男なら世界に色は求めないⅠ
地上に存在する、もう一つの世界ーー。
長い歴史の中、人間界に存在する地図上では、既に亡きものとされた場所。
ーーだが。
『そこ』ーーは、確かに存在していた。
エルゼアル国の王都から遠く遠く離れた最果ての地ーー樹海の森を奥深くまで突き進み、長い洞窟を抜けると、広大な湖が広がっている。その中心には、一つの王国と化した島が、まるで想像上の空中都市が本当に実在しているかの如く圧倒的な異彩を放っている。
朝昼でも殆ど光の差す事の無いその世界には、巨大な怪物が湖畔を呑み込んでいるかのような造形の魔王城が君臨し、無駄に空高く突き出した幾つもの屋根が、見るものの恐怖心を掻き立てていた。
魔界一高層的な造りをした魔王城ーーその中でも、特に見晴らしの良い半円状のテラスに、城下町の景色を見渡す小さな人影があった。
金髪のクセ毛の少年。美形な顔立ちで、高貴な服を首元まできっちりと着用し、密かに野心を抱えていそうな鋭い眼差しを放っている。歳は十歳程に見えるが、年齢には似つかわしくない落ち着いた口調で、自分の背後に居る存在に向けて呟いた。
「兄さんがティファニー ポジットを迎えに行ったらしいよ?ーーまあ、彼女を上手く魔界に連れて来られたとしてもだよ? 人間の女をものにしようなんて、一体どんな手を使うんだろうね?」
「ーーーーーーロージック様の事ですから、王位継承権を得るためなら手段を選ばないでしょう。トッピー様が望むなら、何としてもこの俺が阻止してみせますよ?」
答えたのは、黒い騎士の服を派手な装飾とデザインでアレンジした奇抜な男。別空間から抜け出して来たような異質な不陰気を身に纏っており、美形な顔立ちをワザと隠すかの如く、黒髪の下に覗く青葉色の瞳を黒いアイラインで囲っている。繁華街でもひと際目立ちそうなこの外見で、どうやって気配を消しているのだろうか。男はこのように何時でも神出鬼没だった。
「ぼっ、僕は別にそんな事っ……うッ?!?」
彼の言葉を否定しようと反射的に振り返ったトッピーだったが、男の顔を見るなり、驚いて息を呑み込んだ。何と彼の左眼の下には、昨日まで無かった筈の、青い星型が刻まれていたのだ。
「なっ……ナニそれ?? タッ、タトゥー?!」
「ええ。昨晩、彫って来ました」――と、平然と答える黒騎士。
「そ、そうなんだ……。よ、良く似合ってるよ」
トッピーは、口ではタトゥーを褒めつつも、内心では男を気に病んでいた。
ーーまた顔を変えたのか……。
ーーどんどん激しさを増していくけど、痛く無かったのかな……。
小さな主人は、目の前の男を気遣い、やんわりと諭す。
「あ、あのさ。別に髪を染めたり化粧をしたりするのは構わないよ? でも……親から貰った大事な身体を傷物にするのは、ちょっとどうかなって思うんだけど……。だってライムは、僕らとは違って人間の肉体なんだし……」
トッピーの担当執事兼、魔王城騎士ライム。
数年前。彼は、突然魔界にやって来て、騎士として働き始めた。元は人間だったと聴いてはいるものの、細かい詳細は不明のまま。こちらの世界に来た当初の彼は、金髪に継ぎ接ぎだらけの肉体を持った、かなりの美少年であったが、日々が立つごとに髪を黒く染めたり、目の周りに黒い化粧を施したりと、次々に人相を変えていった。
そんなライムとゆう元人間が、顔を変えたくなるほど複雑な事情を抱えているのだと、トッピーは、子供ながらに勘付いてはいたのだが、彼のプライベートにそこまで踏み込むのは、いくら主人でもナンセンスだと考えていた。ライムは、凄腕の剣使いでマイペースな性格だが、その他の仕事も真面目にこなす。それに彼は、兄達には無い何処か影のある魅力があってトッピーは、ライムの事をかなり気に入っていた。
