第四章・1
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朝、凜はコーヒーを片手にダイニングテーブルについた。
朝食の準備はもうできていた。今日のメニューは、フレンチトーストとスクランブルエッグ、ケチャップのかかったウインナー、そこにレタスとプチトマトが添えられていた。
向かいの席では、真綾がウインナーを頬張っている。大人にしてみれば小さいと思えても、幼児にしてみればそれなりに大きな代物らしい。彼女は、口をケチャップまみれにしながら、一生懸命にウインナーにかじりついていた。やがて、ウインナーとの格闘を終え、ごくりとそれを飲みこんだ彼女は、凜の方へと視線を向け、
「――ねえパパ」
と声をかけた。
「ん?」
凜はフォークとナイフを持つ手をふと止めた。
「昨日ママと何してたの?」
真綾の質問に一瞬どきりとした。皿の上でフォークがかちゃりと音を立てる。
「――見てたの?」
真綾は無垢な顔でこくりと頷く。
「昨日、トイレに行こうとしたら、ママの声が聞こえてね。パパとママの寝室の扉が開いていたから、どうしたのかなって、中を覗いてみたの」
「何をしていたかは分かった?」
真綾は首を横にぶんぶんと振った。
「ぜんぜん。でも、ママの言葉は聞こえた」
やってしまったな――と思った。懸念は見事に的中してしまった。昨夜の夫婦の営みを、娘に見られていたのだ。見たところで、真綾はその意味を理解していないだろうが、それでも失態には違いはない。
「パパとママが愛し合ったから、私が生まれたって、本当?」
真綾はさらに質問をしてくる。凜はテーブルから身を乗り出し、声を潜めて言った。
「真綾、よく聞きなさい」
「……?」
「昨日見たことは、ママには言っちゃダメだよ」
「どうして?」
真綾はキョトンとした顔で首を傾げた。
「秘密って言葉、知ってる?」
「ひみつ――内緒のこと?」
「そんなところだ。人には誰も秘密がある。家族の間にあったりもする。でも、それはいけないことじゃないんだよ」
「つまり、昨日のは、パパとママとの秘密ってこと?」
「そうだ。秘密がバレたと分かっちゃ、ママがびっくりしちゃうだろ。だから、ママには言っちゃダメなんだ」
「分かった」
真綾はこくりと頷く。
「――でも、真綾は実はラッキーだったんだよ」
「どうして?」
「だって真綾は、自分がパパとママが愛し合っているから生まれたという、大切なことを知ることができたんだよ。愛は人にとってなくてはならないものなんだ。それを知って、真綾はひとつ賢くなったんだよ」
「そっかー。これは、パパと私とのひみつだね」
真綾はにっこりと微笑んでみせた。
「そうだね」
と、凜も笑顔で頷いた。
「あれ、ふたりで何を話していたの?」
そこへ、台所から愛稀が戻ってきた。
「パパと私とのひみつ!」
真綾は彼女に向かって、大きな声で言う。
「秘密? ずるいなー。ママにも教えなさい!」
ふたりはじゃれ合ってけらけらと笑い声をあげた。昨夜と比べて、愛稀も随分元気になったようだ。もちろん、完全に不安が解消されたわけではないが、凜はひとまずは安心した。
「愛稀、昨日の君の話で、ひとつ思いついたことがあるんだ」
「え、何?」
愛稀は爽やかな朝のようにすっきりとした顔を凜に向けた。
「余城たちの脅威に対抗できるかも知れない手段だ」
「え、本当に?」
愛稀は真顔になって、真綾の隣の席に座った。斜め向かいにいる凜を真剣な目で見ながら言う。
「詳しく聞かせてよ」




