1.エリザベート
私・エリザベートがその少年を見たとき、ふと思い出した。
いつぞやか家庭教師が話してくれた物語。王が出した難題。その答えは王が自ら出したものではなく、賢女によってしったという。
家庭教師はちょっとした休憩の雑談だったのかもしれない。けれど私は目の覚める思いだった。
初めて少年・ウェイバーと会ったのは10歳の頃だった。両親がなくなり、祖父母に育てられていたが、彼らもはやり病でなくなったらしい。同じぐらいの年齢のはずなのに、彼の目は絞首刑にされる罪人のようだった。何が彼をそこまで追い詰めたのかは知らないけれど、物語を思い出した私は決めた。
「お父様。ウェイバーを私の付き人にしてください。私と同じ年ぐらいなのに、この世のすべを見た的な目が気に入りません。人生舐め切っていますわ。一から躾け直します」
私の言葉に父以外の者たちは見事に固まった。
父の好きな言葉は「人間賛歌」。人は愚かであるからこそ愛しい。一人ひとりに物語があり、どれもが素晴らしいものであると言う。
そんな父の血を濃く引いた私は、人好きで好奇心の塊であった。興味さえあれば書庫をあさり、実践した。成功することもあれば、失敗することもある。だが、楽しくて仕方なかった。そのようなことを繰り返しているから、友達は少ないが、私は幸せだと思っている。
母は名門貴族の出であるから、変わり者の娘と使用人にも気を配る父を嫌っていたし、そんな母に似た弟も私を無視した。
あまりにも露骨に態度で出すため、家族がそろった夕食の席で父に「貴族のプライドでどれ程お腹が膨れるのか」と質問したところ、父は大爆笑し、母と弟は大激怒。それ以来、家族で食事を取ることはなくなった。あえて言おう、解せぬ。
国が災害に見舞われた際、趣味で育てていた、やせ細った土地でも育つ食料の苗を父経由で提出したところ、国王陛下にとても感謝され、なぜが第一王子・アーサーとの婚約をさせられたが、どうでもよかった。王子に会ったのは一度きり、正直、笑顔を貼り付けて自動で動くマネキンみたいな少年だった。
父と国王陛下に正直に「マネキンみたいでつまんないから、お断りします」と告げたところ、王と父は「あぁ、やっぱりね」みたいな顔をしていたが王子自身は驚いていた。そして結局、婚約は破棄にならなかった。解せぬ。
ウェイバーは人生の楽しさを知らない。世界は広く、知識はいくら吸収してもたりない。それはとってももったいないことだ。もしも弟の元につけば、彼の人生は従属という人権さえないもので終わるだろう。
私は賢女にはなれない。答えを教えてあることも、彼の瞳に光を宿すこともできないだろう。けれど、彼が自身で気づいて掴み取るチャンスを与えることならできる。
どうか気づいてほしい。今こうしてここに居られるのは、かつて我が家で働いていた君の両親や祖父母が君の行き先を心配して、不敬を承知で父に何度も手紙を送り、今に至ったことを。
父は察したのだろう。笑顔でウェイバーを私の付き人にすることを了承した。
「覚悟しなさい。ウェイバー。私の付き人になったからには、容赦しなくてよ!」
その時の彼の顔は実にお間抜けで笑いが止まらなかった。
――王立学園。11歳から通うことのできる実力主義を第一とし、第二に家柄がくる国営の学園である。
身分によってクラスや学ぶ場所は違うものの、入学試験を合格できたものだけが通うことのできるエリート校。といってもエリザベートはさっさと飛び級してすでに卒業。
今回、学園に居るのは同じ年の王子がわがままを言ったからである。実に迷惑である。
さて、そんなエリザベートは今、立派な青年へと成長しつつあるウェイバーに説教をさせていた。
学園の花々が咲き乱れる場所は、お茶をする場所として人気が高いが今は2人しかいない。
「お嬢様。懺悔するなら今のうちです。何しでかしやがりました」
「構え構えと殿下あんまりにもうるさいから野球に誘ったの。そしたら白球が殿下の玉に当たって、殿下の魂がホームラン。御つきの者が急いで医務室に運んだわ。これでしばらくは静かになるわね」
紅茶を優雅に飲みながら、とんでもない発言をかますお嬢様に、ウェイバーは一瞬とはいえ意識を失いかけた。そして回復とともに作法を忘れて怒鳴る。
「なんてことすんだよ、お前っ。もしも世継ぎができなくなったらどーすんだ。てか、一応、女なんだから玉とか言うな」
「大丈夫よ。長男がだめなら次男が居るわ」
「やめてくんない。国の後継者問題なんだよ。その辺の雑貨屋の跡取りの話じゃないんだけど。マジでやめてくんない」
ウェイバーは普通の生徒ではなく、エリザベートのお付として学園に居るため、基本的にエリザベートのそばに居るが、必要とあらば授業に出ているようにしている。今回の事件は彼の不在で起こった不幸であった。
「この間はサッカー、その前は護身術の授業………」
