魔女と清とボビー・タイラー
清が祝詞を奏上すること30分。結界の輪郭は輝き始め、二体の悪霊は動きを弱めている。
『汝穢れたる悪霊どもよ。在るべき処に還るがよい』
『天魔覆滅不浄調伏悪霊退散』
一瞬の煌めきを残し、結界は消滅した……
「阿倍野よ。見事だった。夕食には早いが一席どうだ? 魔女殿もぜひ。」
「ありがとうございます。ぜひ呼ばれましょう。しかし、まだです。」
清の目の前には呪われたダイヤモンド『希望のアダマス』が転がっている。誰も知らぬ間に、ここまで近づいていたらしい。
真剣な眼差しでダイヤモンドを見つめる清。ゆっくりと手を伸ばし素手で掴む。
「お、おい阿倍野……」
「黙って見てろ。清なら大丈夫だ。」
希望のアダマスをその手に掴み、清は何やら集中している。
そして5分後。
「ふぅ……残念ながらこれの持ち主は未だに私のようです……」
「お前も苦労が絶えんなぁ。ほら行くぞ! タイラーが酒を飲ませてくれるんだ。ほらほらほら。」
「結構苦労してるんですよ……? さてタイラーさん、このダイヤはどうすればいいですか? 飲みたいのは山々ですが……」
「ふむ、君さえ良ければこのまま子種ヶ島まで飛びたいところだが……」
「だめだ! 今から飲むんだ! 子種ヶ島なんて明日にしろ!」
「すいませんタイラーさん、魔女さんもこう言ってますので……ひとまず今夜は飲みってことで……」
「仕方あるまい。では阿倍野よ。希望のアダマスをしっかりと抱えておいてくれ。」
「ええ、どうせ離れやしないでしょうがね……」
時刻は午後4時過ぎ。一行は昼食も食べずに仕事を終えたということだ。
「タイラー、酒だ。酒が旨い店に連れていけ!」
「ああ、手配済みだ。グレンリベットのウィンチェスターコレクションも用意してある。」
「ほ、ほほう。そ、それなら誘いを断るのもわ、悪いな。よ、よし! 行くぞ清!」
「アンタなんてモンを頼んでんですか! 私だって飲みますよ!」
「阿倍野よ、別に頼まれたわけではない。魔女殿の好みはリサーチ済みなだけだ。もちろん孔雀丸も用意してある。」
タイラー一族はおもてなしの心を大事にする一族なのだ。
ヘリで直接ビルに乗り付けた一行はそのまま店へと繰り出す。普段は孤島で暮らしている魔女レアリーは意外なほどはしゃいでいる。
「ちょっと魔女さん、騒ぎすぎですよ! もう少し静かに飲みましょうよ!」
「今夜は貸し切りにしてある。好きなだけ騒いで構わん。」
「い、いいのか!? カラオケやるぞ!? 歌うぞ!?」
「いいとも。生バンドも用意してある。好きなだけ歌ってくれ。」
「ふぐ刺しだって食べるぞ!」
「手配してある。唐揚げだってその場で揚げられる。ヒレ酒も飲むといい。」
ボビー・タイラーと興奮を隠せない魔女を横目に清は美人秘書に近づいていた。
「昼食を食べる暇もなかったようで、お疲れでしたね。」
「いえ、阿倍野さんこそ。鬼気迫る除霊、お疲れ様でした。一寸の気の緩みも許されないって、きっとあのようなことなんでしょうね。」
「ただの残存思念とは思えない強力な悪霊でしたからね。まったく罪なダイヤですよ。」
「そんなダイヤを飼い慣らしていらっしゃる阿倍野さんってすごいですわ。」
「いえ、勝手に好かれているだけです。悪霊のストーカーみたいなものですかね。ところで常盤さんはそろそろ定時ではないですか? 残業なんて似合いませんよ。」
「ええ、本日の仕事は17時までです。そこからはプライベートで阿倍野さんのお側に居たいと思います。」
「常盤さん……」
「ほらほら清! 飲むぞ! 乾杯するぞ!」
「いいところだったんですから邪魔しないでくださいよ! 乾杯。」
「ふん! ピンクのドンペリ飲ませてやらんぞ! 乾杯!」
年上に見積もっても女子高生ぐらいにしか見えない魔女レアリー。今となっては百年以上も昔の名酒ロマネ・コンティを空け、そのままドンペリ レゼルヴ・ドゥ・ラベイをも空けてしまった。
「魔女さんあんたタイラーさんの奢りだと思って容赦ないな!」
「お前も飲め! 飲みたいんだろ? ほれほれ!」
「飲むに決まってるでしょう! タイラーさんいただきます!」
「うむ。気に入ってくれたようで何よりだ。おっと、ふぐ刺しが届いたぞ。」
ヒコットランドは日本一ではないにせよ河豚の水揚げ量が多い地域だ。その中でも天然のトラフグ、その中でも選りすぐられた個体から用意されたふぐ刺しだ。この上なく贅沢と言っていいだろう。
小さな口を広げて豪快にふぐ刺しを頬張る魔女レアリー。片や味わうように一枚ずつネギに巻いて食べる清。
「唐揚げだ。熱いうちに食べてくれ。」
「ふへへ、あっふい! うはい!」
口の中にふぐ刺しが残っているのに無理に唐揚げを食べる魔女。
「おかわりをどうぞ。このぐらいの濃さでいかがでしょうか?」
清の側で水割りを作る常盤 静。高級ウイスキーに美人秘書、そして美食。清は疲れも忘れて堪能している。
「ありがとうございます。まさか常盤さん手ずからお作りいただけるとは。私は贅沢者です。」
「いえ、私なんて。それより阿倍野さんの話が聞きたいですわ。例えば仕事の流儀とか。」
「こいつの仕事はなー! 安全第一で面白くもなんともないぞー! あの程度の相手にわざわざ結界なんか張るぐらいだからなー!」
魔女はもう酔っているらしい。
「当たり前じゃないですか! まだ死にたくありませんよ! あんたと一緒にしないで下さいよ!」
「なにおー!? まだ毛も生えてないガキの頃にうちに来て泣いて逃げた話をするぞー!」
「おや? それはおかしいですね? あの時、確か魔女さんちの風呂には一人で入ったはずですが? なぜそんなことを知ってるんですか?」
「なっ! ち、違う! 違うぞ! 別に覗いたわけじゃないぞ! ちょっと唐沢から清の素質を見てやってくれって言われただけだからな!」
「それは聞いてますよ。その節はありがとうございました。で、なぜ知ってるんですか? 確か当時の私は小学4年でしたね。」
「し、知らん! 知らん知らん! 飲め! もっと飲め! 秘書! 貴様も飲め! けしからん乳をしおって!」
途中でボビー・タイラーが消え、秘書の常盤もいなくなった。それでも魔女は上機嫌で清を離さなかった。夜はこれからだ。