「ハハハハ。いやァ、実はですね……」
黒く縁取られた不気味な眼元を、一層気味悪く細め、黒騎士は、タトゥーを入れる事になった経緯を自ら語り始めた。
「最近巷で仲良くなった彫り師の女が居たんですけどーー。昨晩、彼女に『今から家に来て』とかなりしつこく誘惑されましてね。仕方なく付いて行ったんです」
ーー絶対に、仕方なくじゃ無いんだろーな……。
「それで自宅に着くなり、彼女が『彫るのと彫られるのと、どっちが好きか?』って、これまた何度もしつこく聴いてくるんですよ。ーーで俺は、『彫り師はお前だから、当然俺は、彫られる方にならざるを得ない』って答えたんです。そしたらその女……いや、女だと思っていた野郎が、本当に野郎だったもんで、無理矢理後ろから交い絞めにされて……。それから服を強引に引き剥がされて……」
「ーーッ?!?!」
そこまで聴いた瞬間、トッピーの背筋を虫唾が駆け上った。
そんな主人の様子に、まだ子供には早過ぎる話だったと、ライムはその先の話を自重する。
「コホンッ!ーーで、代わりにこっちの彫る方で話を付けて貰いました」
「……そ、そうなんだ。子供の僕には良く分からないけど、大変だったみたいだね。アハハハ……」
頬に刻まれたタトゥーが余計に痛々しく思えたので、せめて笑い話にしようしたものの、出て来た笑い声は思った以上に乾き切っていた。
暫し沈黙を続けた後。小さな主人は、今最も気になる疑問を信頼してやまない騎士に尋ねてみる。
「ロージック兄さんは、本当に人間の女をものに出来るかな? 王子と侍女はおろか、まして魔族と人間なんてさ、普通なら有り得ない組み合わせだよ」
「ーーーー……。ーーどうでしょうか? 俺は、身分の壁など、本来あって無いものだと考えています。女心は何とやら……と言いますし。ロージック様は、一見童顔ですが、美形な上に情に厚いお方でおられますので、同性の俺から見てもかなりおモテになると思いますよ? 頼り甲斐の無い所さえ隠し通せれば、意外にもあっさり落せたりするかもしれません」
トッピーは、視線を遠方に向けたまま口を開く。
「ティファニー ポジットが求婚を受け入れれば、兄さんは王位継承権を獲得し、魔王の座を手に入れられるーーーー」
「ーーーー……。」
「兄さんの事は好きだよ。ーーでも。父上が死んでからロージック兄さんは変わった。幾ら落ち零れでも、前は僕たちにも優しくて、家族の輪を乱す事なんて無かったのに、今じゃあ王位継承に目が眩んだ馬鹿兄貴さ」
「はい。完全に孤立していらっしゃいます」
「左眼を差し出して、三年間、特別に試練の猶予を得たロージック兄さんが、例えティファニーと結婚して王位継承出来たとしても、僕は、魔界の行く末が心配だよ。はぁ~あ……。幾ら生まれた順番が遅いからって、指を咥えて見てるだけだなんて、残酷だと思わない? ティファニー ポジットが、兄さんみたいな男が好みのタイプじゃなきゃ良いのに……」
「ーーーー。」
無言で考え込んだ様子のトッピーにチラリと眼をやると、ライムは、飄々とした面持ちで言葉を紡ぎ出す。
「トッピー様の方が、明らかに優秀でおられるのに、生まれた順番が遅かったというだけで残念なものですーーが、あなたにチャンスが無い訳でも無い。試練の期間中に、【願い事の主】が何らかの理由で命を落としてしまえば、試練は即刻中止。死刑は間逃れる。ーーしかし。万が一試練に失敗した場合、ロージック様は……無残にも『これ』です」
『これ』の部分で、ライムは、首を切るジェスチャーをして見せた。
「……分かってる」
トッピーは、けして、兄の死を望んでいる訳では無いーーーー。
険しい表情のまま答えた主人の複雑な胸中を、ライムは、手に取るように察していた。