サッカーでは偶然にも股間にご令嬢の全力ボールがぶつかり気絶。護身術の授業ではバッグドロップで瞬殺された。それでも次の日には元気な姿を見せる王子はある意味人間を卒業している気がする。
本人にそれとなく確認したところ、婚約してから幾度となく生死の境をさ迷った結果、耐久性と回復力は国内随一になったらしい。
普通なら婚約破棄どころか不敬罪で死罪。お家取り潰し。などなど悲惨な結果になるのだが、エリザベートの一族代々は国王の懐刀として国に貢献してきた。彼女自身も結果を出しているため、また王子が気にしていない上、逞しくなっていく為、そういった薄暗い話はまったくない。
王子はなんで婚約破棄をしないのだろう。ウェイバーは疑問で仕方なかった。
お嬢様は天才だ。しかし政治に興味はなく、自分の好奇心を満たすだけの愉快犯。こんなのが王妃になったら国が終わる。旦那様もさすがにまずいと思ったのか、それとなく婚約破棄に持ち込もうとするが、王子が梃子でも譲らない。かつて婚約賛成派だった王でさえ今は反対派だ。
「お嬢様は、殿下がお嫌いですか?」
なんとなくぽろりとこぼれてしまった言葉だった。
エリザベートは、誰もが見惚れてしまうであろう聖女のような微笑で答えた。
「どうでもいい」
ある意味、一番最低な答えだった。
一方、医務室に運ばれたアーサーは、かろうじて現世に戻ってくることができた。
御つきの騎士・ジークが気分などを聞くが本人はけろりとしている。それどころか時間を聞いてきた。
騎士が昼食前であると知ると、白い頬をばら色に染めて嬉しそうに話し出す。
「エリザベートはどこだ。できるなら、共に昼食を取りたい。最近は執務があり共にできなかったし、それ以外では情けないことに私が寝込んでしまったからな。彼女に予定を聞いてきてくれ」
執務はともかく、寝込んだ原因はその彼女であるが、王子は気にせずに昼食のメニューはできる限り、彼女の好きなものにしたいと言い出している。
ジークはこめかみを揉んでしまった。
散々な目に会いながらも、王子はあの凶悪なご令嬢にべた惚れだ。他にもふさわしいご令嬢が居るにもかかわらず、「エリザベートじゃない」の一言で終わらす。どんな扱いを受けようともものともせず、ただ必死にご令嬢のそばに居ようとするのだ。
「殿下。無礼を承知の上でお聞きします」
「うむ。許す」
「なぜ、エリザベート様なのですか。今では陛下も貴方様とかのご令嬢の婚約に難色を示しています」
「なんだそんなことか。父上が難色を示すのは、彼女では長きに渡る王家の風習を一撃粉砕すること間違いなしだからだ。私が彼女と一緒に居たいのは、彼女だけが最初で最後の人だからだ」
ジークは戸惑った。前者については大いに賛同できるが、後者についてはわからなかった。
「母上に言われた。お前は容姿がいいから微笑んでいれば、大抵の娘がお前の言いなりになる。お前は第一王子だから、何も言わなくても周りがお前を慈しみ愛し賞賛する。だから何の苦労もすることはない。お前は時期国王になるのだから、てな。悲しい事に母上の言った言葉は正しかったよ。――あの日までは」
王子は愛らしい少女を思い出した。白いドレスに身を包みキラキラした瞳で周りをみて、自分よりも王室の温室に興味をもって走っていってしまった。どうしたらそうなるのかと疑問に思うくらい泥んこになって、自分がマネキンみたいでつまんないと言い切った。
彼女は生命力に溢れていた。泥んこの彼女がまぶしくて、笑った顔が可愛くて仕方なかった。どうすれば自分に笑いかけてくれるのか。どうすれば興味をもってもらえるのか。散々悩んで、父上に相談した。
一旦話すのをやめた王子に騎士は続きを促した。まさか王妃がそのような教育をしていたとは露とも知らず、王子の心の変化が起こったことに国民としても歓喜した。原因はともかく。
「父上は、まず母上から離れろとおっしゃた。マザコンは嫁に嫌われる」
なんて助言してんだ陛下。騎士は心の中でつっこまずには居られなかった。
「次に王子としての教育をしっかり受け、人を見極める目を持てといわれた。あのとおりエリザベートは天才だ。凡人の私では足元にも及ばぬ。彼女は国の法律も一般常識も頭に入っていて、自分の都合が言いように使う。父上いわく、抜け道、抜け穴を見つけ、やりたい放題だ。一人では対処できない。信頼できる部下を持てとおっしゃられた」
「御自覚があったんですね」
「あたりまえだ。将来の妻のことは知っていて当然だろう。――彼女の素晴らしい所は、知的好奇心を満たすため無茶をするが、決して人を貶めることをしないところだ。宝石もドレスも彼女の心を動かさなかった。それどころか、「血税で何していらっしゃるの」と腐った生ごみを見る目で見られてしまったよ」
「不敬罪ですよ其れ」
薔薇色に染まった頬に手を夢見るように語る王子。それを見る騎士。温度差が激しかった。
「さぁ、はやくエリザベートの所へ使いをだしてくれ」
「御意」
ジークは騎士の手本のように頭をたれた。
お嬢様いわく、護身術は淑女の嗜み。