父の想い。母の心。
大変遅くなりました。
前回の続きです。
☆彡魔王城ーー最上階。
そこに、魔界一厳重な魔法が掛けられた部屋が存在する。
魔王族や従士でも限られた者のみだけが、展望室から先の階段を登る事が許されており、侵入者が一歩でも階段に足を踏み入れれば、たちまち身体中が炎で燃え上がり灰となって焼き尽くされてしまう。
本来であれば、この部屋の主は男性である事が条件とされているが、現在この部屋の主は、新たな魔王が誕生するまでの間その代役を勤める一人の女性。 悩ましげな美脚をソファーから投げ出し、豊満な肉体を背もたれに預けている姿は、まるで女神。上質の絹の様な銀髪と妖艶な美しさは、彼女の長男フェルキスに、そのまま受け継がれていた。
不用意に、その部屋のドアが静かに叩かれる。
ソファーで寛いでいた魔王代理のミリアは、扇を持つ手を止める事無く、訪問者の入室を許した。
するとーー。開いた扉の隙間からひょっこり覗かせた息子の顔を見て、彼女は、思わず顔を綻ばせた。
「ロージック!!」
「戻りました。母上」
両手を広げ、大きな胸の中に息子の身体を抱き寄せる。
「随分早かったではないか!」
「ちょっと……ゴタゴタあって。急遽、移動魔術を使って帰って来たんだ。お陰で限界まで魔力を消耗したけど」
「瞬間移動か?! あれは膨大な魔力を必要とするからのう。余り使い過ぎると命取りになるぞ」
実年齢に似つかわしくない可愛らしい顔立ちを心配そうに覗き込み、今後無茶な行為をしないよう、息子を諭した。
「自分でも驚いた。高度な魔術を、俺なんかが無意識に使いこなせるなんて」
そんな母の心配を他所に、表情一つ変えず冷静な声で答えるロージック。
(ーーーー……)
ミリアは、気付いていた。
先代の魔王であり、彼の父でもあったハンドックが亡くなった頃から、自分たち家族に対し、ロージックが心を閉ざすようになった事をーー。
以前のロージックは、明るく朗らかな性格で、ミリアの前でも良く笑っていた。「落ち零れ」だの「劣等生」だのと周囲から馬鹿にされても、暗い顔など見せず、持ち前の努力と根性で頑張っていた事も知っていた。
だが今は、兄弟たちとも一線を引き、見せる表情も乏しくなった。
彼の中で、一体どんな心境の変化があったと言うのか知る由もないが、どんなにロージックの内面が変わったとしても、愛する息子と言う事に変わりはない。
夫がそうであったように、今は唯、この子を信じよう。ーー彼女は、そう思っていた。
「ほんに、御主は、兄弟の中でも一番に魔力が弱いからのう。わらわが御主にも沢山の魔力を持たせて産んであげれば良かったものを……。それが出来なんだ事が、わらわは、御主に申し訳のうて申し訳のうて、時折、この胸が痛むぞ」
許しを求めていた訳では無かったが、ミリアは、生まれ持った魔力が少ないが故に、幼い頃から苦しんできた我が子へ贖罪の意を述べた。
「そんなに自分を責めないで。こんな美女から産まれただけでも、俺は喜ばしいと思っているから」
「?!」
無感情ながらもロージックから紡がれたその言葉は、今の彼が出来る、母である自分への精一杯の愛情に満ちた言葉だった。
「フォーッほっほっほっ!! ほんに、ロージックは、兄弟でも一番優しい子じゃわ! そうじゃな……。魔力が少ない分、御主には、別の強さが備わっておるのかもしれん」
「別の強さ??」
「そうじゃ♪」
ミリアは、手の中の扇をハタッ! ーーと閉じると、幼い子をあやすように、扇の先でロージックの鼻を軽く小突いた。
「人に対する優しさは、絶対的な強さの中から生まれるものじゃからのう! 今は辛い状況かもしれんが、この試練が成功すれば、きっと御主は立ち直れる。以前のように素直で明るいロージック ジェファーソンが帰って来る! わらわは、それを信じておるぞよ」