一見、表情も思考も読めない男だが、自分を慕ってくれている相手の心が清く純真であればある程、相手の事を理解し、大切にしたいと思うーーそうゆう男だった。
「俺は、トッピー様の黒騎士です。あなたの命令一つで如何なる仕事もやってのけます。例えば、その相手が貴方の兄上だったとしても……」
そう言いながら、腰の長剣にそっと手を伸ばし掛けた時ーーーー、
「ーーーーーーーーアッハッハッハッ!!」
「?!!」
ーーーー突如一転、ライムは、爆笑を吹き出した。
彼の無礼とも言える態度に、トッピーは、自分がからかわれていた事に漸く気が付く。
「こっ、こいつ!!」
自分を辱めた騎士に殴りかかっても、軽くヒラリとかわされてしまう。
「こっちですよ♪」
「もう! 僕をからかうなっ!!」
「あっはははっ!」
立場も年齢も全く異なる二人は、急に追いかけっこを始め出す。
魔族と元人間。
主人と黒騎士。
ーーしかし。
誰がどう見ても二人の関係はーーーーまるで、仲の良い友達同士だった。
☆彡
「なぁ~んだ。トッピーとライムかよ……」
自室の窓から望むテラスに、二つの人影を見つけたフェルキスだったのだが、その正体が二番目の弟と彼の黒騎士だった事に気付き、詰まらなそうに肩を落とした。
「どうかしたんですかぁ? フェルキス様」
隣で寝ていた女が、身体にリネンを巻き付け起き上がった。
「んん? メイドの可愛い子ちゃん達がじゃれ合ってるのかと思って見てたら、弟達が馬鹿騒ぎしているだけだったんだよ。何が愉しいんだか……」
「も~うっ、この浮気者! どうか私だけを見て下さいって、寝台に入る前にお願いした筈ですよ?!」
「はははっ! いや、すまない。隣にこんな魅力的な女性が居るっていうのに……」
フェルキスは、手慣れた様子で女の肩を抱き寄せる。
フェルキス ジェファーソン。
亡き前魔王が残した三人の息子の長男。若干二十歳だが、中性的且つ色気のある容姿を持ち合わせ、魔界に置いても女性達から絶大な人気を誇っている人物。生まれ持った魔力も知力も申し分無く、次期魔王は彼に違いないと、誰しもがそう思っていた。
ーーだが。彼には、魔王になる為には、決定的に必要なものが掛けていた。
ーーーー欲と向上心。
産まれながらに全てに恵まれ、子供時代において劣等感も敗北も味わった事の無いフェルキスには、それらの野心が育まれる事は無かった。
彼は、毎日が愉しければそれだけで幸せな男。
そんな自分が魔王の座に着くのが、どんなに低脳か事くらいも承知している。だったら初めから弟達に譲った方がよっぽどマシだと思った。
三年前。彼は、王位継承権を獲得する為の試練を放棄。その権利は、自動的に次男のロージックへと移った。魔王であった父が命を落としてから、家族に対し一線を引くようになったロージックだが、元は優しく真っ直ぐな人格。信頼に足りる男だと知っていた。
「ーーーー……」
不意に今日、ロージックがティファニー ポジットを連れて帰って来ると聴いていた事を思い出す。
「フェルキス様?? どうしたんですか? 何か考え事でも?」
名前さえ忘れた女が、どうでも良い事を問い掛けて来る。
「いや。唯……寂しくて」
「ーーっ?! フェルキス様…………」
感化された女は、自らフェルキスの唇に自分の唇を重ねた。
「……」
ーーーー簡単だった。
学問も魔術も、誰かの心を操る事も……。簡単過ぎて、己の生きる価値も見出せない。
一夜限りの女を抱き締めながら、フェルキスは、心の中で呟く――。
ーー頑張れよ、ロージック……。
ここまで読んで頂き感謝致します。
次回は、いよいよ彼が登場します。
(誤字脱字は、おいおい訂正していきますね)