたんよ! 警察も呼ぶとかって……」
「私! お父さんに言ってくる!」
もちろん葉子には心当たりがあった。あの暖かい人が言っていたのだ、可哀想なことになると……
でもあの人ならきっと何とかしてくれる、そんな一心で自宅まで走った。父親ならあの人と連絡が取れるはずだから……
登校する他の児童に変な目で見られることも気にせず、葉子は急いで自宅に戻った。
「パパ!」
「あらどうしたの? パパはもう出かけたわよ?」
「別来君がいなくなったって! あの人にお願いしないと!」
「それは無理よ。あの人も言ってたんでしょ? 覚えてない? もう自分の手を離れた、関与できないって。」
「じゃあ別来君はどうなるの!?」
「分からないわ。警察に任せるしかないと思うわよ。お父さんには私から言っておくから学校に行きなさい。」
「うん……」
そこに一本の電話がかかってきた。学校からであり山村 別来の件で本日休校の知らせだった。また警察が行くかも知れないのでその時は協力を、と言った内容だった。
一方その頃、阿倍野 清は昨夜の夜の店の女の子のお持ち帰りに成功していたため、まだ寝ている。ここ数日の心身の疲労からまだまだ起きないだろう。現在地は実家でも事務所でもない。きっといい夢を見ていることだろう。
そんな清の安眠を妨害する一本の電話。電源を切り忘れた清のミスである。
「もし……もし……」
「渡海警察署です。阿倍野 清さんですね? 山村 別来君のことでお電話しました。お話を伺いたいのですが、今どちらですか?」
「あー、ここは……マリンホテルです……昼じゃあだめですか?」
「緊急です。すぐに署までお越しください。来られない場合は大変なことになります。」
そして電話は切れた。何と言われようと清には何もできない。素直に出頭し事情を説明するのみだ。しかしその前にシャワーを浴びるぐらい許されるだろう。
シャワーから出ても女の子は寝ていた。自分が大変な時に……寝かせておいてあげたいが、きっと面倒なことになる。だから連れて行く他ない。予定から遠く離れた慌ただしい朝となってしまった。もっと甘い昼下がりを過ごす予定だったのに。ロクに金も持っておらず職業も怪しい清がやっとお持ち帰りできた女の子だったのに……
ぶつぶつ文句を言う女の子を助手席に乗せ渡海警察署へ。文句を言いたいのは清もである。
「なんでアタシまでぇ〜? 眠いのにぃ〜」
「どうせ後で連絡が行くぞ。なら今済ませた方が早い。あー眠い。」
「何があったってのぉ〜? もぉ〜」
「それは分からんが、どうせつまらん用事だろうよ。人の苦労も知らんでよ。」
警察署に到着した2人を待っていたのは山村 別来の母、紅羽だった。
「あんた! うちの別来をどこにやったのよ! 500万円も要求しておいて払わなかったから誘拐したんでしょ! お巡りさん! こいつが犯人です! 早く捕まえて!」
「私と葉子ちゃんはみんなの命の恩人のはずですがね。一体何を聞いていたのですか? さて、お巡りさん。この人では話になりません。『鬼村さん案件』の話が通じる方を呼んでもらえますか?」
なおも母、紅羽はわめき散らしている。父親はどうしたのだろうか。
さて、この世界では日の本の国に限らず魑魅魍魎が存在することは知識としては知られている。しかしそれでも見たこと、接触したことがある者は稀であり、存在を信じる者はさらに少ない。基本的に邪魔口県のように魑魅魍魎が多く住まう土地はあちらが気を使って山奥に隠遁しているためトラブルになることは少ない。もっとも好きで山奥に住んでる面もあることだし、TPOを弁えて付き合う分には何の問題もないのだ。清が妖怪と戦いたくないと思うように、妖怪も強力な祓い屋などとは争いたくないのだ。ならばそれでも争いが起こってしまったらどうするのか? 怒れる妖怪達と戦争になったりしないのだろうか?
結論から言えばそうそう戦争になることはない。通常、よほど理不尽なことをしない限りは会話が通じる相手なのだ。清は昨日1日かけてお山のボスに会いに行ってきたのだ。そこで事情を説明し、犯人の目星についても伝えた。その結果、妖怪達がどんな行動に出るかは清には予測もできないし、関係ない話である。
もしも山村家が罪を認め謝罪すると言えば報酬と引き換えに別来をボスの所まで連れて行き、一緒に頭を下げて取りなしをしたことだろう。
しかしそうはならなかった、その結果がこれである。もはや清にはどうすることもできない。
「という訳なんです。通りがかっただけの私はとんだボランティアですよ。」
「分かった。どうせ昨夜のアリバイもバッチリなんだし目撃者もおらん。神隠しとして処理するしかあるまい。」
確かに清のアリバイはバッチリである。もしお持ち帰りに失敗していれば誰からも証言されず危なかったかも知れない。
この地に住まう大人なら魑魅魍魎の存在、そして恐ろしさを知っている。付き合いはなくとも小さい頃からお山のルールを聞かされて育っているのだから。
紅羽が東狂に次ぐ大都市、王逆の出身であったことも原因かも知れない。彼女は狂乱するが、もう別来は帰ってこない。生きているのかいないのか、人間のままなのかそうでなくなったのか。余人にはうかがい知ることはできない。
「結局何事だったのぉ〜?」
「さあな……どうやら神隠しらしい。人間が手を出せる領域じゃないよな。」
「ふ〜ん。お山の怒りに触れたの?」
「そんなところ。忠告はしたんだけどね、可哀想に。あの子はもう帰れなくなってしまったよ。」
この地方では頭も尻も軽い女ですら知っていることなのだ。それにしても死んだ、ではなく帰れなくなったとは一体?
『引き込み赤子』と呼ばれる妖怪がいる。夜の川縁を誰かが通りかかったら、ひぃ〜ん ひぃ〜んと泣く。無視して通り過ぎればよし、助けようとして手を差し伸べ、少しでも触れてしまうと……川に引きずり込まれる。そのまま溺れて死ぬのか? いや違う。
自分も『引き込み赤子』になるのだ。そうして未来永劫泣き続け、誰かを引きずり込み続けるのだ。泣きながら、ずっと。
これにて過去編は終わりです。
そのうち葉子がバイトとしてやって来る編もやると思います。