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第四章・8 (2)


 画面から飛び出してきた真綾を、愛稀が受け止めた。愛稀は後ろへと倒れ、尻餅をついた。

「真綾、もう大丈夫よ」

 泣き叫ぶ真綾を愛稀はしっかりと抱きしめた。一瞬、これは本当の真綾かと疑いはしたが、この肌の感触と温もりは、紛れもない娘そのものだ。

 凜は再びパソコンの方を見た。画面では、余城が驚いた顔を浮かべていた。

『信じられない。これまでに私の力を跳ね返せたものはいなかった。しかも、こんな幼児が……』

「幼児じゃない。意志をもったひとりの人間だ」

 凜は言ったが、余城は納得できないようだった。

『意志などで私の世界から逃げられるものか。君たちには隠された能力があることは気づいていたが、ここまでとは思わなかった。なぜ、それを自分のために使わない。君たちは、この社会に埋もれたままでいいのか』

「埋もれているとは思っていない。自分の人生を自分なりに生きていればそれで十分だ。よくないのは、現実を受け入れずに虚構に逃げることさ」

『――私がそうだと言いたいのか』

「僕にはそう見える」

 と、凜ははっきりと言った。

「辛いことや悲しいことを乗り越えて人は大きくなっていくものだ。だが、君は傷つくことを恐れ、情報知識の世界に自らを閉じ込めてしまった。一番大切な心を育てることを忘れてしまった」

『ならば、心が育てられれば、私のような人間でも生きることができたというのか。今からでも、それは間に合うのか』

 余城は凜に問いかける。しかし、凜はゆっくりとかぶりを振った。

「残念だがそれは無理だ。現実世界の君はすでに亡くなっている。残ったのは、情報と化してしまった意識だけだ」

 本当の君はもうこの世にはいない――と言って、凜は画面に映る男の顔を見つめた。余城は無表情で、どんな感情もその顔には示さない。心を失くしてしまった男は、果たして今、どんな感情を抱いているのだろう――と思った。

『――君はどうするのだ。これからも、現実世界で生きてゆくという覚悟はあるのか』

「もちろんだ」

 凜はすぐに答えた。迷う必要などなかった。

『時の流れは残酷だ。この先、どんな未来が待っているか分からないぞ。今の幸せが続く保証もないし、君の言う“心”が潰れてしまうほどの苦悩が待ち構えているかも知れない。そうだとしても、君は生きてゆけるのか』

「未来は恐れるものじゃないさ――」

 それが凜の答えだった。

「変わりゆくこと――無常は自然の摂理だ。自分だって自然の中の一部。今の自分は1秒前の自分でさえない。変わりゆく未来に向かって生きるから、人は輝くんだ。時を止めるのは、自分自身の心の弱さそのものだ」

 しばらく、双方とも何も言わなかった。やがて、

『なるほどな』

 と静かに口にしたのは余城だった。

『君たちとこれまで話してきたが、分かったことは私と君たちの考え方が根本的に違う、ということだ。現実世界で生きるという君たちの選択は、私に言わせれば馬鹿らしいとしか言いようがない。しかし、君たちがそれを望むなら仕方なかろう。私は、この情報の世界からしっかりと見届けさせてもらうぞ、現実世界での君たちの生き様を――』

 ニヤリと笑う余城の姿が、徐々に消えてゆく。そして、完全に姿を消した時、パソコンのディスプレイは真っ暗になった。

「パパ!」

 と、真綾が叫んで、凜の足に抱きついてくる。凜は娘の頭を撫でて言った。

「真綾、よく頑張ったな」

 真綾は、まだ目に涙をいっぱいに溜めながらも、満面の笑みで凜を見上げた。まだ5才という年齢でありながら、自分の人生を地に足をつけて歩もうとしている娘を、凜は誇りに思った。



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