そう言うと、ミリアは、ロージックの顔を見つめた。
彼は、今、逆境と孤独の渦中に居る。
唯でさえ押し潰されそうな慢心相違の中、王位継承権を掛けた試練に、たった独りで挑んでいるのだ。精神が張り詰め、口調や態度が冷淡になるのも無理は無いのかも知れない。
「ーーで、例の人間の女子はどうしたのじゃ? 無事に連れて来られたのか?」
女子とは、勿論、ティファニーの事だ。
「うん。取り敢えずは、明日から侍女として働いて貰うつもりだよ」
「そうか……。それで、計画は上手くいきそうか?」
ミリアは、息子に一番気がかりな事を尋ねた。
息子は、無事に王位継承出来るのか。それとも彼を失う事になるのか。母としても、彼女自身、人生の一大岐路に立たされていた。
しかし。ロージックが考える本当の計画を、彼女もまだ知らない。
ロージックがティファニーをてに入れ、彼等が幸せに包まれる姿を目の当たりにすれば、ライムは、ティファニーに対する気持ちに何らかの決着を付け、自ら、【運命の恋人】の元へ戻って行くだろう。
ーーそれが、ミリアの中でのロージックの計画だった。
「さあ、どうかな? 彼女の心には、既に忘れられない男が居るみたいだから……」
ロージックは、遠い目をして答える。
「でも、昔から父上が良く言ってくれてただろう? 俺が、落ち込んだ時や失敗した時に、『大丈夫。お前なら出来るさ』って。俺は、今でもその言葉を想い出すと、どんな困難な状況でも力が湧いてくる気がするんだ。やれるだけやってみるよ」
そう答えたロージックを見て、ミリアの心に感慨深いものが湧いてきた。
『きっと大丈夫さ。今は、お前を信じて待つよ……』
父ハンドックが生きていたら、今のロージックに対し、きっと、そう言葉を投げ掛けた事だろう。
「ーーティファニー ポジットか……。果たして、一体どんな女子なんじゃろうか?」
「……」
「勿論。お主は、誰が見ても正真正銘の美男子で、おまけに、この魔界の王子ときている。しかしじゃな。母親であるわらわがティファニー ポジットに望んでいるのは、唯、お主と結ばれるだけの上面の関係じゃない。彼女が、心の眼でお主を見つめ、けして眼には見えて来ないお主を感じ、全てを受け入れる。そんな優しさと温もりを持っている人間かどうか。そこが重要なのじゃ」
母の真剣な声音は、ロージックにどう響いたのかは不明だが、彼は、ポケットに両手を突込みながら、飄々とした面持ちでポツリと答えた。
「可愛いよ」
「ーー?」
簡潔過ぎる答えに、ミリアは、思わず瞳を丸くする。
「大丈夫。これ以上無いって程、可愛い子だった。純粋で、素直で……。もしかしたら、本気になっちゃうかも知れないって、一瞬思ったくらいに…………」
「ーーそ、そうか……。なら、良かった。わらわは、何も申し分ない」
「もう行くよ」
「ああ。頑張るんじゃぞ」
ーーそう言いながら、息子を見送ろうとした、その時だった。
ミリアは、けして見逃さなかった。
ロージックが、扉の方に身体を反転させた瞬間、彼の口元が僅かに歪んだのをーー。
それは、悪意さえ感じる微笑み。
今まで見た事の無い、息子の表情に、一瞬、背筋が竦むのを感じた。
ーーだが。その僅か数秒後。更に思ってもいない事態が発生する。
魔王室の扉の前に辿り付いたロージックの身体が、足元からなし崩しに床の上に倒れ込んだのだ。
慌ててロージックに駆け寄ったミリアは、彼の身体に触れ、驚愕する。
ロージックは、高熱にさらされていたのだ。
それから数日もの間、ロージックは、ティファニーと接触する事はおろか、病床に伏せる事となってしまったのである。