第四章・2
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上島の研究室に向かうと、ちょうど白衣姿にゴム手袋をつけた早苗が、研究室に入ろうとするところであった。
「新川さん」
凜は彼女に声をかけた。
「あら、先生」
彼女は、凜の方を向き貼りついたような笑みを浮かべた。研究に身を置く人間には相応しくないような、濃いメイクが相変わらず目立っている。
「少し話があるんだが」
「いいですよ。今から実験なので、作業をしながらでもいいのなら」
早苗は実験室の扉を開け、凜を促した。中に入ると、むんとした生臭い臭いが充満していた。実験台の上には、氷が敷き詰められた発泡スチロールの箱。中には巨大なアフリカツメガエルが眠っていた。
「先生、生き物って、元来とっても醜いものだと思いません?」
早苗はそう言いながら、カエルの首根っこを掴んで、箱の中から引っ張り出した。大きなハサミをもう片方の手に、カエルの首元に当てると、躊躇なくそれを切り裂いた。ジョキジョキとハサミを動かし、骨ごと切り落とす。脊髄反射でカエルの全身が硬直し、両脚はピンと伸びて、その間から尿が筋となって走った。
早苗は首を失ったカエルの肢体を、ステンレス製の台の上に置いた。
「なんて醜態でしょう。しかもこの子、死んでもなお、しばらく心臓を動かし続けることになるんです。先生はどうですか。同じ生き物だと思いたくないでしょう?」
早苗は喋りながらも、手早くカエルを手術していった。やはり技術は確かなようだ。カエルの胴を切り裂き心臓を露出させ、付近の血管にチューブを通して血液を排出し、代わりに生理食塩水で置換する。
「でも、これが生き物の宿命なんですよね。人間だって同じ。血肉で構成され、死ねば身体は腐って蛆だって湧く」
「だが、君たちは違う」
凜は少し棘のある口調で言った。早苗は凜を上目遣いで見て、ニヤリと笑う。
「さすが先生。その通りですよ。私やタモくん、そして中原さんも、そのような生き物の醜さから解き放たれた存在なんです。これは、素晴らしいことなんですよ」
「…………」
「先生のお話というのは?」
早苗は改めて訊いた。
「余城のことだ。彼は今、どこにいるんだ」
「あの人は、どこにでもいて、どこにもいない。――どうしてそんなことを訊くんです?」
「どうしても彼と会って、話がしたい」
「タモくんにも同じことを言ったそうですね」
「彼には断られてしまったがね」
「なるほど――確かに、タモくんは先生のこと嫌ってるから、無理もないかもですね。でも、私はあの人を先生に紹介してもいいと思ってますよ」
「本当か?」
「ええ。ただし、条件があります」
「条件?」
「私とセックスしてください」
「――なに?」
凜は素っ頓狂な声をあげた。
「私、以前から先生のことが好きだったんですよ」
「……川上くんはどうなる」
「彼は彼で好きです。でも、先生は彼にはない魅力があります」
早苗は悪びれもない様子で言った。
「余城さんには伝えておきます。何かしらの形で、彼とはコンタクトが取れるようになると思いますわ。その代わり、条件のこと、考えておいてくださいね」
凜は何気に彼女の顔から、下へと視線をずらした。台の上では、カエルの肢体が無機質に拍動を繰り返し、血液の代わりに透明な液体を循環させられている。
(何かが狂っている――)
彼はそう思わざるを得なかった。この世界すべてにずれが生じているような気がしてならない。
動物実験を行った部屋に入ると、強烈な臭いが鼻につき、部屋を出てもその臭いがしばらく鼻に残る。だが、実験室を出た凜には、そんな臭いを思い出す余裕もなかった。狂いゆく歯車の中でひとり取り残されるような感慨に彼は襲われていた。




