鬼村宅の攻防
突如風呂場に火が灯る。正確には火の玉だろうか。
「お前ら寒苦しなぁに何やっちょるんじゃあ? そねぇなこたぁ布団でやれやぁ? どっちみち邪魔じゃあ。さっさと出れやのぉ。」
鬼村が入ってきた。もちろん全裸だ。
「きゃあぁぁぁーー! はだ、裸ぁー!」
「すいませんね。私はもう少し暖まってから出ますよ。」
葉子はようやく正気に戻ったらしい。自分が裸で清に迫っていたことを自覚して急に恥ずかしくなったようだ。
「まあええわい。晩飯ぁおめぇが作れぇのぉ。」
「ええ。いいですよ。」
「せんせぇのバカー!」
戸を隔てて葉子の声が響く。清は無視している。
「おめぇ一月ちょいほど留守にしちょったらしいのぉ。どこへ行っちょったんなぁ?」
「ちょいと火星まで。内緒ですよ? 鬼村さんだから教えるんですから。」
「ほぉ、熒惑かぁ? よぉそねぇなとこまで行ったもんじゃのぉ。どひょーしもねぇ。」
「ちょっとした事故ですね。ほら、私が持ってる呪いのダイヤモンドのせいで。鬼村さんいりません?」
「馬鹿言うな! あねぇなもん誰が欲しがるかいや! なんぼ金剛石じゃけえって冗談じゃねぇどお!」
「ですよねー。じゃ、お先に失礼します。いいお湯でした。」
「おう。適当に何か作っとけのぉ。」
「はーい。」
清はてきぱきと体を拭き、鬼村家の台所を目指す。葉子はどこへ行ったのだろうか。
この家に冷蔵庫などはない。野菜は床下や倉庫のおが屑の中に仕舞われていたり、肉はどこかにぶら下げられていたりする。ロウソクの灯を頼りに、勝手知ったる鬼村の家とばかりにそこらから食材を集めては包丁で切る。いや、包丁と言うよりは短刀と言った雰囲気の刃物だ。かなりよく切れるのだろう。
そこまで手際がいいわけではないのだが、淡々と野菜を切っていく清。何を作ろうとしているのだろうか。そこに……後ろから忍び寄る影が……
「だーれだ!」
もちろん葉子の仕業だ。リア充カップルの定番のお遊びは22世紀になっても廃れていなかった。清の返事は……
「ん? シャロンか?」
「ち、違いまーす! 私は日本人だもん!」
「んー? 富士子?」
「ち、違うもん! せんせぇのバカ! アホ! イケメン! さあ! こんなこと言うのはだーれだ!?」
「どうでもいいが包丁で野菜を切ってる最中なんだけどな。俺の指がなくなるぞ?」
「ぎょええええー! せんせぇ! せんせぇの指がぁ! ほっ、無事でしたか。って、なんで目隠ししたまま野菜が切れるんですかぁ!?」
「そりゃあ心の目が開いているからさ。心眼検定二級を取ってるからな。」
もちろん嘘である。単に先ほどの風呂でわずかながら霊力が回復したために術を使っているだけに過ぎない。
「へぇーふぅーんほぉー。さすがせんせぇ! あっ! さっきはよくも私の無垢な体を隅から隅までずずずいと見てくださいましたね!? ありがとうございます。結納はいつにしますか?」
「君、強姦罪って知ってるかい?」
「もちろん知ってますよ! 意に沿わぬ性行為を強要する許し難い罪ですよね! そんなことする奴は女の敵ですよね!」
「さっき自分がしたことを思い出してみな? 俺はあの時何と言ってたかな?」
「えーっとぉ……『や、やめろ……君はまだ中学生なんだ……あと三ヶ月もすれば受験だろう……』でしたっけ?」
「そう。それ以外にもあったと思うが。俺は抵抗したよな? 非力な身で精一杯。それを君は、嫌がる俺を無理矢理……天井のシミを数えてれば終わるとも言ったな……」
「え、せ、せんせぇ? わ、私、もしかして……」
「そうだ。強姦罪に問われかねない。お母さんが悲しむだろうな。」
