第一章・2 (1)
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「ではそろそろ、終わりにしましょうか。皆さん、お疲れさまでした」
学部長の中岡の一声で、教員会議は終了となった。参加していた面々は立ち上がり、ここセミナールームを出て、各々の持ち場へと帰ってゆく。凜も資料をまとめて、席を立とうとした。
「ああ、鳥須くん」
その時、中岡が凜の名を呼んだ。
「――はい」
「ちょっといいかな」
「はい」
凜が立ち上がると、中岡も合わせて立ち上がる。セミナールームにふたりしかいなくなったことを確認してから、中岡は話を始めた。
「実はね、先週も議題にあがった、君のところの院生の失踪事件についてなんだが――」
中岡は切り出した。今回はなぜか議題にあがらなかったが、前回の会議では川上 保の失踪については大きく取り上げられたのだ。
「責任を取れ――ということですか?」
凜は身構えた。しかし、中岡は首を横に振った。
「安心したまえ、そうではない。実は君に、そっと教えておきたいことがあるんだ。これは、私が君という人間を見込んで、言うことなんだよ」
「――どういうことですか?」
中岡の言葉の意味が読めず、凜は訊き返した。
「今回の会議で、例の失踪事件については取り上げなかった。それには理由があるんだ」
「…………」
「実はね、まだ誰にも言わないで欲しいんだが――失踪者が出ているのは何も君の研究室に限ってのことじゃないんだよ。同様の失踪事件が他の研究室でも起こっている。事態は、研究科全体――いや、他の学部にまで及んでいるんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。だから、君にだけ責任を取らせられない。しかし、会議で取り上げなかったのは、あまり表沙汰にしたくない、という事情も実はあるんだ」
「あえて、僕にそれを話したのは?」
凜は再び訊いた。
「君がそれに足る人間だと思ったからだ。嘆かわしいことだが、教授連中をはじめ、他の面々は、自分の出世や保身のことばかり考えている。そんな連中に話したところで、黙認されかねない。君はその点、正義感が強く曲がったことが大嫌いな性分だろう」
「とはいっても、いずれは皆さんにも分かることだと思いますけれど――」
凜は言った。第一、中岡の言葉が正しければ、先ほどの会議の出席者の中にも凜のような立場の教員がいるということだ。自分にだけこっそり打ち明ける理由が、彼には分からなかった。
「それはそうだ。ただ、今は公にする時期ではない。とりあえず、君にはそういう事態になっているということは知らせておきたかったんだよ。現状を把握していた方が、君も安心するだろう」
「ありがとうございます」
「ただし――まだ公にするのは早いということは理解してくれ。他言はしないように。いいね」
「分かりました」
と、凜は応える。中岡の話には合点がいかない部分もあったが、彼なりの考えがあってのことなのだろうと思った。