第三章・2 (1)
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「佐原さん夫妻が帰ってきてたよ」
夕食時、愛稀が言った。
「そうなのか?」
凜は訊いた。佐原とは、行方不明になっていた隣人の名だ。
「うん。真綾を幼稚園に送った帰り、廊下でふとすれ違ったの」
「何か話した?」
「一応、どうしてたんですか? とは訊いてみたけど。でも、うやむやに答えられただけ。そんなに親しいわけじゃないし、私もそれ以上突っ込んでは聞けなかった」
「まあでも、帰ってきてよかったじゃないか」
「よかった――の、かなぁ」
愛稀は首を傾げて言った。
「というと?」
「うん。何かふたりの様子が、前と違ってた。もちろん、佐原さんたちのこと、そんなに知ってるわけじゃないけど、でも、確かにそれでも何かが違う――異様な雰囲気がした」
(やはり――)
凜は思った。愛稀が感じた違和感は、凜が大学で川上と早苗に感じたものと同じだろう。しかし、その違和感の原因までは分からない。
「あの人たち、本当に佐原さんなのかな……」
愛稀がふと、ぽつりと呟いた。
「別人ってこと?」
凜が尋ねると、愛稀はこくりと頷いた。
「なんか、そんな気がする。ひょっとして、誰かが佐原さんたちになりすましているのかも、って」
そういえば――そんな内容の映画を、凜は子供の頃に観た。宇宙人が地球を侵略しにやって来て、主人公の身の回りの人間に乗り移り、その人になり代わってゆく。今の状況はそれとよく似ているような気がした。
(何者かがその人になりすましているというのは、少し突飛な気もするが。しかし、別人になったというのは可能性として十分あり得る)
凜は思った。例えば、洗脳されたとも考えられなくはない。
ひとつ確かにいえることは、川上や早苗、そして佐原夫妻が別人になっているとするならば、やはり状況は改善されていないということだ。
戻ってきたのは川上や佐原夫妻だけでなかった。
大学では、二十数名にも及んだ行方不明者が、いっせいに帰ってきた。学部長の中原は教員会議にて、彼らが失踪中にどこで何をしていたのか、これから当人たちに確認する必要はあるが、とりあえず帰ってきてくれたことはよかったと、安心していた。
おそらく、各地の行方不明者の多くも戻ってきているのだろう。
しかし、もちろん凜は、この事態が手放しで喜んでいいものとは思っていなかった。実際、凜の研究室でも、川上が帰ってきてからというもの、不穏な空気を感じずにはいられないのだ。誰かがトラブルを起こしたとか、学生どうしの関係が険悪になっているといったことではないが、研究室の学生たちの振舞いはどこかよそよそしく、互いの関係も以前と比べてぎこちない。
問題という形にならないまでも、一抹の不安を誰もが感じ取っているのでは――という気がしてならなかった。違和感を覚えているのは、凜だけではないのだ。