「そ、そんな……私はただ、せんせぇと愛欲の世界に旅立ちたかっただけなのに……そして目眩く将来のきっかけにって……」
「残念だが罪は罪だ。大丈夫。罪を償ってきれいな体になって娑婆に出てくるといい。」
「そ、そんなぁ……私、刑務所に行くんですかぁ!? 網走ですかぁ!?」
「いいや府中かな。しかし今日は君のおかげで命拾いしたのも確かだ。仕方ない。涙を堪えて黙っておいてあげよう。これから気をつけるんだよ?」
「はい! せんせぇありがとうございます! これからはもっとタイミングを図って行きたいと思います!」
もしあの時、鬼村が現れなければ……抵抗する力のない清は葉子によって凌辱されていたかも知れない。そしてさらにもし、コトが露見したならば……罰を受けるのは間違いなく清だろう。成人男性である清が女子中学生に襲われて抵抗できなかったなどと誰が信じるものか。世の中の不条理を呪いながらも釜戸の大鍋で料理を続けるのだった。
「さて、そろそろ出来るぞ。腹具合はどうだい?」
そんな会話の間で料理を完成させた清。なかなか芸達者な男である。
「ペコペコです! これは……鍋ですか?」
「ああ、ボタン鍋さ。さあ早く食べようぜ。」
「ボタンですか?」
不思議そうな顔をした葉子を無視して清は食べ始めた。
「え? 鬼村さんを待たなくていいんですか?」
「待ちたければ待ってもいいよ。俺は待たないけど。」
「あ! 私も! 食べます食べます! あぁっ熱っ美味しいっ!」
清は得意げな顔をしている。しかし箸は止めない。
「せんせぇ何を慌ててるんですか? こんなに大きい鍋なのに。」
その鍋は相撲取りが十人がかりで食べるに相応しいほど大きかった。しかし清は急いでいる。そこに……
「おう、ボタン鍋かぁ。旨そうじゃのぉ。どーれ。」
風呂から上がった鬼村が鍋に手を伸ばす。
「あ、鬼村さん。これどうですか? 風呂上がりにぐいっと一杯。」
その手を制するかのように清から一本の酒が手渡される。
「ほお? よぉ冷えちょるのぉ。貰っちょくでぇ。」
酒の名は『必殺鬼惨東風羅極楽昇天酒』いわゆる御神酒である。清が常備しているワンカップ除霊アイテムなのだが……鬼村に効くはずがない。彼にとってはただの強い酒と変わりなく、一気に飲まれてしまった。
「ふぅぅ。ピリッと辛いのぉ。こいつぁええわい。もうねぇんかぁ?」
「ないんですよー。また今度持ってきますね。」
そう言って清は箸を置く。満腹になったのだろうか。そこに鬼村が手を伸ばす。
熱々の鍋を直接掴み、丸ごと抱え上げたかと思ったら、そのまま全部口の中に流し込んでしまった。
「ふぅぅ。まあまあの味付けじゃあ。まあうちんかたの野菜はうめぇからのぉ。よし、ちょっと待っちょれ。ええ酒出しちゃらぁ。」
そう言って鬼村は居間から出ていった。
「ちょっとぉーせんせぇ! 私あんまり食べてませんよぉ!」
「残念だったね。だから早く食べようって言ったのに。それより先に寝ておいた方がいい。鬼村さんが酔うと面倒だから。」
「あー、ですよねー。じゃあお腹空いたの我慢して寝ますけどー! 後で私の布団に来てくれてもいいんですよ? 暖めておきますから!」
「はいはい。おやすみ。」
「もー! せんせぇのバカぁ!」
葉子がいなくなった居間で、清の孤独な戦いが始まろうとしている。
『寒苦しなぁ』
→暑苦しいの逆+〜〜だろう
『暑苦しなぁに』
→暑苦しいだろうに
『よぉそねぇなとこまで』
→よくそんな所まで
『どひょーしもねぇ』
→とんでもない
『あねぇなもん誰が欲しがるかいや』
→あのような物、誰が欲しがるものですか
『うちんかた』
→自分んち